「催眠」と「夢遊病」
それがいいことなのか悪いことなのか分からなかったが、それを決めるのは新垣ではない。相手であるということが分かっているので、敢えてそのことは考えないようにしていた。
つかさはそんな新垣の気持ちを知ってか知らずか、彼の視線を気にしていたが、意外と悪い気がしないことを不思議に感じていた。
――どうして、こんな気持ちになったのかしら?
と思ったが、つかさは女の子として今まで男性に意識されなかった自分を、事なきを得ているように思っていたが、男性の視線を感じてみると、悪い気がしないというのは、相手が新垣だからなのか、それとも、元々男性の視線を意識してみたいという願望があったからなのか分からなかった。
つかさの劣等感は、対人関係にのみあるものだった。小学生の頃は目立ちたいと思っていたなどということは、すっかり忘れてしまっていた。小学生の頃は成績もあまりよくなく、その状態は中学に入るまで続いた。しかし、何がきっかけだったのか分からないが、中学三年生のあたりから、成績が急に伸びた。
その頃から、劣等感をまわりに感じるようになった。劣等感があるから余計に自分に負けたくないという気持ちが働いたのか、一人での自習は嫌ではなかった。その気持ちが大きかったのか、成績はうなぎ上りで上昇し、それが自信となって植え付けられたのだ。
その自信は、生まれて初めて持った自覚だった。特に劣等感をまわりに感じていただけに、余計に自信はまわりとの確執という意味でも強固なものになったのだろう。
確執といっても、まわりを受け付けないというわけではない。自分に自信を持ったことで、今までとは違った感覚がまわりに対して生まれた。勉強に関しては優越感が生まれたのだ。
だが、元々あった劣等感がなくなったわけではない。違った意味での劣等感が生まれたわけではないのだが、
――自分はまわりの人とは違うんだ――
という意味の優越感の裏返しが劣等感なのだということが分かったのだった。
新垣は、つかさがそこまで考えているなど夢にも思っていなかったが、まわりの人と違った雰囲気を醸し出している女性であることは分かった。そんな彼女の視線を感じたのだから、嫌な思いをするのは、お門違いなのだろう。
新垣は劣等感という意識を自分の中に抱いたことはなかった。
いや、正確にいうと、劣等感を抱いたかどうかは別にして、
「感じたことのある感情の中に、劣等感と呼ばれるものはなかった」
ということが分かっているだけだった。
つまりは心理学を研究する上で、今までに感じたことのない劣等感がどういうものなのかというのを研究するというのも、一つの課題だったのだ。
つかさの視線の中に劣等感があるということはすぐには分からなかったが、自分の分からない感覚を彼女の中に感じたことで、
――これが劣等感というものなのかも知れない――
という思いがあったのも事実で、彼女に少なからずの好感を持てるような気がした。
劣等感を感じているつかさに新垣はどうしていいのか分からなかったが、とりあえず声を掛けた、どのように話をしていいのかもわかるわけはない。相手の反応を想像することなどできなかったからだ。
声を掛けられたつかさは、別に驚いている様子はなかったが、怯えは感じることができた。なぜなら驚きがない分、深く入り込んで見ることができるように思えたからで、最初に感じたのが、怯えだったのだ。
だが、会話を続けていると、ある時を境に、その怯えを感じなくなった。
――あれ?
と感じた時には、もう彼女の中に怯えはなかったように思う。
つかさと話をしている時、新垣は自分が彼女と付き合うことになるなどとは思っていなかった。だが、つかさの方では、いずれ自分と新垣は付き合うことになるだろうという思いを、結構な確率で感じていたのだ。
確証があったわけではないが、
――付き合うとすれば、この人なんだろうな――
という漠然としたもので、一種の消去法による計算から、付き合うことになると思ったようだ。
新垣はつかさがまさかそんな風に思っているなど想像もつかない。知り合ってまだ少ししか経っておらず、会話もまだ少しぎこちない相手なので、今まで女性と付き合ったこともない新垣に、それ以上の想像などできっこなかった。
つかさの方は、目立たない性格ではあったが、彼氏がほしいという願望は持っていた。ただ、相手は誰でもいいというわけではない。内に籠る性格であればあるほど、ハードルは高いものなのかも知れない。
少なくとも軽薄で、軽薄なうえに何を考えているのか分からない相手は、最初から相手にしなかった。逆に言えば、何を考えているのか分からない相手であっても、軽薄でなければ、一応見極めようという思いはあった。新垣に対しては、
「何を考えているのか分からないけど、軽薄ではない」
と思っていたこともあって、怯えはあったが、彼から声を掛けられた時、驚くようなことはなかったのだ。
会話が行き詰まることはなかったが、途中でどちらからともなく休憩に入るタイミングがあった。特につかさの場合は、明らかに疲れを感じさせた。それを敏感に感じ取った新垣は、決して会話に無理をすることはなかったのだ。
つかさは新垣の中に、自分に似ているところがあるような気がしたので、新垣に自分が惹かれているということに気付いた。今まで彼氏がほしいと思ったことはあったが、具体的にどんな人がいいのか、自分にも分からなかった。
自分が好きになった相手が自分に合う人だという保証はない。むしろ、自分に合うとは思えない人ほど、まわりから見ると似合っているように見えるのではないかと思っているのだ。
今まで好きになった人もいるにはいた。つかさは性格的に決定的なほど、まわりに合わせてしまう。好きになった人に他に付き合っている人がいたり、好きな人がいるということが分かっただけで、すぐに冷めてしまう。嫌いになることもあるくらいで、どうしてそんな風に思うのか自分でも分からなかった。
ただそれは、
「自分の思った通りにならなければ気が済まない」
という性格だということを分かっていない。
自分が謙虚な性格で、人と争ってまで、その人を手に入れたとしても、すぐに気まずくなるに決まっていると思っていた。それを謙虚だと思うのは、それこそ傲慢な性格を表しているようなものではないだろうか。
そんなつかさの性格を理解している友達が一人いた。彼女はつかさと小学生の頃からの幼馴染とでもいうべきで、二人でいる時、他の人から、
「仲がいいね」
と言われて、
「これは腐れ縁ですよ」
と饒舌に振る舞ってはいるが、つかさには彼女のそんな態度が頼もしく見えたのだ。
普段から目立つことのないつかさの性格も彼女には分かっていて、彼女の方でも、
「あなたは、目立つ方ではないんだから、無理して目立とうなんてしない方がいいのよ。下手に普段しないようなことをすると、浮足立ってしまって、足が浮くだけではなくて、まわりから存在が浮いてしまうことになって、笑うに笑えなくなってしまうわよ」
と言われていた。
そんな時彼女は、いつも苦笑いしていて、それを見てつかさは、
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次