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魔法のエッセンス

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 というのが、優子の持論だが、その中には、優実が教えてくれた、彼女の中にあった信念である「貫徹」の思いが大いに含まれているのだった。
 優実の考えていた貫徹とは、
「自分の一生を、最後まで全うしたい」
 という思いが込められていた。
 まさか、優実が死んでしまうなど思ってもいなかったので、「貫徹」と言われてもピンと来なかったが、死んでしまってから分かっても、あとの祭りであった。だが、優実が言いたかったことは、十分に伝わったつもりで、優子が優実にしてあげられることは、優実の信念を忘れず、自分も優実の分まで自分の一生を最後まで全うしなければいけないということであろう。
 そういう意味で、優子にとってのこの結婚は、まだまだ諦めていないという気持ちの表れでもあった。
「結婚というのを味あわずに一生を終えるのはもったいない」
 という気持ちもあるのだ。
 ただ、この結婚を考えた時、誰かが背中をそっと押してくれた人がいた気がする。それを、優子は優実だと信じて疑わなかったが、果たしてそうだったのだろうか?
 それがどうして優実だと思ったのかというと、背中を押す微妙な力加減が、男のものではないように思えたからだ。
 女性のものだとすれば、考えられるのは優実しかいない。優実が優子の結婚を応援してくれているのだ。そういえば、その頃、よく霊感が働くような気がしていた。それは、優実が優子のそばにいて、ずっと見てくれているからだと思えたのだ。
 優実の死に立ち会うことができなかった。仕事が忙しく、なかなか優実と連絡を取ることができないでいたが、その間に優実は急変し、入院したかと思うと、翌日にはすでに帰らぬ人となっていた。
 優子が駆け付けた時、病院のベッドの周りで、すすり泣く声が聞こえた。顔には白い布がかけられていて、誰も顔を上げることができないでいた。
 急変を聞いて駆け付けたが、間に合わなかったのだが、
「あと一時間早ければ」
 という言葉を聞いた時、優子は時間というものを呪い、そして、これほど大切なものはないということを、同時に感じてもいた。
 人の、しかも大切に想っていた人の死を目の前にして、冷静に判断ができる自分が不思議だったし、悔しくもあった。目頭は熱くなるのだが、なぜか涙が出てこない。普段、ドラマなどを見ていると、涙が出ることもあり、
「優子は涙脆いわね」
 と、言われて、
「女も三十後半になると、涙脆くなるものよ」
 と、若い女性事務員に対して、年齢を誇示したものだったが、そんな優子が、肝心な時に涙を出すことができない。
――涙なんて、意識して出すものじゃないことは分かっているけど、どうして肝心な時に出てくれないの?
 本当は泣きたくてたまらないのに、泣くことができない。まわりからどう思われようが、それは構わないのだが、優子にとっては、自分の中のポリシーが許せないのだ。
 心を通わせた人と、もう会えないのだという思いが胸を締め付ける。締め付けられた胸から、言い知れぬ思いが滲み出て、そこから涙となって流れ出すのが自然だと思っていたのだ。
 胸が締め付けられる思いは、ハッキリと感じる。身体に硬直が走り、汗が滲み出てくるのは、胸を締め付けられる思いがあるからで、言い知れぬ思いもあった。会えないという残酷な感情を、感覚が受け入れることができずに、マヒさせてしまう道を選ぶ。どうしていいのか分からない気持ちになるのが、言い知れぬ思いであった。
 そして、そこから涙に移る時、まず目頭が熱くなる。それも感じた。寝不足で、目頭が熱くなる時と、どこか似ていたが、涙が出る感覚とは少し違う。ただ、その時は寝不足の時に似ていた。まるで、その場から早く逃げ出して、楽になりたいという思いだ。
――そうだわ、逃げ出して、楽になりたいという思いが涙が出るのを邪魔したんだわ――
 と感じた。
 確かに、人の死を目の前にして、何もできないでいると、逃げ出したいという思いに駆られることもある。楽な方に進みたいという思い、これは誰もが持っているもので、優子にも当然あった。楽な方に進めば、諦めも自然と早くなり、いくらでも楽な道があるように感じられ、いばらの道は、狭くて暗い、そんな道にしか見えない。
 どちらがいいかといえば、それはたくさんの選択肢があって、広くて明るい楽な道がいい。しかし、そちらを選んでしまえば、それが堂々巡りを繰り返すだけの袋小路であることを、一生知らないで過ごすことになるだろう。
「貫徹」、この思いを持って死んでいった優実には、二度と会うこともできないし、すぐに記憶からも抹消してしまうことだろう。何しろ、楽な道では彼女の存在は不要なのだから……。
 この思いが、優子の中にあり、目の前の優実が死んでしまったという事実に蓋をしようとしてしまう。どんなに悲しくても、涙が出ないのは、そのせいであろう。
 しかし、この時に、優子は優実の死を受け入れようと思った。なぜかというと、まだその時優子には優実の言っていた「貫徹」のような信念が、固まっていなかったからだ。
「正直が真実を生む」
 という信念に辿り着いたのは、この時だったのではないかと思う。
 正直に、優実の死を受け入れようとウソでもいいから、涙を流そうと努力した。それまでの優子であれば、そんな努力は泥臭いもので、醜いと思っていた。それを敢えて行わなければ、堂々巡りを繰り返すだけだと思ったからだ。
「まずは、自分に正直になることだ」
 そう思うと、スーッと肩の力が抜けてくるのを感じた。肩の力が抜けると、優子は、優実の顔の上に乗っている布をはぐってみた。
「……」
 その顔は安らかだった。
「それでも死んでいるのよ」
 優実の母親が呟いた。それを聞いた瞬間、優子の目から、滝のような涙が溢れてきた。さっきまで涙が溢れてこなかったのがウソのようである。
 一気に溢れてきた涙に戸惑いながらも、やっと涙が出てきてくれたことにホッとしたものだ。このまま涙が流れてこなかったら、この場での自分の居場所を見失い、もしかすると、優実に対して、一生負い目を感じながら生きていくことになるかも知れなかったからである。
――優実は、優子に何を言いたかったのだろう?
「この娘、あなたのことをうわ言のように呼んでましてね。何かを言いたかったのかも知れません」
 と、母親から告げられて、感じたことだった。
 優子は、それが自分に対してというよりも、自分の中にいる弟の存在を意識していたのではないかと今から思えば感じる。その時、優子はどうして涙が最初出なかったのか、分からなかった。それは自分の中にいる弟の存在を知らなかったからだ。今では弟の存在も感じていて、涙が出なかったのは、弟の気持ちが左右していたのではないかと思えた。
「彼女の死と、正面から向き合いたい」
 と、弟が思ったとすれば、そこには、自分がどうして死んだのか分からずに優子の中にいる弟とすれば、人の死というものを、表から真剣に見てみたいと思ったのかも知れない。そんな時、涙など流したら、涙で見えるものも見えなくなってしまうだろうと感じたのだろう。だから、優子の身体に涙腺が緩むのを阻止したのではないだろうか。
作品名:魔法のエッセンス 作家名:森本晃次