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魔法のエッセンス

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 と思うようになった。娘としてというよりも、第三者として見ていると、二人の間の亀裂に修復は不可能に思えたからだ。
 根拠があったわけではない。見ていて二人の間にあるのは、膠着状態だけだった。膠着状態がしばらく続けば、必ずどちらかが爆発する。爆発してしまえば、本当に修復は不可能なのだ。嵐の前の静けさは、一触即発以外の何物でもなく、黙って爆発を待っているだけの時間なんて、何もできずにただ死を待つのみだというだけのものでしかない。
 何も考えなければ、それでいいのだろうが、そうもいかない。少なくとも家族がいるのだから、どこかで打開しなければいけないことだ。そうなってくると、離婚以外に手はないことに気付くのだ。
 家族の中で一番執着心の強いのが、父だった。それだけに離婚までに少し時間が掛かった。その分痛手も大きく、それは父だけではなく、母にも言えることで、もちろん、真美にとっても同じことだった。
「真美は、それでも、お父さんがいいの?」
 と、最後に母親から言われたのを思い出した。
「うん、お父さんがいい」
 その時の何とも言えない驚きと、寂しさ、そして不安を感じさせる母の顔を初めて見た気がした。
――ひどいことをしているんだろうか?
 思わず、真美は母を見て、自分の選択が間違っていたのではないかと思った。だが、もう決めてしまったことであり、まわりもそれで動いている。
 真美の人生の中で、「もし」が存在するとすれば、間違いなくその瞬間だっただろう。
「もしあの時、母について行っていれば……」
 まったく、想像もできない自分が出来上がっていたことだろう。
「私と母とでは、あまりにも違いすぎる」
 とにかく明るい母を見ていると、いつも不安にさせられる。父がいつも不安そうな表情をしているのは、少なくとも母親の影響があるからだろう。そう思うと、父を放っておくことはできなかったのだ。
 父が急に怒り出す性格だと気付いたのは、離婚してからだったが、元からそういう性格だったのかも知れない。その性格まで押し殺して、母と一緒にいたのだとすれば、それは情けないというよりも、
「私が何とかしてあげないといけない」
 という、使命感のようなものが宿ってくるのを感じたのだった。
 母と離れてから少しして、真美は母親に似た女性と知り合う機会があった。
 それは、友達のお母さんだったのだが、その人は、社交的な性格で、友達も同じように学校では目立っていた。
 彼女の母親は、いろいろな男性と一緒にいるところを見かけたが、別に付き合っているというわけではなさそうだ。
「お母さんは、男性の友達が多いっていうだけのことなのよ」
 母親によからぬ噂が耳に入っても、
「根も葉もない、ただの噂だから」
 と言って、聞く耳を持たない。
 そこが真美には分からなかった。
「どうして、そんなに平気でいられるの?」
「だって、本当に根も葉もないことなんだから、気を揉んでも仕方がないし、何よりも、当の本人が気にしていないんだから、それでいいんじゃない?」
 確かに、彼女の母親は、ほとんど気にしていないようだ。
 いつもニコニコしていて、明るさだけを表に出している。いかにも男性が好きになりそうなタイプなのだが、その時、
「この人は、これだけニコニコしているのに、年相応にしか見えない」
 と、真美が感じたのは、偶然だったのだろうか?
 ニコニコしていると確かにまわりに与える影響にマイナス面は何もない。明るさを振りまくことは、まわりに元気を与え、自分をまわりに綺麗に見せる効果があるのも、分かる気がした。
 どんなにいい顔をしていても、すべてがいい方に向いていると、却ってどこかに歪みが生まれるように思う。それが、年より若く見えることではないのだろうか。
 もし、年より若く見えたとすれば、まわりは、彼女に対して一点の疑いも抱くことのない女を作り上げてしまう。まわりによって作られた性格であったり表情は、思い込みを生むだろう。人それぞれで性格も違うので、見ている人の感じ方も違ってくる。彼女がすべての面でプラスであれば、その分、まわりの一人一人が感じる感覚は、最大限に広がってしまうことだろう。
 それが本人にどのような影響を与えるかを考えると、結局苦しみは、本人に戻ってくる。そう思うと、一つくらいマイナス面がなければいけないだろう。
 それでも、たまに友達の母親は、不安そうな顔をすることがあるという。それは娘にしか分からないことらしく、娘の顔を見て、我に返った時、初めて母親の顔から不安な表情が消えるのだという。
 真美はその時の友達の話を思い出していた。若く見えている優子は、心から笑顔を見せたことがないような気がした。もし、心からの笑顔を見せれば最後、魔法の効力が消え、若く見えることがなくなり、年相応の優子になってしまうだろう。
――年相応の優子は、どんな顔なのだろう?
 見てみたい気もしたが、勇気がいることで、今の真美には怖くて見ることができない。もしこれが、昨日までであれば、見てみたいという気持ちの方が強かったが、今の真美は、優子の身体に魅せられている。そんな状態で、年相応の優子を真正面から見ることができるだろうか?
――いや、ひょっとすると、優子が若く見えるのは、真正面から見ていないからだけではないだろうか?
 と、思うようになった。
 それを確かめるのは、怖いのだが、その機会は今夜訪れる。真美が拒否しない限りである。
 拒否などできるはずはない。それほど気持ちが前を向いても、横を向いても、後ろを向いても、すべてに、同じ優子の身体があるだけだ。
――包み込まれている――
 と、思っただけで、反応してしまう身体を抑えることができない。もはや、相性だけで語られるものだろうか?
 母親の羊水に浸かっているかのように思うのも、安心感を得たいからだ。優子にも安心感を求めて、委ねる気持ちになっているが、その裏には、ハッキリとした不安が募っている。
 以前に、女性に抱かれる夢を見たことがあった。夢を見ている間、身体から吹き出してくる汗に心地よさを感じていたのを覚えている。相手の女性は、寡黙だった。何も語らずに、ただ、身体を貪ってくる。
 何も話しかけてくれないことで、不安が募るばかりだった。だが、不安を払拭するのは、快感だけだった。
 それでも、最初は、必死に快感を表に出すのを躊躇っていた。表に出すことが怖かったからだ。相手は何も答えない人、快感をあらわにしてしまうと、そこで自分の負けだと思ったからだ。
 女性は女性の敏感な部分を知っている。何もかも知られているようで、男性から抱かれるよりも、ある意味、快感を味あわさせられるのかも知れない。
 そう思うと、身体から吹き出してくる汗は、快感であると同時に恐怖から湧き出してくるものなのかも知れないとも思う。
「恐怖は快感の裏返し。快感のない恐怖はあるが、恐怖のない快感はない」
 という話を聞いたことがあったが、今の真美なら理解できる。
 恐怖と不安も心理の内では似たところにある。不安を恐怖と感じることで、不安を伴う快感を、恐怖だと思い込んでしまっているのではないか。
作品名:魔法のエッセンス 作家名:森本晃次