魔法のエッセンス
普段は別に変わった様子もない。真美と一緒にいる時は、影から見ることはしなかった。優子が一人でいる時を、勝則は観察していたのだ。
もう、勝則の頭の中には、真美はどうでもよくなっていた。未練はないという気持ちの表れだが、真美に気がないと思ってしまえば、今度は優子に対して恨みもなくなってくる。一人の女として優子を見つめていると、何でもない普通の女だと思っていた考えに、少しずつ変化が訪れるのだった。
「俺って、年上の女に恨みを持っていたつもりだったのに、年上の女が実は好きだったんだ」
と感じるようになっていた。
考えてみれば、同年代の女を意識したのは、真美だけだった。それ以外は、恨みを持った女も含めると、ほとんどが年上だった。いい悪いは別にして、自分のまわりには、確実に年上の女が寄ってくる。そして、自分の人生に多大な影響を与え続けていたのだ。
今までに、そこまで女に対して考えたことはなかった。思春期には他の連中同様に、女性に興味を持ったが、あまり気が乗らなかったのは、皆と同じように同年代の女の子しか見ていなかったからだ、同年代の女の子が子供だというわけではないが、自分にとって感じるまでに至らないのは、最初、女に興味がないのかも知れないと思ったからだ。
だが、年上を恨んでばかりいたのでは、永遠に女性を好きになることはなかったかも知れない。それなのに、真美を見た時、他の女性と違っていたことで、それは、勝則の目から見て、真美が現実的に見えたからだ。
女性の中には確かに現実的な人もいるが、真美の場合は違っていた。自覚しながらも、どこか現実的ではないところを求めているところが、勝則には不思議に思えたからだ。そのことは、まだ真美自身でも気づいていないことで、きっと、今までの誰も気づいていなかったことを勝則が気付いたに違いないのだろう。
真美が現実的なら、優子はどうだろう?
見た目はメルヘンチックなところがあり、いつも楽しそうに見える。だが、それは他の人の目から見た場合で、勝則が観察した分には、優子も真美と同じ、現実的なところを多分に持った女性であると思えてならなかった。
「真美よりも、もっと現実的なのかも知れない」
花屋で接客している時の笑顔が、どこかよそよそしく見えている。本心からの笑顔ではなく、完全な営業スマイルである。そんな優子を見ていると、勝則には、真美や松田が感じた以上に、優子は若く見えているようだ。
遠くからではハッキリと見えないが、肌つやもまだ二十代に見えているかも知れない。本当の年齢は最初から調べていたので、観察を続けるうちに、気持ち悪くなってきた。
だが、気持ち悪さとは裏腹に、勝則の心の中に、優子を慕っている自分がいることに気付き始めた。
「どういうことなんだ?」
勝則は、今までにも、自分のことが分からなくなることが何度もあったが、そのたびに、落ち込んでは、立ち直ってきた。鬱病のようなものだと思っていたが、他の人がなる鬱病とは少し違っているようだった。
「俺は、他の人と同じでは嫌な性格だからな」
と自負しているだけに、今回の感覚も、また落ち込んで、すぐに立ち直るだろうと思っていた。
だが、なかなか落ち込む感じはなかった。むしろ、落ち込むというよりも、人生が楽しくなるくらいの感覚が生まれたのだ。
人生が楽しくなる感覚は、頭の中に優子を思い浮かべた時だった。優子を想像していれば、心地よい時間に包まれて、安心感が芽生えてくる。こんな感覚は今までに味わったことのないものだった。
だが、人間には欲というものがある。それだけでは我慢できなくなる時が必ず訪れるもので、
「このまま、想像だけを繰り返していては、どうにも我慢ができなくなる」
と、感じた時、焦りから汗が溢れてくるのを感じる時が出てきた。
夢の中でも優子が現れる。優しく微笑んでくれる優子は、勝則に手を差し出すのだった。差し出された手に手を合わせると、そのまま優子に引っ張られたまま、身体が宙に浮く感覚が生まれてくるのだった。
夢の中の優子は、妖艶だった。普段の花屋さんの雰囲気はなく、笑っていても、含み笑いになっている。手招きをしながら、真っ赤な唇が歪むのを見ると、自分が逃げられないのを悟った。
「逃げる気なんて、さらさらないさ」
このまま、優子に抱かれたまま、じっとしている時間が永遠に続くのではないかと思い、不安にはなったが、
「不安の何が悪いんだ」
と、言わんばかりに優子の膝に頭を乗せた自分が、遠くの空に手を伸ばすと、届いてしまのではないかと思いながら、また夢を見てしまいそうな気がしていた。
夢の中で、また夢を見ようとするのもおかしなものだ。
夢が現実の正反対であれば、現実の中にさらに現実を見つけようとする貪欲さを、どこかで感じたような気がした。
「そうだ。真美が現実の中の現実を見つけようとしているのを感じたような気がしたんだった」
と、夢の中で真美を思い出していた。
すると、真美が自分の知らないところで、優子と接していたことに、またしても腹が立ってきた。
「しまった」
感情をあらわにすると、せっかくの夢の中を壊してしまう。下手をすると、このまま目を覚ましてしまうのではないかと思うほど、自分の中で危惧するほどだった。
夢から覚めることはなかったが、ただ、優子と二人だけの夢の中に、真美が入り込んできたような気がして、今までに感じたことのない真美への恨み。これはこの間まで感じていた、
「真美を奪われたことへの優子に対しての恨み」
それとは、少し違っていたが、本質は同じではないかと思えた。自分が大切にしたいものを、他人に邪魔される。これほど腹が立つ苛立ちはあるまい。
勝則は、今までに、自分が何を大切にしていたのかなど、考えたこともなかった。大切なものは、心の中に自然に閉まっておくもので、必要のない時に取り出すものではないと思っていた。だが、時々確認してみないと、自分の人生が見誤ったところに行くのではないかと思うようになったのも事実だった。勝則は、いつも誰かを大切に想い、そして、邪魔する人に恨みを持つというエネルギーがなければ、人生など楽しくもなんともないのだと思うようになっていたようだ。
ただ、今自分の中で不安なのは、今までに好きになった相手と優子とでは、何かが違っていることだった。ここまで情熱的な気持ちになったことなど、なかったのではないだろうか。
情熱とは、燃えるようなものがあって初めて情熱と言える。勝則の中にある燃えるものは、青白い炎に包まれている。
「静かに燃える冷たい炎」
真っ赤に燃えている炎など、想像がつかなかったのだ。
勝則は、優子の観察を止めなかった。それが自分にとって、取り返しのつかないことになるなど、想像もしなかったことだろう。
声を掛けようにも、真美がそばにいては掛けられない。
「どうして、あんたなんだ?」
勝則は、自分が好きになってしまった相手を恨んだ。真美を奪った相手だといって恨んだ感覚とはまったく違う。今度は、真美が邪魔なのだ。