魔法のエッセンス
今まで、自分を年相応に感じたことはあまりない。若かった頃の感覚が、いまだに残っていて、二十歳の頃が、まるで昨日のことのように思い出されるのだ。
その頃、優子は、小説を書くことに夢中になっていた。題材は、いつも未来の自分をイメージすることが多く、多かったのが、中学時代の自分が、十年後を想像して書くことだった。
まだ十五歳くらいのイメージの十年後なので、二十五歳の自分をイメージしてなのだが、書いている本人は、まだちょうどその半分くらいまで辿り着いたところであった。対岸にいて、先を見つめている自分をちょうど、三角形の頂点のように見ている感覚を抱きながら、書いていた記憶があった。
絵を描くのが好きな真美、そして、二十歳の頃に小説を書いていた優子、それぞれに共通点があった。しかも優子は、今でも二十歳くらいの頃を一番よく思い出す。もし、今小説を書くとすれば、男女、どちらが主人公であっても、二十歳くらいの人をイメージして書くに違いない。
二十歳のイメージというと、どうしても恋愛になってしまう。優子が書く恋愛小説は、純愛ものが多かった。女性同士の愛を描けるほど、自分の才能はないと思っているし、いくら自分が作り出す小説であったとしても、女性同士の愛は、犯すことのできないものとして、描くことを拒むに違いない。
実際に、優子が書いている小説は、フィクションだけだった。ノンフィクションは書きたくないという思いがあり、逆に読むのが好きな歴史小説などは、書こうとは思わない。読む作品と書く作品、優子の中では明確に別れている。真美とそのあたりが似ていて、他の人と同じであることを拒むのだろう。
松田との共通点は、歴史が好きだということだろうか。最近でこそ、歴史に造詣の深い女性も増えてきたが、昔は、歴史が好きな女性など、珍しかった。松田に女性の友達が少なかったのは、歴史の話で盛り上がることはできなかったからだろう。歴史の話題くらいしかない松田では、なかなか女性との会話が成立することも難しかったのだ。
松田は、学生の頃、あまり歴史に興味がなかった。友達と話をしても、基本的な話すら分からない。だが、松田の頭の中には、
「歴史の話題ができる人は、話題性が豊富で、会話が繋がる人なんだ」
というイメージがあった。
それだけに、歴史に疎かった自分を恥かしく思い、大学三年生くらいから、遅まきながら、本を読むようになった。
本は高校時代の歴史の勉強のように、暗記物ではない。裏話などの興味を持たせる話が結構掲載されていて、読んでいて楽しいものだった。
歴史の本は、フィクションもあり、歴史サスペンス関係も松田は好きだった。だが、それも史実を知っていればこそのこと、何も知らないで、ただ読むよりも、数倍面白いことを知っていた。
そのことを優子と話すと、
「そうなんですよ。私が歴史に興味を持ったのも、そこのところで、歴史に「もし」があったら? という発想が楽しくて、本を読んでましたね」
と、話していた。
「まさしく、その通り」
会話が弾むとは、こういうことを言うのだと、二人で感心していたものだった。
歴史の話から、二人は学生時代の話を始めた。結構、似たものに興味を持っていたようで、会話がまた弾み始めた。こうなると、仲良くなるのも必然で、一気に結婚の話にまで、発展していった。
「結婚とは、タイミングが問題だ」
とよく言われるが、まさにその通りで、勢いもタイミングの一つということになるのだろう。
結婚を最初に言い出したのは、優子の方だった。
意外だったのは松田で、結婚の話が出た瞬間、一瞬戸惑ってしまった。
「俺は離婚経験もあって、娘もいるんだけど?」
「関係ないわ。だって、あなたと一緒にいられれば、私はそれでいいの」
実は、まだ優子を抱く前だっただけに、松田はビックリした。年齢的にも再婚するとすれば、初婚の相手はありえないだろうと思っていたからだ。
松田が結婚を意識し始めたことは、真美にも分かっていた。結婚相談所からの郵便を、粗末にし始めたからだ。それまでは、結婚相談所からきた手紙を、楽しみにあけていたのに、今では、手に取ろうともしない。それを見た時、
「お父さんは、誰か好きな人ができたんだわ」
と、直感したものだった。
真美と別れた勝則は、それからしばらく、大人しくしていた。優子の分析した通り、勝則は、別に一人でも、寂しいとは思わないタイプだった。ただ、
「自由なので寂しくない」
というわけではなく、孤独が嫌いなわけではないのだ。
かといって、孤独が好きな人はいない。孤独と自由以外に、孤独が嫌いではない理由は思い当たらないが、要するに、「慣れ」のようだ。
孤独に慣れてしまっているので、賑やかだと却って自分の居場所が分からない。一人だと何とかなるという考えが強く、その日、その時が何とかなれば、とりあえずはそれでいいという考えなのだろう。
「ものぐさなのかしら?」
と、優子は感じたが、当たらずとも遠からじであろう。
天邪鬼な人は、まわりにも天邪鬼な人が集まるもので、ただ、天邪鬼だということを本人自身が自覚していない場合もあるので、なかなか近づいてきても分かりにくい。優子にしても真美にしても、天邪鬼だと言えるだろう。二人はお互いに天邪鬼だと意識しているので、接しやすいが、勝則の場合は、どうやら、本人の意識がほとんどないようだ。そのために、真美にも優子にもなぜ彼が近くにいるのか、なかなか分かりにくいところがあった。
優子が気付かなければ、誰も気づかなかったかも知れない。
優子は気付いても誰にも言わないが、オーラのようなものが発せられ、考えが分かってしまうようだ。
「分かりやすい性格」
だと言えば、それまでなのだが、優子の考えていることは、意外と誰も分からなかったりする。
優子が近づいてきた時、さすがに、勝則は驚いた。
「何だよ。俺はもう、あんたに付きまとったりはしないよ」
と、完全に、びくついていた。これがストーカーのなれの果てなのかと思うと少しショックもあったが、元々は、自分が大げさに騒がなければ、よかったことでもあった。だが、あの時の優子は、普段は感じることのない中途半端な正義感を振りかざしたようなものだった。
「もし、このまま放っておけば、この人は他の誰かにも同じことをするかも知れない」
と、そう感じたのだ。
本当は、優子はそんなに正義感の強い方ではない。自分がこの青年に気を許した正当性を、何とか示したいという気持ちがある。それは誰に対してというわけではなく、自分に対してのことだった。
しかも、彼は完全に、優子を敵視している。そんなところが、母性本能をくすぐるのだろうが、確かに、彼に対して申し訳ないという気持ちが強いのも当たり前のことである。
優子は、自分に弟がいたのを思い出した。幼児の頃に病気で亡くなったと聞いたが、実際に見たことはなかった。生まれてからすぐ、母親は親戚を頼って、落ち着くまで世話になっていたらしいが、帰ってきた時は一人だった。