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魔法のエッセンス

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 彼女は、松田の考えのおかしなところを、遠慮なく指摘した。指摘されて驚いた松田だったが、目からウロコが一旦落ちると、素直に相手の話を聞くようになった。今まで頑なに閉ざしていた自分の中の気持ちを解き放つ一番の特効薬は、正面切って話をしてくれる人の出現だったのだ。
 それが女性だったことで、さらに松田はショックを受けた。自己嫌悪に拍車が掛かったが、一旦、自己嫌悪も限界に達すると、今度は、次第に頭が冷めてくるのを感じる。
 母親の助言に、松田は逆らうことができないでいた。母親のいいなりになることだけは、理性として保っていたが、元々母親はいいなり状態にする気はサラサラないのだ。松田が自分で気付いてくれればそれでいいのだと思っていただけだった。
 真美は知らないが、自分のボーイッシュな一面は、そんな母親からの遺伝だったようだ。遺伝については父親を見ていれば分かる。学生時代に遺伝に興味を持ち、いろいろ調べたこともあったが、なかなか面白いものである。
 二人が結婚にまで至るのを、まわりは意外と分かっていたようだ。
「二人は似た者同士だからな」
 と、言われて、二人ともビックリしたようだが、まわりからは、
「二人とも性格がまっすぐだから、分かりやすいのさ」
 と、言われて、思わず顔を見合わせ、苦笑した二人だった。
 これもまた娘に遺伝したのだろう。真美も、よくまわりから、
「分かりやすい性格だ」
 と言われていたのだ。
 分かりやすいところが似ているからと言って、実際に生活をしてみると、共通点は少なかった。趣味も合うわけではないし、好きな色も違っていた。実はその頃まで父は青色系統が好きだったのだが、母の好きな色がワインカラーだということで、自分もなるべく好きになろうと努力をしたらしい。父と母の大きな違いは、歩み寄ろうと努力をする父と、努力をしない母だったに違いない。だが、母が歩み寄りをしないからと言って、面倒くさがり屋だとか、人に染まりたくないということではなかった。
「性格の違いは個性の違い。わざと合わせようなどとする必要はないのよ」
 と思っていたのだ。
 母親の考えも一理ある。その考えは、真美と同じだった。真美も人の性格に染まろうとはしないが、その代わり、相手の性格を尊重し、敬う気持ちを持っている。頭ごなしに否定したりしないのが、自分のいいところだと真美は思っているのだ。
 個性という言葉を思い出すと、優子のことを思い出す松田だった。
 優子の個性は、独特であることは分かっている。男性恐怖症でもないのに、時々、男を見る目に怯えが走ることがあった。どうして、男性恐怖症ではないと松田が思うのかというと、本当に男性恐怖症なら、男性がそばに寄っただけでも、身体が反応するものだと思ったからだ。
 松田が子供の頃、近くに住んでいる女の子が、男性恐怖症であった。その子と仲が良かった松田は、自分がその女の子に、男性恐怖症を植え付けたと思い込んでいた。本当は彼女のことが好きだったのだが、
「好きな女の子には、悪戯したくなる」
 というのが、男の子の気持ちではないだろうか。子供の悪戯というのは、他意がないだけに、却って抑えが利いていない場合がある。相手のことを考える余裕もなく、自分の思ったままに突っ走る。それが、松田の少年時代だった。
 内容は誰もがしているようなことだった。その頃はまだ、他の人と一緒のことをするのが嫌だという気はなかったので、まわりが同じようなことをしていても意識はなかった。ただ、
――皆、どうして考えていることが一緒なんだろう?
 という疑問だけは持っていた。
 女の子が困った顔や、情けない顔をするのを見るのが快感だった。皆同じ気持ちなのだろうが、それが悪いことであるという意識はあまりなかった。それでも、困った顔を見た時、こちらに対して助けを求めるような表情を感じた時、胸に痛みのようなものを感じた。
 感じた痛みは、そのまま彼女を苛めるという形で、彼女に返す。堂々巡りを最初に感じたのもその時だった。
 その頃に感じるようになったことがたくさんあった。
「他の人と一緒では嫌だ」
 という考えは、この頃に生まれた。最初からあったわけではないのだが、女の子を苛めなくなる頃には、自分の中に存在していたのだ。
 女の子を苛めるという快感は、すぐになくなっていった。一旦、
「俺は何をしているのだろう?」
 と思い始めると、次第に女の子に対して、同情的になってくる自分を感じたのだ。だが、苛めていたという事実が消えるわけではない。相手に対して同情的だなどという気持ちをまわりに知られたくない。知られないようにするために、苛めを続けていたのも事実で、すぐにやめなかったのは、くせになっていてやめられないわけではなく、まわりに知られたくないという外的な気持ちへの表れだったのだ。
 その女の子は結局男性恐怖症になったのだが、男性恐怖症になる女の子の特徴は、その時嫌というほど思い知った。何とかしてあげようと思ってもどうしようもない。少なくとも、張本人である自分には、どうすることもできないのだ。
 それから、何人かの男性恐怖症の女の子を見てきた。もちろん、もう自分から女の子を苛めるようなことはしない。誰かにひどい目に遭わされて、男性恐怖症になった女の子は、皆それぞれに特徴があった。男性恐怖症に陥る女の子には、それぞれのプロセスがあるが、似たような精神状態で、程度の問題の違いが大きかった。
 程度の問題と、受ける本人の精神状態とが微妙に絡み合って、トラウマの大きさ、そして後遺症を生み出すのだ。
 苛めが永遠に続くことはありえない。ただ、その人の性格で、
「苛めがいのある相手」
 という認識を皆が持ってしまったら、まわりの環境が変わっても、その人にとっての地獄は終わることなく、続くのである。
 ただ、それでも必ず終わりは訪れる。結局、松田が苛めていた女の子が、それからどうなったのか知らないが、知らないだけに、ずっと松田の中にトラウマとして留まり続けているのだ。
 松田は、男性恐怖症の女性を見抜くことができるのに、肝心かなめの自分の娘、真美が男性恐怖症に陥っていることを知らなかった。血の繋がりがあるからなのか、それとも、――まさか、自分の娘に――
 という気持ちがあるからなのか、どちらにしても、真美のことを気にしていないわけではないはずなのに、どうして分からないのだろうか。
 きっと、松田は、娘が男性恐怖症であることを知ることはないだろう。そう思ったのは優子であった。
 真美が男性恐怖症であることをすぐに見抜き、松田が娘を見ている目が全体を見ていないことを分かっているのは、優子だけだった。そういう意味では、松田と結婚したこと、そして娘として真美を得たことは、松田と真美にとっては、幸いだっただろう。
 では、優子にとってはどうなのだろう?
 松田も、真美も、優子の本当の姿を分かっていないだろう。優子を妻として見る松田、優子を母親として見る真美。どちらも違和感がある。特に真美には違和感だらけに違いない。
作品名:魔法のエッセンス 作家名:森本晃次