魔法のエッセンス
ただ、お互いに好きな色と言っても少し違っている。松田がワインカラーのような色が好きなのに対し、真美は、深紅が好きだった。ワインカラーは、光沢があって、角度によって違う色に見えることもあるが、深紅は本当に真っ赤である。明るさは、ワインカラーにあるが、どちらが赤だと言えるかといえば、やはり、深紅であろう。深紅は、まわりの色を吸収しているかのようである。ただ、すべての色を吸収しているわけではなく、原色と言われる色を吸収しているかのようだった。真っ青であったり、真っ黒であったり、すべてのものを反射する真っ白でさえ、吸収できるのではないかと思えた。
「真っ白を吸収すると、ワインカラーになるような気がするのよ」
色のバランスと調和は、絵を描いている時にいつも感じていた。色のバランスの取れた場所でのデッサンは、キャンバス全体のバランスをも凌駕しているようだ。真美が真っ赤を好むのも、色のバランスの調和が一番取れそうに思うからで、自分が好きな色とも重なったことは、真美を絵の世界に引き入れた最大の理由だったのかも知れない。
今までに、花の絵を描いたことはあまりなかった。風景画を描くとしても、基調にしているのは、深緑だった。深紅と対になる色として、深緑にも興味を抱いていた。真っ赤が色のバランスを取る極右であれば、深緑は極左に値すると思っている。
大きな池を中心に、まわりを森で囲まれた、秘境のようなところに、大きな洋館が建っている。学生時代に、友達四人と出かけたが、洋館は、まわりを真っ白に色塗られていて、光を一身に浴びることで、まわりの緑が引き立っていた。
反射した光は、時折吹いてくる風に煽られてたなびく森の枝についた緑の葉を、明るい緑にも変えることで、まるで森全体にウェーブが掛かったかのように、遠くまで緑の架け橋を走り抜けるのを感じさせた。風に耐えられず落ちてくる葉っぱは、まわりながら、緑を光に変えていく。
それを静止画として描くのは、最初はもったいないみたいに思えたが、描いてみると、静止画こそ、ふさわしい光景もあるのだということを、表していた。光が奏でる世界に、色というコントラストがエッセンスを交え、芸術は、初めて光り輝くものであることを知ったのだ。
洋館は宿泊施設になっていて、ほとんどが常連客であった。真美の友達の一人が常連客ということで、泊りに行ったが、皆絵を描くことが好きな仲間なので、時間を有意義に過ごすことができた。
二、三度訪れたが、行くたびに、雰囲気が違っている。季節が違うのだから当然なのだが、この場所は冬になって、葉っぱの数が減っても、深緑に覆われた景色に変わりはなかった。
実に不思議な光景だと思っているのに、慣れてくると、季節感を感じさせない。夏でもひんやりとしていて、風は冷たく、冬になると、今度は、風が吹いても冬の冷たさではない。どこか温かさを含んだ風は、湿気を帯びているかのようで、ずっと表にいても、苦痛ではなかったりする。
優子を見ていると、その時の洋館を思い出す。
おういえば、白いドレスを着たお姫様のような雰囲気の女性を一度だけ見たことがあった。
「常連のお客様ですが、どこかのお嬢様のようですよ。ただ、病弱なようで、こちらには、静養に来られているようです」
と、賄いさんが教えてくれた。
激しい運動はできないとのことで、なるほど、白い衣装がよく似合う色白な肌は、白いドレスが透けて見えるほどだった。
深緑の中に真っ白いドレス、目立っているようだが、白い色がまわりの緑に吸収されているかのようで、白い色の知られざる特徴である、他の色との調和に弱いことを示しているかのようだった。
白は自分から力を発すれば、これに適うものはないのだろうが、内に籠ってしまうと、簡単に他の色に負けてしまう。
「白は汚れ目が目立つ」
と言われるのも、そのせいである。
確かに白は、他の色に馴染みにくい。それだけ、他の色から攻撃されると、汚れ目として残ってしまい、明らかに負けが決定してしまう。まるで諸刃の剣のようだ。
年齢は、今の真美くらいだっただろうか? 見た目はまだ未成年の雰囲気だったが、遠目から見ると、二十代前半に見える。落ち着いた雰囲気を、身体全体で発しているのを見るには、少し離れないと分からないのかも知れない。
優子を最初に見た時、その時のお姉さんの雰囲気があった。ただ、すぐに思い出せなかったのは、優子に感じた「深紅」の色の感覚が頭から離れずに、お姉さんに感じた真っ白いイメージも頭から離れないからだった。
お姉さんの色のイメージを「真っ白」だとは感じているが、それが純白だとは思えない。純白には、汚れない色というイメージが強く、そこには他の色の影響を受けることのない白さがなければダメなのだ。
お姉さんの場合は、純白ではない。弱弱しさがあるために、他の色から侵略され、汚れ目の目立つ白になってしまっていた。ただ、純白は、他の色を寄せ付けない威厳があるが、威厳を持ってしまうと、他の色と調和などできっこないのだ。真っ白であれば、まだ他の色と交わる力を残していて、深緑の真美とも調和が保てるのだった。
ただ、その時、真美はもちろん、優子を知らなかったはずなのに、誰かをイメージしていた。それをずっと誰だのかを意識できないでいたが、今考えてみると、それが誰だったのか、分かった気がした。
「お母さん」
と言っても、実際の母親ではなく、理想の母親の若かった頃というイメージである。今は実際に優子が義母となっているというのも、皮肉めいたものであるが、どうして、今さら友達と行った旅行を思い出すのか、不思議であった。
松田がワインカラーを好きになったのは、子供の頃からではない。むしろ子供の頃は、青系統の色が好きだった。
「原色系が好きだ」
というのは、今も変わっていないが、子供の頃から青色が好きなったのは、
「赤というのは、女の色」
というイメージが強かった。
子供の頃から、あまり身体も大きくなく、色白で声変わりも遅かったことから、
「女のようなやつだ」
というイメージで見られがちだった。
そのせいで、松田はなるべく女の子をイメージさせるものを敬遠していた。もちろん、花に興味を持つなど、女の趣味だと思っていたので、花の種類を知らないことこそが、男らしさだという間違ったイメージを持ったまま、大人になって行ったのである。
しかも、松田は、女の子に興味を持つようになったのも、遅かった。中学の頃までは、異性に対しての興味もなく、なかなか身長も伸びなかった。色白で、学校ではスポーツも苦手だったことで、自分から、
「男っぽさがどこにもない」
と、思い込んでしまっていた。
スポーツが苦手なことは、男女の境には関係ないはずなのに、そこまで考えてしまうのは、それだけ松田の悩みは深かったということだ。誰にも相談できずに一人で悩んでいたが、それこそ、男らしさだというべきではないだろうか。それに気づかないというのも実に皮肉なことで、就職してもまだ、自分の男っぽさという意味で悩んでいた。
それを払拭できたのは、どうやら、真美の本当の母親に出会ってからのことだった。