交差点の中の袋小路
あの物語は、海の底の世界と、現実世界とであまりにも時間の差がありすぎたということを事実として、
「楽しいことが続きすぎると、時間の感覚がマヒしてしまう」
という教訓に、さらには、
「別世界として、時間の進み方がまったく違う世界が存在している」
という、相対性理論のような理論を、物語にしたという物語なのだ。
浦島太郎の物語をすぐに思い出すのは、それだけ教訓の方か、別世界の方の存在を以前からずっと意識していた証拠なのかも知れない。強いとすれば、相対性理論の方が大きかったに違いない。
だからこそ、夢の世界という概念を通して、毎日を繰り返しているなどという感覚が芽生えてくるのであろう。
晴彦にとって、毎日を繰り返しているという感覚は、夢の中で起こっていた。それも毎日を何度も繰り返していて、その中で、同じように繰り返している人が何人もいるのを知った。
実際に初めて自覚した時も、一人の男性が、
「私は同じ日を繰り返している」
と、話したから自覚ができたのだ。もし話してくれていなかったら、知らぬまま、毎日を繰り返している夢を見ていたことだろう。夢では時系列の感覚がマヒしてしまうというのも、その影響が強いからだと思っている。
だからこそ、夢だと思うのだ。夢であれば何でもありだという考えが、少し残っていて、確かに潜在意識が見せるものだという考えが強い中で、それだけではないという考えが心の中で、徐々に膨らんでいるのかも知れない。
「同じ日を繰り返すというのは、いささか苦しいものがある」
と、まだそのくらいでしか、毎日を繰り返していないようだった。
同じ日を繰り返すのが嫌で、死んでいった人間を晴彦は何人も知っていた。その中には前日の最後、一緒に屋台で酒を酌み交わしていた人もいた。その人が次の日に同じ世界にいないことは、何となく分かっていた。
「死を迎える人は顔に死相が出る」
というのをよく聞くが、その人の顔に浮かんだのは死相ではない。すがすがしい表情は、明日を見つめているようだったのだ。
果たしてその人がこの世界を抜けられたのかどうかは分からない。現実の世界では自ら命を絶つことを許さない宗派もあるが、この世界ではどうなのだろう? 逆にそれだけの覚悟がなければ、先に進めないということか。ということであれば、この世界は、何かの咎で、押し込められた世界ではないだろうか。
――一体、僕が何をしたというのだろう?
と、頭を悩ませる晴彦だった。
「夢の共有」について考えてみた。
晴彦は、何人もの人と夢を共有しているように思っていた。そのほとんどが女性で、現実世界では実現できないことを、夢で実現できていると思っている。現実世界よりも夢の方が、晴彦は好きなくらいだった。
共有していると言っても、夢にも範疇というものがある。共有している部分の中にも、相手の範疇、自分の範疇が存在するのだ。そんな中、晴彦は相手が殺されていくのを目の当たりにする。助けたいのだが、どうやら、範疇が相手にあるようで、助けることができない。範疇をさらに共有するには、相手と自分の意志が一致しないと共有はできないようだ。殺されそうになっている相手に、範疇を解除するだけの意志を持つことは難しいだろう。これこそ、「生き地獄」というものだ。
同じ日を繰り返している時に出会った人たち。この人たちもある意味で、夢の共有である。いや、夢を共有するために、同じ日を繰り返す必要があるのかも知れない。晴彦が咎だと思っているのは、人との共有に深入りしすぎたことで起こった矛盾が、咎として晴彦の頭の中に残ったのかも知れない。
「屋台で一緒に呑んだ人は、その日に初めて一緒に呑んだんだったな」
同じ日を繰り返している時というのは、前の日も、翌日も変わることのない一日だ。そうでなければ、同じ日を繰り返していることにはならない。ただ、その中で、自分だけが微妙に違っていることを許される。そこが夢を共有していると言っても、夢の中に範疇が存在しているのと同じ理屈ではないかと思うのだった。
それでも、夢の最後はいつも同じ屋台だった。誰かと一緒の時もあるが、一人で呑んでいる時もある。屋台のおやじはいつも同じ表情で、話しかけてくれる。
「今日はいいことありましたか?」
晴彦は毎日、素直にその日の感想を口にした。いつも可もなく不可もなくという返答だったが、
「それはよかったですね」
何がいいのか分からないが、決まって同じ言葉を繰り返す。それがおやじにとっての、「今日」なのだろう。
「今度は、おひとりになるんですかね?」
連れの男が死んでしまうことを分かっているようだった。毎日を同じように過ごしているのだから、いつどこにいけば死を迎えることができるか分かるのだろう。さすがに、晴彦はその人の死を見届ける勇気がなかった。
「晴彦さんも、いずれ見たくないものを見ないわけにはいけなくなるかも知れませんね」
おやじはボソッと呟いた。背筋がゾクッとして、思わず生唾を飲み込む。分かっていることだった。分かっていて、敢えて避けてきたことを人に言われると、これほど辛いものもない。額から流れる汗は止まることがなく、金縛りに遭ったかのような気がしていた。
「分かっているよ」
晴彦は日本酒をグイッと飲み干すと、呟いた。目を瞑って一気に呑む日本酒は、喉には決して優しいものではなかった。
「それはよかったですね」
と言ったおやじのセリフが頭から離れない。ここにいると、どんなによくないことであっても、他の人から見れば、
「よかったですね」
ということになるのだろうか。
おやじと最初に会った時、
「お客さん、初顔だね。これからもよろしく頼むよ」
と言われた。
その時はまだ、始まりの一日目で、繰り返す前のことだった。
「繰り返しの始まりっていつからなんだろう?」
最初に同じ日を繰り返していると思った時なのだろうか? 晴彦は最初、そう思っていた。だが、おやじは一日目から存在していて、確かにこれからよろしく頼むと言われた。
同じ日を繰り返している中で、ほとんどの人がまったく同じことを繰り返している。それは晴彦がまったく知らない相手であっても、知り合いであっても同じだった。
その他に、自分の想像していなかった行動を取る人もいる。よく思い出してみると、その人は、最初の日にはいなかった人だった。
それなのに、おやじだけは違っている。この人は最初の日にはちゃんといたのに、他の人のように、毎日同じ行動を取っているわけではない。
毎日違う行動を取っている人は晴彦にとっての舞台の脇役であり。まったく同じ行動を取っている人は、晴彦の舞台ではエキストラなのであった。
おやじはその中でも主役に近い、そう目立たないけど、毎回登場しているナレーターのような存在とでもいうべきだろうか。
「もし、僕が意を決して、自らの命を断って、この世界から一歩踏み出そうとすれば、次の世界では、このおやじと出会えるのだろうか?」
出会えないような気がする。同じようなナレーター的な存在の人がもしそこに存在するなら、また、今度は明日を繰り返すことになる。
「死を覚悟することなんて、そう何度もできるはずなどない」