交差点の中の袋小路
「世の中には、同じ顔をした人が三人はいる」
と聞いたことがある。
この言葉は曖昧で、同じ顔をした人がいると聞いたつもりだったが、本当は、同じ佇まいというようなさらに抽象的な言い方だったかも知れない。人の話をしっかり聞いているつもりでも、話を聞きながら先に勝手に解釈してしまって、頭の中で想像してしまうことが往々にしてあるのは、悪いくせの一つだろう。
くせが悪いと思うことを並べれば、いくらでも出てきそうな気がする。一つの悪いくせから少しずつまわりに意識を広げていけば、悪いくせがいくらでも見つかりそうな気がする。
それは、自分の一番の悪いと思っているくせが、相手の話を最後まで聞かずに、勝手に思い込んでしまうことにあるからだ。勝手に思い込んでしまうと、正規のルートが分からなくなる。見えているものがすべてであって、それ以外の想像を、自らが許さないという感覚が芽生えてくるからだった。
交差点の中にはスクランブル交差点もある。スクランブル交差点を斜めに渡ることもあるが、斜めに渡っている時に感じる思いは、
――また、何か余計なことを考えてしまいそうだ――
ということだった。
普段から前を向いて歩いている時ほど、余計なことを考えてしまうことが多く、それは目の前にいる人たちを意識していないつもりなのに、意識せざるおえなくなってしまっているからであろう。
「だから、足元を見て歩くくせがついてしまったのだろうか?」
それだけではないように思うが、考え事ばかりして歩いていると、次第に頭が重くなってくるのも事実だった。それで自然と首が前のめりになってしまい、結果的に足元を見るようになってしまったのかも知れない。
このくせは、晴彦が持っているもので、ずっと気にはなっていたが、他の人を見ていると、同じようなくせの人は少ない。見かけることがあっても、見ていて情けなく感じる。
「僕もあんな情けない格好で歩いているんだな」
と思ったが、長年かかってついたくせというものは、そう簡単に抜けるものではなかった……。
交差点を渡りながらのことであるが、子供の頃は振り返ったことはなかった。
「後ろを振り返るのは、過去を振り返ることになるから、いけないことなんだよ」
と、一度だけ友達にいわれて、その言葉を真剣に信じていたのだ。
だが、実際にそんな迷信自体存在するわけではなく、どこかの神社で聞いた話を、さも交差点でも同じであるかのように真剣な顔で話をしたので、信じ込んでしまっていた。
これは、明美に当てはまることであったが、子供の頃のこととはいえ、交差点で振り返ったことは本当になかった。
「後ろから、誰かに声を掛けられた時も、後ろを振り返ったことがなかったの?」
と聞かれたが、
「うん、不思議とそのことを信じている時に、後ろから誰かに声を掛けられるということがなかったの。実に不思議なことでしょう? だけど、そのことにこだわりがなくなると、後ろから声を掛けてくる人が急に増えたのよ。私はそっちの方が、怖い気がしていたのよ」
「不思議なものよね。でも迷信というのは、意外とそんなものなのかも知れないわね」
「でも、これは迷信でも何でもなく、私が勝手に思い込んでいたことなのよ」
「それも一種の迷信だよね。信じる人が大勢いるのか、それともたった一人だけなのかというだけの違いだからね」
確かにその通りである。
「迷信だって、定説の裏返しというだけで、誰か一人でもカリスマ的な人の一言で、迷信が定説になることもあるかも知れないですよ」
迷信と、定説についての話を思い出していると、逆説、つまりパラドックスという言葉が頭を過ぎった。
迷信にもパラドックスのような話が多い。夕凪の時間の話など、その最たる例だと明美は思っていた、
交差点に差し掛かった時に、風を感じて、不思議に思うことがある。
夕方はどちらかというと風を感じる時間だが、時間帯によっては風がまったく吹かない時間があることを明美は知っていた。それは、日が沈む前に、まるでろうそくの消える前の業火のように、カッとあたりを照らし、その後を影が追いかけるような時間帯が少し続いた後に訪れる。
夕凪の時間がモノクロに見えること、そして事故が多発する時間帯であること、そして、魔物と出会うと言われる迷信が存在していること、それぞれを明美は知っていた。
だが、それはあくまでも昔の話である。事故が多発する時間というのは今もあることだろうが、それも目の錯覚によるもの。科学的な証明があり、夕凪の迷信的なところの裏付けだということに過ぎないのだ。
交差点で後ろを振り向いてはいけないという迷信は、本当は夕凪の時間に言われていたことで、事故が多いからだということを知ったのは、だいぶ後になってからのことだった。子供の頃に聞いた話の中で、夕凪という話も聞いたと思うのだが、理解できなかったことで、そこだけかっ飛ばされた形で記憶の中に残ってしまい、すべての時間帯で、後ろを振り返ってはいけないという意識に繋がったに違いないのだった。
交差点を渡りきって、声を掛けられたことは何度もあった。
「明美ったら、どうして気付いてくれなかったの?」
と、まるで、交差点の途中から声をかけてきたことを示した言い方をしてきたが、その声が聞こえていないのだから、どうしようもない。本当は、
「ごめんごめん、気が付かなかった」
と言って、謝らなければいけないのだろうが、明美にはそれができなかった。
謝るということは、声を掛けてきたのを分かっていると認めることであって、認めてしまうことは、迷信に逆らうことだった。実際に聞こえていないのだから、謝る必要もないと思い、何も言えないのだ。相手は訝しげな表情をするが、元々友達なのだから、それほど長くこだわられることもない。何とかやり過ごせばそれでよかったのだ。
明美に声を掛けて、振り返ってくれなかったことを気にしている女の子は、そんなにいない。皆その時に忘れてしまっていて、気にも留めていない。しかも誰もが一度きりで、二度目は声を掛けようとはしない。
「どうせ、返事は返ってくることはないんだわ」
と思っているからだった。
だが、一人だけ、返事が返ってこなかったことを気にしすぎ続けている人がいた。それが愛里だったのだ。
愛里はそれからも何度も声を掛けているが相変わらずだった。そのことについて怒りを覚えるわけではない、むしろ、明美を助けてあげたいとすら思っているほどだ。
明美が考えているよりも、このことはもっと深刻なことではないかと愛里は感じていた。深刻といっても、すぐに何とかしないと、事態が急変するというほど大げさなことではなく、明美の中で、まわりに対する誤解が増していくのではないかという思いであった。
ただ、愛里の中には、
「明美を独占したい」
と思っている自分がいるのも事実で、せっかくのチャンスだと思っている自分との葛藤があることも分かっていた。
交差点の中にいる時の自分は、特別なのだと、強く思っているのが、愛里だった。