交差点の中の袋小路
そこには恐怖があるはずなのに、恐怖感が湧いてこない。最初から夢だと分かっているからで、しかも、愛里が明美に変わっていくだけのことなので、恐怖が湧いてくることもない。
「でも、夢だと思っているからこそ、怖いと感じるものではないのだろうか?」
怖いと思わないということは、それだけ恐怖心に対して感覚がマヒしている世界なのかも知れない。
夢の中の明美が微笑んでいるのは、愛里の顔が明美に変わっていく時だけである。明美自身が表に出てくる時は、決して晴彦に微笑むことはない。満面の笑みを浮かべる愛里と、真顔で見つめる明美の顔が、元は一つではないかと思うようになっていた。
「僕の夢の中では、愛里と明美は、同じ人間なのかも知れない」
そういえば、愛里が表に出ている時、明美が出てくることはない。逆に明美が表に出ている時には、愛里が出てくることはないのだ。今さらながらにそのことに気付いたのは、それだけ鈍感なのか、それとも、夢の中の二人は、まったく違った人間を演じているのかも知れない。
愛里が見ている夢には晴彦と明美が出てくる。
愛里の夢の中で、晴彦は愛里の恋人なのだが、晴彦の目移りが激しいのか、愛里は気が気ではない。だが、次第に落ち着いてくる晴彦を見て、愛里はホッと胸を撫でおろした気分になっていたが、それも束の間のこと、晴彦の目は、明美を見つめていたのだ。
愛里はその時、自分が嫉妬深い女であることを知った。嫉妬深さが、自分の命取りにでもなりそうなほど深刻なことも分かっている。
それでも、愛里が乗り切れるのは、熱しやすく冷めやすい性格だからだ。
「竹を割ったようなさっぱりとした性格」
というのとは少し違う。諦めが早いというわけでもない。
「なるようにしかならないわ」
と、開き直りを絶妙なタイミングで起こすことができる。これが愛理の最大の魅力ではないだろうか。
明美が見ていて、愛里はいい加減な性格に見える。几帳面なところがなくて、猪突猛進的な性格は、熱しやすく冷めやすさを示している。それでも何とかなってしまうところが明美には分からない。自分にはない何かを持っているからだとは思うのだが、明美はそれでも愛里に憧れを持つことはない。
晴彦が見ていて、愛里の性格のほとんどが分からないと思っていた。特に明美が分かっている部分の性格はところどころが分かっていたとしても、それが繋がってこないのだ。繋がらなければ分かっていないのと同じこと。普通ならそれ以上意識することはないであろう。
それなのに、明美にも理解できない愛里の性格である、「開き直りのタイミングの良さ」に関しては、誰よりも愛里を理解しているのだろう。愛里にもそれが分かっているからなのだろう、晴彦に惹かれるのだった。
愛里は、自分のことを理解してくれる人に惹かれる。そして、いつもそんな人を捜し求めていると言っても過言ではない。愛里が寂しがり屋だということは、そのことを取っても分かることではないだろうか。
晴彦は愛里の性格の中で、明美が理解できないところを理解できている。かといって、明美が理解できるところは、あまり分からないようである。
二人合わせて、一人の人の性格を完璧に理解できるというのも、夢の世界ならではではないだろうか。
晴彦の人生で、省略できるところがあるとすると、明美が分かっている愛里の性格を除いた部分を、いかに自分が理解できるかというところに落ち着くのだろう。
人の性格など、そう簡単に分かるものではない。覗き見をしたような感覚で見ていると、客観的に見ることができ、分かることもあるだろう。夢で覗いて見ているというのも、相手を客観的に見ることができるからで、夢の中というのは、まず自分がどのような状況に置かれているかということを理解するところから始まる。
相手がどうであれ、夢を見ているのは自分、あくまでも相手は脇役であって、気持ちを理解しようと思うまでには、何度も同じ夢を見なければならない。現実世界であっても、相手のことが理解できないのに、夢であればなおさらだ。夢というものがそれだけ、神秘的で、現実社会との左右対称をイメージしているかということである。
毎日を繰り返している夢を見ていたが、それは、何かの前兆だったのではないかと、今考えている。堂々巡りを繰り返しながら、何度となく回数などという感覚すらなくなってしまい、同じ世界を繰り返していることへの感覚はマヒし、いつしか、
「その日の住人」
であることを、自覚するようになっていた。
毎日を繰り返していることで、晴彦は、その意義を考えてみた。ふと浮かんだ考えは、
「性格を変えることができたのではないか?」
ということだった。
生まれついての性格は、普通であれば変えることは絶対と言っていいほどできないことだと晴彦は思っている。第一、コロコロ変わってしまうようでは、それまでに培ってきた自分の性格を否定するということは、自分のそれまでの人生すら否定するのではないかと考えたからだ。
しかし、絶対にありえないことが起こっている中でなら、変えることができても不思議ではない。
むしろ、晴彦は自分の性格をあまり好きではなかった。変えることができるのであれば、それに越したことはない。変えることができないという考えがあるからこそ、変えられない憤りの言い訳にしていたのではないだろうか。
「無意識ではあるが、言い訳をいつも頭の中で考えている」
晴彦はそんな自分の性格も嫌なところの一つだった。
と言っても、晴彦はそれほど、自分の性格について分かっているわけではない。人から見ると、決して悪い性格ではないのかも知れない。特に明美や愛里の二人は、密かに晴彦に憧れていた、そんなことを知らない晴彦は、自分のまわりに起こっている不思議なことが自分のために起きていることだという意識がまるでないのだった。
それは仕方がないことだろう。それだけ、自分に対して自信がないのだ。そのくせ、表に出ている自分は、どこか自信過剰であった。自分の中では、
「僕の性格は自信過剰なくらいでちょうどいい」
と思っているから、自信過剰になるのだが、本当はなってはいけない部分が自信過剰になって、それが表に出てくると、押しつけのようになってしまうことで、自分が損をしてしまっていることを分かっていない。
さらに、くせの悪い性格としては、一言多いことだった。
「ここで止めておけばいいのに」
ということを言ってしまうことで、余計、人から自信過剰に見られ、それが高じて、許されない性格を作り上げてしまっていたのだ。
一言多いと、自分の近くにいる友達だったり、親友は、イライラしているはずだ。友達だと思っているから、余計に腹が立つ。それでも、
「これがあいつの悪いくせなんだ」
ということで、割り切ってくれる人は、まだいい。しかし、性格的に許せない人は、この性格を知った瞬間に、友達としては付き合えなくなり、離れていくことになるのだ。
「どうして、皆僕から離れて行くんだろう?」