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交差点の中の袋小路

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 捨てるのだから、どこかに行くのだろうという思いだったが。捨てた瞬間、今まで誰にも気づかれなかったプライドをまわりに悟られて、しかも捨ててしまったことも、悟られるのではないだろうか。
――これって隙を見せること?
 もし、そうだとするならば、簡単にプライドを捨てるというわけにもいかない。
 そういえば、
「プライドを捨てたらいけない」
 人の話しを聞いていたり、テレビドラマなどのセリフの中で聞いたことのあるようなセリフであるが、
「何、当たり前のことを言っているのかしら?」
 と、呟いてみたが、明美が考えているプライドを捨てるという意識と、違っているのかも知れない。
「プライドとは、取得するとか、捨てるとか、そんなレベルのものじゃなく、備わっているかどうかから始まって、備わっていれば、いかに自分のためになるように生かしていくかが大切だ」
 と、大学生になって、講義の中で聞いた。心理学の講義ではなかったはずだ。授業の中の雑談で出てきた言葉で、誰もがあまり意識して聞いていなかったに違いない。
 明美もあまり真面目に聞いていなかった。分かっていることであったので、今さらという気持ちもあったが、それ以上に、
「本当なのかしら?」
 と、その頃になってプライドということに違った意識が芽生えてきたことで、あまりにもありきたりなセリフは却って鬱陶しく感じられるのだった。
 餌を与えられていたネコを見ながら、少し涙を流している愛里を見た。その時の愛里の心境は、
「あの時なら、手に取るように分かったのに」
 と、今では、涙を流した愛里のことが脳裏から離れないくせに、分かっていたはずの理由をどうしても思い出せないのだ。
 愛里が急に呟いた。
「このネコ、私なのよね」
 言葉の意味がよく分からなかったが、しばらくして愛里の両親が離婚したことを聞かされた。母親に引き取られた愛里は、両親の離婚が落ち着くと、いつもの愛里に戻っていたようだった。
 だが、それはまわりからの見方で、明美には、どうしてもそうは思えなかった。落ち込んでいた時は、他の人と同じような女の子になってしまったかのように思えた愛里だったが、落ち込みが治ると、以前とは違った愛里になっていた。
 逞しくなったという言葉では言い表せないようで、同じ喜怒哀楽の激しさでも、以前は怒りや悲しみが大きかったように思えた愛里だったが、今では喜びに対しての態度が敏感に感じられる。
 愛里にとって、明美の存在が、さらに大きくなったかのようだった。甘えではなく、慕ってくるような態度である。
「甘えと、慕ってくる態度のどこが違うの?」
 と、言われるかも知れないが、明らかに違う。甘えは完全に相手に委ねる感覚で、受け身である、慕うというのは、自分への見返りとして、自分の納得できることが含まれていなければ、慕えないのだ。
 逆に言えば、よほど相手を信じていなければ委ねることなどできない。それほど人を信用できなくなったであろう愛里に、人に甘えたり委ねたりすることなどできないと思ったからだ。
 愛里は自分がネコのようなものだと思ったことがあった。
 甘える時は徹底的に甘えたくなるが、一度ヘソを曲げてしまうと、相手をしなくなる。
 ネコにもいろいろな種類がいるようで、ヘソを曲げて、相手にしなくなるネコもいれば、食って掛かるネコもいる。どちらも可愛くないが、どちらかというと愛里は食って掛かるネコの方が好きだった。
 ここで明美との違いがみられる。明美は、相手にしなくなるネコの方が好きだった。それはお互いに相手を見て感じていることで、明美が愛里に見たもの、愛里が明美に見たものを感じることで、好き嫌いが生まれていたのだ。
 そういう意味では、二人とも、やはりどこかで惹き合っているのだろう。
 男に対しての興味も同じで、明美は、喧嘩した時、食って掛かられるよりも、無視される方がマシだと思っている。喧嘩になるよりも、ほとぼりが冷めるのをじっと待っているのだ。波風は立たないだろうが、仲直りには時間が掛かるに違いない。
――じっと、嵐が通り過ぎるのを待っている――
 それが、明美の考え方だった。
 愛里の方は逆に、食って掛かられる方がよかった。喧嘩にはなるだろう、自分の意見もハッキリと言える。ただ、頭に血が上っていることもあって、相手の気持ちを考えるところまで余裕がないに違いない。それでも、熱しやすく冷めやすい性格で、仲直りも早いはずだ。
――肌と肌の付き合い。心を割って話したりぶつかったりできるのが、本当の友達ではないだろうか――
 というのが、愛里の考えだった。
 考えてみれば、お互いに違っているところは結構あるだろう。特に明美の方が愛里のことを分かっているようで、明美が主導権を握っている方が、二人の関係はうまくいくのではないだろうか。
 愛里は、
――明美の考えていることなら、何でも分かる――
 というくらいに思っていた。
 明美の方の同じで、愛里のことは分かっているつもりだ。
 どちらの方が気持ちが強いかといえば、明美の方であろう。だが、自信を持っているのは愛里の方である。気持ちの強さと、自信を持つこととは違っているようだ。
 だが、それは同じ目線で見た時のことであって、二人の間で言葉にすると違っていることでも、考え方は同じである。明美の中では、
――気持ちを強く持つことが、自信に繋がっている――
 と、思っていて、
 愛里の中では、
――自信を持つことが、気持ちを強く持てるようになる秘訣である――
 という思いが強いのだ。
 これだけ性格的に違う相手と夢を共有しているこの男。彼は本当に夢を二人と共有しているという意識があるのだろうか。
 確かに二人と夢を共有しているように思っているが、どちらか一人とは共有しているのではなく、
「共有しているという夢を見ている」
 という感覚を覚えているのかも知れない。
 夢の中での夢のようだが、それもありではないだろうか。
 彼の方は、普段夢の中では結構女性が登場することが多い。そんなに頻繁に夢を見るわけではないが、その中での女性の登場頻度は高いということだ。
 彼も、
――目が覚めるにしたがって、夢は忘れて行くものだ――
 という感覚は自覚していた。
 実は夢は結構見ていて、忘れていっているのではないかと思うこともあり、忘れていく夢のほとんどが、男性が出てくるか、自分だけのシチュエーションの夢のどちらかだと思っていた。
 自分一人だけの夢というシチュエーションを想像もできなかった。だから、
――一人の夢は見ていないのだ――
 と思っていたが。実はそうではない。
 覚えていないだけで、実際には見ているかも知れないと思うと、どんな夢なのかを想像してみたくなってくる。
 夢の続きを見ることができないものかというのは、自分だけではなく、誰もが思っていることだと感じていたが、その思いを感じさせてくれたのが、共有していると思っている二人だったのだ。
 彼は、夢とは共有するのが普通だと思っていた。自分の夢に出てきた人は、現実での登場人物と変わりない。まったく同じシチュエーションで、夢と現実の境がないかのようだった。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次