交差点の中の袋小路
と思う。
それが夢であっても同じこと、いつであっても、死というのは恐ろしいものなのだ。
現実世界に引き戻される時というのは、夢の中で、目が覚めて、それがさっきまでの一日と同じであることに気付いた瞬間だった。
――もし、気付かなかったら、そのまま夢から覚めないのかも知れない――
夢から覚めた瞬間、汗を掻いているのは、怖い夢を見た時と同じだが、目が覚めて。怖い夢だったという感覚はなかった。
「今日も同じ夢を見るからかな?」
現実社会から、毎日を繰り返している夢に思いを馳せるのは、あまりしたくなかった。夢の世界はあくまでも夢の世界。現実社会と混同させてしまったら、二度と同じ夢を見ることができないと思うからだ。
「いつもあの夢には、何かを置き忘れてきたような気がするんだ」
その思いがあるから、夢を見続けるのかも知れない。
夢に何かを忘れてきたという感覚は、他の夢にもあった。だが、他の夢のほとんどは、目が覚めた瞬間に忘れてしまうものが多く、忘れてきたという感覚も、本当にふとしたきっかけでしか思い出さない。
ただ、思い出す時は、続くのである。夢を毎日見ているわけではないと思っているのに、忘れてきた感覚がある時は、毎日夢を見ていて、そのいずれにも忘れ物をしてきたという感覚があるのだった。
忘れ物の内容についてはいつも違っているのだが、夢の中で何か忘れてはいけないということを感じたことを思い起こさせる。
現実社会でも、物忘れが激しい晴彦は、夢の世界では、
「忘れないようにしよう」
という気持ちが強いのかも知れない。
現実社会でも、忘れたくないという思いが強すぎて、その感覚がマヒしてしまうことで、結局が覚えることができなくなってしまっているのではないかと思うのだった。
「そういえば、この間、夢の中で別れた人、現実社会で見たような気がする」
と思いかけて、すぐに打ち消した。
それは、
「そんなバカな」
という気持ちよりも、
「そんなことを考えてはいけないんだ」
という思いの方が強かったからだ。
「あの人は、現実社会に戻ったわけではなく、夢の世界だけで生きている人なんだ」
と、思ったからだが、その裏返しに、晴彦はゾッとするものを感じていた。
「ということは、僕も夢の世界だけの住人だということなのか? だったら、この世界は何なんだ?」
現実社会だと思っていたことを打ち消そうとしている自分の頭がどうかしてしまったと感じた。
「やはりそうか」
晴彦は一つの結論に達していた。
夢の世界のことを考えている時は、現実社会にいる時であっても、それはまだ夢の世界の中なのだ。つまりは、夢の中で、現実社会の夢を見ているということではないのだろうか。
「現実にはいつ、戻れるのだろう?」
それを思うと、屋台でのシーンを思い出す。
何があっても、「よかったですね」というおやじの言葉、それはこの世界では、現実世界にはまったく影響のないことなのだから、言えることなのだろう。やはり、晴彦の本当の世界は、現実世界にあるのだ。
また、晴彦に対して、これから自分が死を迎えるという意思表示を示した人も、本当は現実世界に戻りたい一人だったに違いない。
その人が戻れたかどうかはハッキリとはしないが、少なくとも晴彦に、同じ行動で現実世界に戻ることを許さないという意思が、この世界には存在しているのだ。その見張り役がナレーター役に徹しているように見えるおやじなのかも知れない。
他力本願でいいとは思えないが、かといって早まったこともできない状態だ。
晴彦は意を決してみた。
それは自らが生き地獄に首を突っ込むことになる行動だった。
一日の終わりに、いつものように屋台にいる晴彦。その隣には、この間と別の人がいる。その人は、精神的にもう限界だった。この間の男と同じである。
晴彦は、彼をいつものように無言で見送った。最後は目を見つめあい。お互いに頷いていた。
男が一人街に出ていく。
「じゃあ、僕も」
「ああ、達者でな」
おやじが別れの言葉を吐いた。分かっているようだ。
晴彦は男を追いかける。ある場所までいくと、そこは寂しい交差点だった。
向こうから、バイクの轟音が聞こえる。男は道の真ん中に佇んで目を瞑っている。轟音がけたたましさを増した時、男は目を見開いてこちらを見る。断末魔のゾッとした表情だ。だが、晴彦がもっとゾッとした気分になったのは、次の瞬間だった。彼が晴彦を見て、微笑んだのである。
――僕が追いかけていたのを知っていたのか?
ビックリする晴彦を優しそうな穏やかな表情のまま、男は目の前から消えた。バイクのひっくり返る轟音とともに、晴彦も自分の夢から覚めていくのを感じていた。
毎日を繰り返しているという夢が、晴彦にとっていい夢だったのか、悪夢だったのか、本当に死んでしまうまで晴彦には分からないだろう。死んだ後に、どんな世界が待っているというのか? その世界では、すでに自らを意識することはできないのだろうと、晴彦は思うのだった。
「袋小路に入り込み、堂々巡りを繰り返す」
やはり、どう考えても悪夢だった。できることなら、見たくなかったことだと、晴彦は思うのだった……。
第六章 交差点
生まれてから、何度交差点を渡ったことだろう。渡るのを当たり前のように感じ、何ら不思議に感じることもなく歩いて行く。
渡りきった向こうに広がる世界は、交差点に入る前、入ってから、そして抜けてからと、同じものに見えていたが、果たして本当に同じ世界だったのだろうか? 一直線に進んでいるので、角度が違って見えているわけではない。距離感の問題だけだが、それだけに、他の日に同じ位置から見たものと違っていたとしても分からないだろうが、同じ時に、距離の違いくらいは意識するだろう。
「そんなバカなことはあるはずがない」
と感じ、自ら否定していたのかも知れない。先入観がすべてで、目の前に見えるものさえ錯覚として片づけようという意識があったのだ。
「まるでデジャブの理論のようだな」
晴彦は、最近特にそのことを感じながら交差点を見つめていることが多くなった。元々道を歩く時は、前を見るというよりも、足元を見ながら歩くことが多く、気が付けばいつも下を向いていて、無意識な自分が、前よりも足元に注意を払っているのがよく分かる。
「ちゃんと前を向いて歩かないと危ない」
と、小さい頃から言われていて、さらに、
「下ばかり向いていると、いざという時、前を向いて進めない人生になっちゃうぞ」
と言われたこともあった。
「分かってるつもりなんだけど、くせでね」
と答えたが、それが、自分が消極的な人間だということを自らが宣伝しているようなものだということを、意識していなかった。
さらには、言わなくてもいいことを口にするのも、悪しきくせではないだろうか。もちろん、黙っていれば認めたことになるのだろうが、自分の中では、言わなければ気が済まないという意識が強く存在していたのだ。
今までに交差点を渡っている間にすれ違った数えきれないほどの人の中に、自分に似た人もたくさんいただろう。