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交差点の中の袋小路

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 特に、愛里の方は難しかった。寂しがり屋で、相手になるべく悟られないようにしようという考えは、強いものがあった。それだけに、明美に対しては、余計に警戒心を強く持ち、最初は、一触即発に感じられたほどだ。
「どちらが先に歩み寄ったのだろう?」
 明美は、考えていたが、
「きっと私の方だ」
 自分から歩み寄ったのでなければ、二人が親友でありえることはないと思えて仕方がない。頑なな相手を開かせるより、自分が歩み寄る方が楽だというのは、当然の理屈でもあったが、それよりも、愛里の気持ちが分かってくると、自然と歩み寄る気持ちになってくるから不思議だったのだ。
「夢の共有」は、きっと明美の歩み寄りから実現したものなのかも知れない。他の人と共有できたとしても、それは知らない相手なので、意識はない。知っている相手が夢に出てくるのであれば、共有を意識しないわけにはいかないだろう。
 そして、今までに「夢の共有」などという概念がなかったことから、愛里と明美の関係は、それまで思っていた友達、親友と言った概念をさらに飛び越えたものであるに違いない。
 明美と愛里の間に、スッと入ってきた晴彦。晴彦は愛里と会ったような記憶があった。
 近藤と一緒に行ったスナック、交差点を過ぎたところにある喫茶店で見かけた女性、彼女に愛里のイメージを抱いていた。
 晴彦が忘れることのできない女性が、夢の共有の相手ではないかと思うのは当然である。
では一体明美と愛里のどちらが、忘れることのできない相手なのかということを、晴彦は分からない。
――ひょっとして、それぞれに忘れられない部分を持っていて、二人で一人の人間を作り出しているのではないだろうか?
 そう思えば、晴彦が忘れられないと思っている女性は、どこか存在感に矛盾を与えるところがある。
 いつも同じ人物ではないのではないかという思いを抱いていたことがあったが、そんなバカなことはないと、自らで否定していた。
 明美と愛里のそれぞれ、いいところばかりを見ていたのではないかとも思えたが、それも違うようだ。お互いにいいところばかりを見つけて貼りあわせれば、一人の理想の女性が出来上がるという考えは、少し無謀な気がする。
 明美には愛里のいいところを引き出す力があり、愛里には明美のいいところを引き出す力がある。それは、それぞれが相手を見てつける力なので、いいとこ取りという感覚とは違っている。
 それでも晴彦の夢の中で、一人の完成された女性が作り出されているのは、明美と愛里を現実の世界の二人として見ているのではなく、夢を共有している相手として見ていることから生まれた忘れられない相手である。
 忘れられない相手が、本当に理想の女性なのかというのも疑問で、女性を好きになる時に感じる「理想」が、本当に自分の中で思っている理想の積み重ねなのかというと、そうではなかったりするものである、
 晴彦の中で、明美という女性の存在は微妙になりつつあった。
 晴彦の心の中にいる女性のイメージは愛里であって、明美のイメージはどこにも出てくるわけではない。ただ、愛里の性格の中に、明美の性格が入り込んでいて、それも愛里の中でしか、躍動できない性格もあるようだった。
 決して交わることのない平行線が交わった時に生まれるプラスアルファを知らずにいると、晴彦も二人の存在に気付かないまま、「夢の共有」を信じることなく、ただ無為に過ごしていくだけになってしまうだろう。
 晴彦にとって愛里と明美の存在、愛里にとっての明美の存在、それぞれにお互いを引き出す力を感じるのだが、明美にとっては、何があるというのだろう?
 明美には愛里との間に、確かにお互いを引き出すものがあり、愛里がいることで、明美にとっての愛里が存在しえるのだが、明美のどこにメリットがあるのかと言われれば、疑問でしかないのだ。
 愛里という女性は、一見付き合いやすいタイプの女性だった。晴彦が学生時代に付き合ったことのある女性が愛里に似ていた。しかし、少しでも相手に疑問を抱かせてしまうと、愛里は、その人にもう一度靡くことが難しくなってしまう。
 そこまで極端ではないが、晴彦が、そのあたりに鈍感であったこともあって、愛里が少しずつ心が離れて行こうとした時、本当は引き留めてくれることを前提に、自分の中で殻を作り、相手と別れる口実を作ろうとする愛里の中では、晴彦から離れることができなくなっていたのだ。
 夢の中の愛里は、いつも微笑んでいた。だが、実際の愛里はあまり微笑むことをしない。それはすぐそばに明美がいるからだ。
 目の前の相手が明美と晴彦では、完全に態度も違っている。だが、見つめているその先は同じものではないだろうか、少なくとも目の前にいるのは明美の方、明美を通して、その先を見ると、そこに現れるのが晴彦であった。
 愛里から見た晴彦は、どんな男性に写っているのだろう? 夢の中なので、実際に見えている姿とは違って見えているとしても不思議ではないだろう。
 この世界で見えている姿が、夢の中で同じ姿に見えているとは限らない。この世界で好きになった相手を同じように好きになるとも限らないし、好きになるとすれば、それはまったく違った価値観の中で生まれた世界が作り出した感情が、そこには渦巻いているのかも知れない、
 晴彦が見えている愛里は、性格的には、現実社会の愛里と変わらないだろう。だが、外見は明らかに違っていた。ただ、現実社会での愛里も、共有している夢の中に現れる愛里も、晴彦から見れば同じ相手であり、同じ感覚で好きになれる相手でもあった。外見だけで相手を選ぶわけではないが、確かに愛里は晴彦の好みの女性であったのだ。
 晴彦は、自分の人生が省略の上に成り立っていることに気が付いた。それを気付かせてくれたのが、愛里であり明美であった。
 一体何を省略しているというのだろう? 自分がいつしか本能のままに生きるようになっていた。それが省略だとするならば、快楽を求めるようになっているのだ。
 快楽とは、どういうことなのだろう? 男であれば、女から受ける奉仕、そして、自分の欲望を満たしてくれるものを快楽と呼ぶ。
 面倒なことには首を突っ込まず、楽な道ばかりを進む。だが人生、楽な方ばかりでは済まないことが多々ある。
 怖いことから遠ざかるのも一つの本能である。晴彦は、夢をどのように考えればいいのかと思っていた。
 快楽を求めるための楽な道であるのか、怖いものを現実世界では見ないように、夢として処分するために、存在しているものなのか。どちらにしても、何かから逃れるために設けられているのは間違いないようだ。
 快楽を夢で見ると、目が覚めてから、
「しょせんは夢の中だけのこと」
 として、諦めの境地に陥る。
 夢の中で微笑んでいる愛里。その笑顔は何ものにも代えがたいものだと思っていると、微妙に顔が変わっていく。次第にまったく違う人の顔が出て来て、その人の顔も見覚えがある。いつも見ている顔で、明美だったのだ。
 まるで、満月に向かって吠えるオオカミ男のようである。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次