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交差点の中の袋小路

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 夕日が落ちていくのをじっと見ていると、太陽が次第に大きくなっていくのではないかと思える時がある。錯覚には違いないが、それも色の微妙な違いなのではないかと思うのだが、違うだろうか。
 夕日を眺めながら歩いていると、気だるさを感じる。夕凪の時に感じる気だるさとはまた違っていて、それは暑さで掻く汗と、湿気によって掻く汗の違いのように、身体では分かっていても、口に出すと、どう表現していいのか分からなくなってくる。
 その日は、交差点を渡り始めて渡り終わるまでの速度がハッキリと分かっていた。自分の中でシミュレーションができる日であった。
 シミュレーションができる人というのは、決まっているように思う。時々できることは感じていたが、同じ感覚ではない。微妙に違っていて、それは何日以上開いていなければいけないというような法則性を必要とせず、また曜日のように決まったものでもない。どちらかというと、その時の体調によるものだという方がイメージとしては近いかも知れない。
 渡りきるまでの時間を勝手に想像していると、目の前を歩いているもう一人の自分を意識できる。ただ、それは一人ではない、何人もいるのだ。
――一日前、二日前、そしてあれは一週間前――
 といったように、過去の残層が交差点の中に残っているように思えるのだった。その錯覚を見せるのが夕日であり、夕日が交差点にもたらす力を思い知らされる瞬間でもあるのだ。
 交差点を途中まで渡ってくると、今まで感じたことのない汗を感じた。自分の後ろ姿を初めて感じた時にも同じ汗を掻いたが、焦っている時に掻く汗に、一番近い感覚のするものだった。
 汗というものは、いろいろな時に掻くものだが、突き詰めれば、それほど種類のあるものではない。暑さから、そして焦りから、ほとんどこの二つに集約できるのではないだろうか。
 汗を掻くことで体温調節をし、焦りを和らげようとする効果もあるだろう。要するに身体の奥から発せられたSOSを察知し、身体が反応するのが、汗というものだろう。
 汗を掻くことで、体温調節を行いながら、交差点を渡っていると、前から歩いてくる集団が迫ってくる感覚に陥り、次第に自分が背中から仰向けに後ろ向きに倒れていってしまいそうな錯覚に陥る。
 その時に、見える夕日の眩しさが、意識を遠ざけていくようで、気が付いたら、すでに反対側にまで渡っていたという不思議な夢を見たことがあった。
 その日はそんなイメージを感じる日だった。前から迫ってくる人を避けながら、
「まだ避けないといけないのか?」
 と、独り言を呟きながら歩いていると、どこかで会ったことのある人が横をすれ違った気がした。
 どうして分かったかというと、匂いである。金木犀のような甘さと、柑橘系の匂いが混ざったかのような独特の匂い。以前にも感じたことのあるこの匂いに反応したのである。
 感じたのも、そう遠くない過去だった。遠くても一週間前。自分が感じた匂いは、鼻孔をくすぐりすぎて、しばし、鼻の通りが悪くなるほどだった。
 最初は。
「なんて趣味の悪い匂いなんだ」
 と思ったが、三日目くらいから、
「懐かしさを感じるこの匂いが、忘れられなくなりそうだ」
 と思うようになっていた。
 実際に忘れられなくなっていたが、それからすぐにまた同じ匂いを嗅ぐことになるとは思いもしなかった。
 一週間という期間がどれほどの長さに感じるかということを、思い知らされた気がしていた。一週間が長いか短いか、それは一日から見るか、一か月から見るかの違いではないかと思っていたが、一週間という期間だけを捉えると、
「短いのかも知れない」
 と感じた晴彦だった。
 その匂いを再度思い出したのが、昨日だった。
 自分の部屋から喫茶店までの道のり、交差点に差し掛かるといつも思い出してしまう夕凪の時間、しかし。その時は夕凪の時間を意識することなく、実際の朝を感じていた。その上で、歩いているうちに、交差点が見えてくると、
――今日は匂いを感じるかも知れない――
 という予感めいたものがあった。
 別にいつもが怯えながら歩いてるわけではないが、その日は自分が堂々としている感じを受けた。背筋は伸びて、前をしっかり見つめている。以前のように夕凪を感じてしまって、気だるさから身体がのけぞって倒れるような感覚もまったくなかったのだ。
 交差点に差し掛かると、やはり目の前からいつもと同様に人の群れが襲ってくる。臆することなく歩いていくと、ふっと匂いを感じた。
――この匂いだ――
 と思い、振り返ると、すでに人の群れは後ろに過ぎ去り、誰が放った香りなのか、まったく分からない。人ごみは一集団の固まりとなって、どんどん遠ざかっていく。
 普段なら、そのまま通り過ぎるものを、晴彦は渡り始めたところまで戻っていた。意識をして戻ったので、違和感はなかったが、戻ってみても、集団に追いつけるわけではなく、ハッキリと分からないもののために戻ってしまった自分の行動がしばらくすると分からなくなっていた。
――なぜ戻ったのだろう?
 しばらく信号が変わるのをボーっとして待っていたが、変わった瞬間、歩き出した。無意識の行動で、
――青なら渡る――
 という本能という意識が晴彦を動かしたのだろう。
 再度、交差点を渡る。
 今度はあっという間に渡りきった。前から迫ってくる人の数も心なしか少なかった気がして、匂いも感じることはなかった。今渡りきった時に感じたのが、まるで昨日のことだったように思えるということだった。それとも、さっき渡ろうとしてやめたのは、後ろ向きの世界を見せるための本能の行動だったのだろうか?
 時計を見てみると、さほど時間のロスがあったわけではない。ほんの数秒遅れているくらいだ。
――数秒というのも、何を基準に考えているんだろう?
 自分が歩くスピードから逆算して? いや、そんなことができるはずがない。ひょっとすると、そのまま渡りきっていた時の自分の残像が見えたのかも知れないと感じたほどだった。
 横断歩道を渡りきり、昨日のことを思い出しながら歩いていた。
――確か、昨日は近藤と一緒に、近藤の馴染みの店に行ったんだったな――
 その店で、さっき交差点で感じた匂いを嗅いだような気がした。元々それが芳香剤で、お店が同じ芳香剤を使っていただけなのかも知れない。あるいは、お店にいた女の子の中で同じ化粧水を使っていた人がいたのかも知れない。いろいろな憶測が生まれたが、晴彦には女の子が使っていた化粧水ではないかと思えてならなかった。
 晴彦が、交差点に対して特別な感情を持っているのを知っている人はいないはずだ。子供の頃に一緒に事故を目撃した人や、大学時代に喧嘩を一緒に目撃した人であれば、分かる人もいるかも知れないが、すでにその頃の友達とは連絡も取っていない。
 晴彦は大学卒業を機に、学生時代の友達とあまり接することがなくなってしまった。自分自身、それどころではないというのも本音だったし、それだけに、皆も同じ気持ちだと思い、遠慮からもあって、こちらから連絡を取ることがなくなると、誰からも連絡してこなくなった。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次