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交差点の中の袋小路

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 愛里は交差点の中に入って抜けるまでの自分は、普段の自分ではないと思っている。前を向いて歩いていても、後ろを振り返っても、そこに見えている光景を、普段の自分が見ている光景と同じだとは思えないのだった。
 ただ、別の世界だと思う交差点は、一つだけだった。それは、最初に明美と一緒に渡った交差点だった。
 交差点に入るまで見えていた人たちが、入った瞬間に、急にいなくなり、明美と二人きりになっていた。手を繋いでいなければ、明美もそこから消えていたかも知れない。一人ぼっちで取り残されるのと、明美が一緒にいてくれるのとでは明らかに違う。その時明美が今後の自分の人生に大きな影響を与える存在であることに気付いたのと同時に、自分が本当に寂しがり屋であるということを、改めて思い知った気がしたのだ。
 愛里は、自分が寂しがり屋であることを自覚していた。
 両親は共稼ぎで、いつも家に帰ればたった一人の冷たい部屋が待っているだけだった。
 それでも誰も連れてくる気にはならなかった。それは親友と思っている明美も同じことで。
「明美と一緒にいる場所は、うちじゃない」
 と思ったのだ。
 家を神聖なものだとは思っているわけではなく、見られることで、自分の考えも見透かされてしまうような気がしてくる。特に、寂しさの根底を見られるのは、愛里には耐えられないことだった。本当は、知ってほしいと思っている反面、見られたくないという思いは矛盾しているようだが、見られることによって走るかも知れない亀裂の方が、もっと怖かったのだ。
 共稼ぎの家は、決して珍しいわけではなかったが、他の女の子たちと愛里は決定的に違っていると自分で思っていた。
 寂しがり屋の度合いが違うのだ。
「寂しかったら、お友達を家に呼べばいいのよ」
 と、簡単に母親は言ってのけたが、母親は覚えていないのだ。
 あれは、愛里が小学三年生くらいの頃だっただろうか。母親が夜の仕事で昼間家で寝ていた時期があった。愛里は、大人のことを分かる年齢でもなく、友達が遊びに来たいと言えば、断る理由もないので、簡単に遊びに連れてきたのだった。
 母親も、嫌な顔はできないので、
「いらっしゃい。愛里と仲良くしてあげてね」
 と、ニッコリ笑って、友達を受け入れてくれたが、その時の表情が複雑だったことにその時は気付かなかった。後になって気付くのだが、どうしてその時に気付かなかったのかということを後悔しながら、どうしてもその理由は分からなかった。
 最初は大人しくしていても、子供同士のこと、話に夢中になってくれば、声も大きくなるし、さらに笑い声などが聞こえるようになると、さすがに母親も我慢ができなくなったのだろう。
「ごめんなさいね。お母さん、寝てるので、もう少し静かにしてくれる?」
 その表情は、愛里が初めて見た母親の苦悩の表情だった。それは、今まで愛里に気を遣ってくれていたイメージとは一変、自分の感情を表に出しているもので、愛里にとって、初めて母親を怖く感じ、他人のような冷たさを感じた瞬間だった。悪いと思いながらも恐怖に震えたその時から、愛里は決して家に誰も連れて来なくなった。そして、家族と他人との間に、決定的な境界線を作った。これが今の愛里の性格の根底であり、誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出させるに至ったのだった。
 他の家庭で同じ環境なら、当然の成り行きなのだが、他の人はここまで極端な考えを持たないに違いない。愛里だからこそ感じることで、それだけ寂しがり屋な中に感受性の強さから、思い込んだら、後は何も考えられないような人間だという本性があらわになってくる。
 愛里と明美の性格上での決定的な違いでもあるのだろう。
 そんな愛里の心を揺さぶったのが明美だった。明美が自分の意志から愛里の気持ちを揺さぶったものではないことは分かっている。だが、明美には、自分が愛理に対して何かしらの影響を与えていることは、前から分かっていたような気がする。
 自分がどんな影響を与えているか、明美には分からなくとも、愛里には分かっている。ただ、それを口にすることは愛里には到底できない。
 理由は二つある。
 一つは、自分が口にすることで、効力が失われてしまうのではないかという危惧を抱いていることだった。
 もう一つは、口にしてしまうことで、明美に自分の気持ちがすべて分かってしまうのではないかという思いであった。
 効力が失われてしまうという考えは、同じ立ち場になれば、愛里でなくとも考えるであろう。それよりも、明美に気持ちを見透かされてしまうという思いの方は、きっと他に考え付く人はいないに違いない。
 自分の中にいる明美は絶対なのだ。自分よりも劣っているところなど、ありえるはずがないという思いがある。そのくせ、ちょっとしたことで、自分の方が分かっているということがあれば、相手に分からないようにほくそえんでいる自分を想像してしまう。
 しかし、そんな想像ほど浅はかなものはない。愛里が考えているよりも明美は、ずっと愛里のことを分かっているのだった。
 それでも、愛里の寂しがり屋なところは、自分にしか分からない。明美がいくら探ろうとも、愛里の中にある寂しさを垣間見ることはできても、その広がりがどれほどのものなのか、愛里にしか分からないようになっているのだ。
 もっとも、そこまで明美に読破されてしまうと、明美は丸裸同然である。精神的にも肉体的にも明美に支配されかねない。明美がそこまで考えていようとは、愛里に知る由もなかったであろう。
 予感というのは、ギリギリのところまですることができる、だが、そこから一歩踏み出すことがなければ、すべてが無に帰してしまうのだ。九十九パーセント分かっていても、最後の一パーセントを押し切ることができなければ、自分の中で信じられないという殻を作ってしまい、それ以上先に進むことは絶対にできなくなってしまうのだ。
「九十九里を行って半ばとす」
 ということわざもあるが、まさにその通りであろう。
 明美と愛里の関係の中に割って入る人間などいないと思われたが、どこから出てきたのか晴彦が二人の間に入り込んだ。
「夢の共有」から始まったのだろうが、共有するにしても、何かしらの理由というものがあるだろう。
 今から思い返すと、そこには交差点が影響しているように思えてならない。晴彦にも明美と愛里の関係にも、交差点が大きな影響を与えている。
 お互いに、
「交わることのない平行線」
 を描いていたはずなのに、どこかで交差してしまったのだろう。それが普段歩いている交差点であったとすれば、どこか、違う世界に通じるものが、そこにはあるのかも知れない。
 明美と愛里は、お互いに、見た目はまったく違って見えるが、考え方で共鳴できるところも多く、ただ、決して交わることのない平行線を描いているのだと思っている点では共通していた。
 お互いに、認め合うところは認め合い、相容れないところは干渉しない。そんな性格が二人を結び付けていたに違いない。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次