交差点の中の袋小路
彼女がいた時、朝、いつも待ち合わせをしていた店に出かける時の感覚に似ていた。あの時も今と朝過ごすパターンは変わっていない。目が覚めるにしたがって、その日過ごすであろう二人きりの時間に思いを馳せ、ワクワクしたものだった。
その時付き合っていた彼女は、一口に言えば、掴みどころのない女の子だった。
話をしていても、時々大きな脱線をして、晴彦を驚かせる。その内容が、晴彦が時々、ボーっとすることがあった時に考えていることに酷似しているからだった。
人の話を聞いている時、ふっと別のことを考えてしまうことが晴彦には時々あった。
「何ボーっとしているのよ」
と言われて我に返ることがあるのだが、晴彦は我に返って、まるで夢を見ていたかのように、その時何を考えていたのか、忘れてしまっていた。
だが、彼女の脱線の話が、それまでしていたのとまったく違う話だと思った瞬間、
――前にも感じたはずだ――
という思いを感じる。それが、時々ボーっとしていた時に考えていたことだと急に分かるのだが、それが夢の世界との懸け橋を見た瞬間であると信じて疑わなかった。
夢の世界はいつも同じだとは思えない。何度かある思いの中の一つを思い出したのだが、思い出した時、元々考えていたこととそのことが、どのような影響があるかということは分からない。
カギの音がしばらく耳鳴りとして残ってしまうことを感じながら、晴彦はエレベーターで一階に降りた。エレベーターが到着した時の音と耳鳴りが共鳴し、耳に違和感を感じたが、それも一瞬のことだった。
一階に降りてしまうと、さっきまでの「自分の部屋からの延長」という気分は消えていて、完全に部屋の影響の及ばない場所まで来たのだという意識に見舞われた。
晴彦のマンションは管理人はいないので、無人で暗い踊り場を抜けて表に出ることになる。
踊り場は真っ暗で湿気を帯びていることで、重苦しい空気を感じたが、この感覚もどこかで感じたと思ったが、昨日のスナックに入った時の感覚と似ている。逆に言えば、だからこそ、昨日スナックに入った瞬間に、どこかで感じた思いだと感じたことも頷けるというものだ。
表に出ると、今度は明るさだけが目立った。目の前に飛び込んできた光りは、それまでの意識をすべて吹っ飛ばすくらいに激しいもので、思わず目を瞑りかけたが、すぐに思いとどまった。
目を瞑ってしまうと、瞼の裏に赤い色が残ってしまい、それがいずれ襲ってくるかも知れない頭痛に見舞われた時、痛みを増幅する効果に結びつくことを知っていたからだ。
赤い色と言っても真紅ではない。深みを帯びた赤い色なのだ。そう思った時、
「血の色」
という意識が頭を貫いた。過ぎったなどという中途半端なものではなく、恐怖心を帯びた感覚であった。
「この色に何か嫌な思い出がある」
という意識はあったが、それが何であるか、光りを怖がっている以上、分かるはずがないと思うのだった。
「今日はどこに行こうか?」
などと考える必要はない。さっきまでコーヒーを飲んでいたにも関わらず、行先は喫茶店だった。
晴彦が馴染みにしている店で、休みの日には最近よく出かけている。他に行くところがあるわけでもなく、家にずっといて一日が過ごせるほど気長ではない。要するに貧乏性なのだ。
晴彦の仕事は土日にも出社することが多い。そのため、休みは平日に集中するのだが。出かけても人が少ないことはありがたかった。
学生時代などは、人ごみでもあまり気にならなかったが。卒業してしまうと、人ごみが苦手になった。人通りの多い道であったり、駅のコンコースにしても、人で溢れているのを見るだけでウンザリしてしまう。
晴彦が馴染みにしている店は、歩いて十五分ほど、決して近いとは言えないが、近すぎないことも却ってよかったりもする。散歩にはもってこいの距離であった。
晴彦が住んでいる一角は住宅街ではない。大通りから筋を二つほど入ったところで、思ったよりも静かなところが気に入っていた。
馴染みの店には住宅街を抜けていくのだが、ここの住宅街は結構大きな家が多く、きっと元々農地を売却したお金で屋敷を建てたのだろうというのが、晴彦の想像だったが、当たらずとも遠からじではないかと思っている。
住宅街というと、似たような家ばかり並んでいて、しかもきちんと区画された状況なので、知らない人が一旦入り込んでしまうと、どこを歩いているのか分からなくなるだろう。その思い出は晴彦にもあった。
子供の頃の思い出なので、ここの住宅街とはまったく違ったところなのだが、友達がたくさん住宅街には住んでいた。
子供の頃には、住宅街に住んでいる友達を羨ましく思ったものだ。屋敷というには小さいが、それでも区画された住宅街の家に比べれば数段大きな家に住んでいた晴彦が羨ましく思うのはおかしなことだが、それも、
「隣のバラは赤い」
という心理なのだろう。
友達から言わせれば、
「何を贅沢な」
と言われても仕方がない。実際に言われていたことだし、子供というのは、なかなか相手の気持ちを思いやるまではいかないもので、言葉はストレートに相手に伝わり、それが相手に対しての誤解と、自己嫌悪を生むきっかけになってしまうことが、罪のない言葉でも人を傷つけることに繋がるのだということを教えてくれた。
「住宅街に住んでいた連中、今どうしているだろうか?」
住宅街を通り抜ける時、いつも同じようなことを思うのだが、その日は、その思いがしばらく消えなかった。住宅街を過ぎる頃も、思わず後ろを振り向いてしまうくらいで、振り向いた時に見えた住宅街が、思ったよりも小さく見えたのが印象的だった。
さっきまであんなによかった天気だったが、少し雲行きが怪しくなってきたのを感じてきた。
「雨が降りそうだな」
カバンの中には折りたたみ傘が入っていたが、なるべくなら差したくないと思うのは誰もが同じこと、雨が降っても通り雨くらいで済めばいいと思っていた。
本屋が見えてきて、そこを曲がると、交差点がある。喫茶店に向かうまでの間、唯一人ごみを感じないわけにはいかない場所で、いくら少ない時間帯であっても、そこだけはいつも人が多い。
「どこから、こんなに人が溢れてくるんだ?」
と、晴彦は感じたが、考えてみれば、他の人も同じことを考えているのではないかと思う。そう思うと、思わず苦笑してしまいそうになるのだった。
「ここを抜けると、喫茶店までは一本道」
と、思うと、交差点が見えてくれば、思わず足早になっている自分に気付く。足早になっても、なかなか交差点に辿り着かないのはなぜだろう?
「逸る気持ちというのは、まるで蜃気楼のようだ」
砂漠で水がなくなってくると、オアシスという幻を見るという。しかし、それは幻ではなく、蜃気楼である。実際に見えてもいないものを見えたと思っているのが幻であるのに対し、蜃気楼は、実際に見せるのだ。幻は本人の描いた絵空事、蜃気楼は自然現象が描いた絵空事。明らかな違いがある。