交差点の中の袋小路
現実と、より近い夢というのは、ある意味、怖い夢である。現実逃避をしたくて見るのも夢の一つだとすると、それができないのは、心が休まる場所を自らで拒絶したかのようではないか。
それなのに、夢の中での女性の頻度が高いというのは、不思議だった。現実の世界では、あまり女性が近寄ってくることがないと思っていたからだ。
それが共有という感覚を持つことを可能にしたのではないだろうか。
女性が出てくるのは、現実に近いからではなく、共有しているからだという考えである。そうでなければ、自分が女性にモテるわけなどないと思っているからである。
ただ、この考えも、本当に彼の本心かどうかは分からない。夢の中だけで感じているものであって、普段考えていることではないのだと……。
「夢を見ているという夢を見ている」
という禅問答にも似た発想もある。
「目が覚めたら死んでいた」
という、一見矛盾したブラックユーモアも聞いたことがあるが、笑い話だけで終わらせられるものではない。
「本当に死んだ人間が、次にいくどこかの世界では目が覚めるのかも知れない」
「というと?」
「だって人間だって、生まれてくる時って、目が覚めるようなものじゃないか。ただ、赤ん坊なので、意識しているわけではない」
「確かにそうだけど、でも、それじゃあ、この世界にいる俺たちって、まるでどこかに前世があったみたいじゃないか?」
「きっとあったんだと思う。そして前世がどういう終わり方をしたかで、この世での運命も決まってしまう。そうやって、一度生まれたら、ずっと世界を変えながら生き続けるものなんじゃないか?」
「じゃあ、前世の俺も違う世界で、今生きてるのかな?」
「そうだと思うぞ。他の世界で死なないと、この世界では生まれないという考えを持つと、人が増え続ける気がするんだ。違うかな?」
少し違う気がするが、説得力はあった。生まれ変わりという考えだと、どこかの世界だけ人が増え続け、どこかは減り続ける。それも見えない力が調整しているのだとすれば、生まれ変わる先がどうなっているかまで決めるのは、本当に大変なことだ。他の世界の自分も似たようなものだと思えば、違う感覚はしてこないかも知れない。
こんな会話をした現実世界の友達は、言葉足らずだったが、そこがどこか魅力を感じさせるところだった。
――他の世界での自分を見ているようだ――
と感じたからだ。
夢の共有という考えも、この人との会話から端を発したのかも知れない。そう思うと、世の中が次第に狭く見えてくるようで、おかしな感覚を味わうのだった。
「夢の共有と、他の世界」
誰もが意識しているのだろうが、どこまでの信憑性を信じているかの違いで、まったく頭の中にさえないと思って暮らしている人もいる。いや、それがほとんどなのだろう。信じている人には、その気持ちが分からなかった。
この感覚が、
「左右対称」
という意識を呼び、鏡を怖がる要因になってくる。夢を共有していると思っている三人は、少なくとも鏡に対して異常なまでの恐怖感を持っている。左右対称という言葉が大きく作用していることを、次第に思い描いていく三人だった……。
第五章 袋小路
堂々巡りを繰り返して、入り込んでしまう袋小路。なかなか現実世界では意識としてはあるが、実際に巡り合うのは難しいことであった。
――巡り合いたいなどと思わなければよかった――
人との巡り合いならばいいのだろうが、知らない世界への遭遇を望むなど、冒涜ではないかと後から考えれば思うのだった。
「あんな夢さえ見なければ、こんなことにはならなかったんだ」
どうやら、見てしまった夢に対して後悔しているようだった。
後悔など意味のないことだ。夢は意識して見るものではない。確かに潜在意識が見せるものだという考えもあるが、だからと言って、普通に意識して見れるものではない。
だからこそ、見てしまった夢に対しての後悔は愚の骨頂であり、その意識があるからなのだろうが、忘れてしまうのだ。
都合よく感じるが、覚えていたい夢まで忘れてしまうのでは始末に悪い。どちらがいいのかは分からないが、忘れてしまうことで、余計に夢というものが神秘的に感じさせることになるのだろう。
夢には怖い夢と、怖くない夢がある。怖くない夢を、
「現実により近い夢だから、怖くないんだ」
と思っていたが、それが間違いであることに最近気付いた。
「夢は現実逃避の感覚が作り出す虚像のようなものだ」
と、思っていた。それなのに、現実に近い夢が怖くないという矛盾した考えは、それだけ夢で見る現実的なことが未知数で、怖いという感覚が生まれてくるからなのだろう。
俺が見る夢は、そんな夢ばかりだった。現実離れした夢に、目が覚めれば背中にぐっしょり汗を掻いていて、
「相当怖いと思ったんだな」
と、詳細まで覚えていない夢を思い出そうとして、それが思いを馳せている感覚に陥っていることに気付いていた。
夢の中で現実を見てしまうと、予知夢であったり、逆夢だと思うこともあるだろう。夢というものが、現実のような時系列になっているとは限らないので、そういう風に思ってしまうのだろうが、実際には現実に起こることではなく、起こってしまったことを、まるでこれから起こることのように錯覚してしまうからなのかも知れない。
晴彦にとって、夢の怖さは分かっているつもりだった。誰か知らないが、夢を共有しているという意識を持ったこともあったし、しかも相手が女性であれば、会ってみたいと思うのも男性として当たり前だとも思っていた。
だが、夢を共有していたのは、女性だけとではない。逆に共有したことのない夢を見たことがないと思うくらいだった。
――夢とは誰かと必ず共有する中に存在しているもの――
そんな風にしか、晴彦は夢を見ることができなくなっていた。
夢が少々怖くても、それは仕方がないと思うのは、誰かと共有しているからだと思う。そこに自分の意志は半分しかなく、時々、現実でも自分の意志を半分しか出せないのだと思ってしまうことがあるが、それは、夢の世界が現実の世界と切っても切り離せない関係にあるからだと思い込んでいるからであった。
晴彦が夢を共有しているのは、愛里と明美であった。お互いに現実の世界での面識はあるのだが、一旦夢を見てしまうと、面識があったことを忘れている。夢に入った瞬間に、現実で出会ったことがリセットされてしまっているのだ。
共有している夢を、晴彦は他の男性とも見たことがあるのだが、その男性も稀にであるが、愛里の夢だけに入り込んだことがあった。
明美の夢に入り込んだことはない。その男性は現実の世界で、明美に近い存在であったからだ。現実の世界で近すぎる関係にある人とは、どうやら夢を共有できないようだった。もし共有しようと試みるならば、それはまったく知らない男性として現れるに違いない。ただ、それでも若干、意識があるから、却って厄介で、意識してしまったことを目が覚めてからも気になってしまう。
何を気にしているのか、それすら覚えていないことで、気持ち悪さがしばらく残ってしまう結果を呼ぶことになる。