魔法のエッセンス
優実はいつしか、自分の死を悟っていた。それなのに、あれだけ気丈で、他の人に自分の死期を悟っていることを知られないようにしていたなど、優子には信じられない。知ってしまったら、気も狂わんばかりになり、考え事をしても、基準になるものがないのだから、人に気を遣うなどという次元の発想が生まれることはないだろう。
優子は、優実がこん睡状態に陥ったと聞いた時、なぜか、それほど驚かなかった。死の半年前から、病気療養で、寝たきりになっていたが、入院もしないということだったので、まさか死期が近いなど、想像もしていなかった。
入院しなかったのは、本人の意思のようで、
「自分の家で、最後を迎えたい」
ということだったらしい。
それこそが、優実にとっての信念である、「貫徹」なのかも知れない。最後まで自分でいたいという気持ちが貫徹には含まれているのだ。
優子はこん睡状態に陥っても、それから一週間、膠着状態だった。最後は安らかに眠るようだったと、彼女の親から聞かされた時、救われたような気がした。
自分も少し前まで苦しんでいた。だが、優実に比べれば、足元にも及ばない。それでも優実を見続けていられたのは、彼女がそれだけ優子を慕っていたからであろう。
優子は、優実の墓参りには毎年行っている。今年も行ったのだが、今年は、少しイメージが違っていた。
墓石が少し小さくなったように感じた。お供え物も質素なものにして、いつもよりも少な目だった。
「優実は、派手好きじゃなかったから、質素な方がいいかも知れないわ」
と思ったからだ。
質素な墓地であっても、小奇麗にしていれば、目立っている。派手でなければ目立つことにこだわらなかった優実なので、これでいいのだろう。
優実が目立っていたのは、年齢の割に幼く見えるところだった。そんな優実のことが羨ましいとずっと思っていると、いつの間にか優子も、実年齢よりも若く見えるようになっていたのだ。
「まるで、優実が私に中にいるみたいだわ」
と、感じたのも、まんざらではないだろう。優実のおかげで、自分の願望が半分叶ったような気がしていた。
願望の中で、残りの半分は、どうやら、弟のことのようだ。しかも、そこに優実も関わってくることになるのだ。
もう一つの願望、それは今もよく分かっていない。弟が願っていることなのか、それとも、弟が優子の中で叶えてくれるものなのか、それとも、弟の意志の働かないところで、優子が弟のためにすることなのか、どれにしても、優子の願望には変わりがない。
優子にとって、弟が生きていれば、それだけのことができたかと思うと、想像もつかない。別に弟がいなかったことが自分の人生を狂わせていたわけでもないのに、なぜ弟だけに責任転嫁してしまうのか、それは、きっと自分の中で、常に弟の存在を感じているからだろう。
優子はおかしなことを考えている。
生まれてこなかったのなら、弟は、きっと誰かが弟の生まれ変わりになってくれているだろう。それは、自分たちとはまったく縁もゆかりもない人たちとの間の子供としてである。
自分たちの間では、生まれてすぐに、そのまま死んだという感覚になる。少なくとも母親のお腹の中では生きていたのだ。だから、表に出たか出ていないかだけの違いであって、精神は家族の一員なのだ。
そして、弟だけが人生を飛び越しし、本当は生きるはずだった年齢を貫徹していることになると思うと、弟は生まれてこなかったことで年齢を重ねることなくゼロ歳で死んだのではなく、生きるはずだった年齢に至ったまま、年齢を重ねずに、家族が来るのを待っているのだろう。
だが、弟が生まれてからすぐに死んだのだとすれば、弟の年齢は、そこどまりで、ずっと年を取らないまま、置いて行かれたことになっているのかも知れない。
それなのに、生まれてこなかったことにされてしまうと、置いて行かれたことを誰にも知られずにいることになる。
本当であれば、生まれてから死んだ人の供養をしなければいけないのに、生まれる前の供養をしてしまうと、きっと、そのまま死の世界で、家族の誰とも会うことなく、待ち続けるという苦しみを味わうのだ。
だから優子は、弟の死がどのようなものだったかを知らないといけないと思っている。家族に聞いても教えてくれるはずもない。誰にも言わないということは、それなりに隠す必要があるのだろう。
これを告発して、もし自分の勘違いであれば、家族に対して取り返しのつかないことになってしまう。そう思うと、優子は誰にも相談することもできず、身体の中に弟の残像を抱え込んだまま、悩み続けなければいけないのだろう。
それを救えるのは自分しかいない。自分を救うことで、弟も救われるのだ。
今となっては証拠も何もないので、立証することは難しい。また、立証したところで、何が変わるというわけではない。優子が信じてあげるだけでいいのだった。
優実にしても、弟にしても、優子とは違う世界にいる。ただ、今弟が優実を同じ世界で待っていてあげているわけではないようだ。弟は、何を隠そう、優子の中にまだいるからである。
どこに行くこともできずに、彷徨っている。優子が病気になり、いろいろな苦労を背負い込んだ時、弟の意識を忘れてしまっている時期でもあった。それまでは、常に弟のことを意識していたのに、その時ちょうど、付き合っている男性がいて、その人から、
「痩せている人がいい」
と言われて、ショックを受けた。
確かに付き合い始めた頃に比べて、それほど日にちが経っていないのに、太ってきたのは分かっていたが、
「この人となら、結婚できるかも知れない」
とまで、思っていた人から、体型だけで、罵られたことで、ショックも大きいというものだ。
「この人は、私の容姿しか見ていなかったんだ」
と思うと、ショックを通り越して、呆れかえるくらいだ。男性恐怖症に至る以前の問題だ。
そのあと、病気になったが、あそこまでひどい病気だとは思わなかった。精神的なショックが肉体を蝕む。それがいくつもの弊害や後遺症を生んだ。優子は、
――その時に優実と出会わなければ。どうなっていたのだろう?
とさえ、思った。
やはり自分の中に起こったショックなことや人生の分岐点は、優実の存在に関わっている。
――弟と、優実の存在――
それが、優子の人生を形作っていると言っても過言ではないだろう。
優子にとって、弟の存在が、今までにも、影響しているのを感じたことがあった。前兆というべきか、虫の知らせというべきか、何か危ないことが起こりそうな時、教えてくれるものがあるのだ。
小学生の時は、事故だった。
学校の帰りに、いつも通る道を、いつもの時間に帰るつもりで途中まで来ていたが、急に忘れ物を思い出した。
普段なら思い出さないような大したものではなかったが、確かノートだったように思う。その日、ノートがなければ宿題ができないということで、どうしても取りに行かなければいけなくなったが、いつもの道を踵を返して、学校に向かいかけると、後ろで大きな音が聞こえた。