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交差点の中の袋小路

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 それぞれに自分勝手な言い分を持っている。運転していればイライラもするし、人は歩いていると、常に危険と隣り合わせであることに気付く。しかも車に乗っている人もバイクにも乗れば、歩くこともある。歩いている人だって、たまたまその時に歩いていただけで。実際には車に乗ることが多い人もいるだろう。
 事故を思い出すと、晴彦は生々しさだけが思い出される。リアルな感覚ではなく、覚えているのはモノクロの光景だった。
「夕凪の時間というのは、目の前のものをモノクロに見せてしまう。だからこそ、事故が多発するんだ」
 そう言っている人がいた。確か警察の人から聞いたと言っていたが、まさしくその通りだ。
 事故を目撃した時と、翌朝の新聞で見たモノクロのイメージが頭の中を巡っている。
 モノクロのイメージが次第に強くなってくる。モノクロの方がよりリアルさを出しているように思うのは、晴彦だけだろうか。
 リアルな感覚は、光と影がクッキリ現れているのが、モノクロであることを教えてくれるからだ。光が影を覆い隠そうとするのを、影が光に逆らうようにしてクッキリとその境目を写し出している。
 光と影が織りなすコントラストは、モノクロの方がよりリアルであることを教えてくれる。
 夕凪は、そんな時間帯である。毎日数分から数十分の短い間であるが、必ず毎日訪れる。よほどの天気の悪い日はないかも知れないが、天気の悪い日は、ずっと夕凪が続いているようなものだった。
 晴彦が夕凪を感じるようになったのは、小学生の頃だった。
 学校で遊んで帰る頃、夕凪の時間にちょうど交差点を通ることになった。小学生の頃にはさすがに事故を目撃することはなかったが、生暖かい風を感じ。初めて、
「風って匂いがするんだ」
 と思ったものだ。
 風の匂いを感じるのは、それから何度もあった。ただ、それは風だけではなく、地表から湧き上がる匂いだったのだ。
「地表の塵が、温められた地面から、蒸気となって吹き上がるんだけど、それは雨が降る直前のことなんだよね」
 と、小学生にくせに、やけにそういう雑学の得意なやつがいて、その友達から教えてもらったものだった。
「夕凪というのは、それに似たもので、雨が降る時も事前に分かるように、夕凪も時間がくるから分かるんじゃないんだ」
 と言っていた人がいた。
 確かに夕凪は時間が来るから、分かるという人もいるだろう。だが、夕凪の存在自体があまり知られていない。夕凪の時間が、
「夕方の風が止む時間帯」
 と、いう意識を持っている人はその中のほとんどだろう。
 だが、晴彦は夕凪の時間帯でも風を感じた。
 いや、夕凪の時間帯にだけ吹く、特別の風があることを知っているのだ。
 生暖かい風は、普段の風とは明らかに違っている。湿気を含んでいるように感じるが、雨の前触れの風とも違っている。
 夕凪を最初に感じたのは、交差点ではなく、まったく違った場所だった。
 田んぼのあぜ道を舗装しただけのような道、車が離合するのにギリギリの道幅、それでもスピードを出して向かってくる車を避けるようにして歩いていた時のことだった。
 どうしてそんな道を通ったのか覚えていないが、道の先に目指す場所があったのだが、それが病院だったのを覚えている。誰かの見舞いだったのか、それとも、自分のためだったのか、それすら覚えていない。ただ、その時の自分が子供ではなく、すでに大人になっていたように思う。
「初めて夕凪を見た光景を思い出しているはずなのに」
 大人になっているというのは、どうしても合点がいかないが、意識の中での事実なので、意識として曲げることはできない。
「夕凪って、こんな自然現象なんだ」
 どんな自然現象だったのかを感じたのかは、言葉にできるものではない。風のない時間帯のはずなのに、最初に感じる特徴は、その「風」であった。不可思議な出来事は説明できるものではないが、夕凪というのも同じようなものであろう。
 交差点に差し掛かって感じた夕凪。もし、これが初めて感じたのだというのであれば、晴彦の中にある夕凪という意識は、かなり違った意識として、記憶の中に残っていたかも知れない。
 交差点で感じた夕凪は、完全に湿気を含んでいて雨が降る時に感じる匂いも一緒に感じていた。
「排気ガスで汚れてしまった空気が、感覚を鈍らせてしまったのかも知れない」
 晴彦はそう思えて仕方がなかったのだ。
 交差点にはそれだけ嫌な思い出があった。
――交通事故、喧嘩の目撃、夕凪への思い――
 それぞれに繋がりがあり、根本は一本なのかも知れないが、春彦の中では一つになれば、すぐに別れてしまうような連鎖反応に近いものが意識としてあったのだ。
 交差点は。また出会いと別れの場所でもある。
 特にスクランブル交差点は、その思いを強く抱かせる。途中で斜め前からくる集団と接触して、一瞬にして背中方向に引き離される。誰もが、接触したという意識を持つこともなく、自分勝手に行き違っているだけなのだ。
 誰もぶつからないのは、本能がなせる業で、無意識にでも避ける気持ちが働いている。それが本能というものだ。
 交差点の中で、立ち止まったことが今までに何度かあった。後ろからの視線にビックリして立ち止まり、振り返ってみるが、そこには誰もおらず、振り返ってしまった手前、前を向くこともできずに、しばし立ち止まった。
 信号が赤に変わりそうになり、まわりに人が急いで渡るのが見えると、やっと我に返って、急いで横断歩道を渡り切った記憶もあった。
 前から来る人とすれ違った瞬間、電流が走ったような予感がしたこともあった。その人の顔を見たはずなのに、思い出せない。後ろを振り返ってみても、そこにはまったく違う人たちだけしかいなかったりする。結局はすれ違いにこそ、交差点の意義があるのだ。
「人生は交差点のようなものだ」
 というのを聞いたことがあったが、それは交わることのない平行線も含んでいることを示唆しているように思える。すれ違った時に感じた相手の存在は分かっても、見ることもできない。それこそ、
「交わることは永遠にない」
 と言われる平行線ではないだろうか。
 晴彦にとって交差点とは、平行線と同意語であり、そこで出会った人を思い返すと、その人が誰なのか、出会ったことが絶対にあるはずなのに、まったく誰だか分からないのだ。
 交差点を横切るときに感じる風と、すれ違った人たちの間にあるものを思い出そうとすると、そこにはいつもと違う時間の流れを感じる、時間の流れこそが、同じ次元でありながら他の世界との違いを感じさせるものなのだ。
 交差点を歩いていると、しばらくは、夕凪を意識せざるおえなかったが、今では夕焼けの方の意識が強い。夕焼けは夕凪の時間と違い、不気味さは感じさせないが、その代わり、他の時間にはない、派手な明るさを感じさせる。
 と言っても、本当に明るいのは昼間の時間であって、夕方ではない。夕日というと、まるで、
「ろうそくの消える前の明るさ」
 を彷彿とさせるが、それは、限りなく白に近い昼間の太陽と違い、時には真っ赤な血の色にさえ見える夕日のインパクトが強すぎるからである。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次