交差点の中の袋小路
自分のことほど、分からないものはないというこの考えに、愛里は気付いていないのだ。そのことが、明美にはじれったくもあり、その反面、人間臭く感じるところがいとおしいとも言える。
――愛里は精神分析の医者を、夢の中で気取っているのかも知れない――
確かに、現実社会では、夢のようなことだと一蹴されるのがオチだが、自分の夢であれば許される。ただ、共有している相手には知られてしまうということにはなるのだが、愛里はそれでもいいと思っている。
愛里にとって、彼の存在は、夢の中だけのものだと思っている。明美のように、どこかにいて、その人が現れたらどうしようというような考えはないようだ。それだけに、夢の中だけという意識の中で、いくらでもいじることができると思っていた。
明美は、自分の好きな男性のタイプを思い浮かべた時、夢の中に現れる彼ではないと、ずっと思っていた。好きな男性は他にいて、夢の中の男性がまったくタイプも違っていたのだ。
明美と、愛里、どちらも今はその男性の存在を知らず、ただ夢を共有していることを意識しているが、もし、どちらかがその男性と現実の世界で出会うことになれば、彼はその人のものとなり、もう一人は、夢の共有が外れ、共有が外れただけには止まらず、記憶の中から消去されるのではないかと思われた。
一人の存在を、意識の中から抹消してしまう効果があり、何もなかったことになってしまうのである。
――ということは、今までにもあったことなのかも知れない――
覚えていないだけと言えばそれまでだが、一人の人の記憶が、思いの中から消えてしまうというのは、辛いことだ。
そのことを感じているのは、明美だけだった。愛里と彼はそのことを意識していない。夢の共有は、永遠のことだと思っている。ただ、二人は夢の共有を複数できるということを意識しているのは、分からなかった。
少なくとも愛里に意識はないだろう。愛里という女性は、すぐに顔に出たり、態度に表したりする女性だ。何か不安なことや気になることは、序実に顔に出る。そんな愛里が顔に出さないのは、おかしなことだった。
そういえば、一度、あまり顔に出さない愛里を、明美は見たことがあった。
あれは、中学時代の頃だっただろうか?
学校に時々やってくるネコがいたのだが、ネコが最初に見つけたのは愛里だった。完全なノラネコで、時間になったらやってくる。昼下がりというよりも夕方に近い時間。普段であれば、皆が帰宅する時間くらいだっただろうか。
ネコ嫌いの人は別にして、ノラネコはそれなりに人気があり、誰彼ともなく餌を与えているうちに、すっかりなついてしまったようである。
愛里も最初はそんなネコを愛らしいと思いながら見つめていた。ネコも愛里になついていて、他の人が羨むほどになっていた。明美はそんな愛里を羨ましいとは思っていたが、やっかむこともなく、ネコとともに暖かい目で見ていた。
座り込んでネコを覗いている愛里、それを後ろから中腰で見つめている明美。そんな姿が、沈みゆく夕日を背に展開されていた。
愛里はネコに餌を与えようとはしなかった。だが、ある日を境に餌を与えるようになったのだが。それは、明美が愛里が覗き込んでいるのを後ろから見るようになってからだった。
「どうして今まで餌を与えてあげなかったの?」
疑問をストレートにぶつけてみる明美。
「だって、皆が与えているから私が与えたって、しょせん二番煎じでしょう?」
と、愛里は平然として答えた。
――なんか問題が違う気がするんだけど――
と、明美は思いながら、愛里が何をするにしても、まわりを気にする女性であることにその時初めて気が付いた。
だが、まわりを気にしているわりには、まわりが自分をどのように思っているかということを、あまり気にしていないようだ。個性の強さは、そのまま人との距離を思わせる。そのことを意識していないのは、それだけまわりが自分をどう見ているかということを感じない性格だということだろう。
人と同じことをしたくないという感覚は明美に似ている。
――類は友を呼ぶ――
というが、まさしくその通りだ。集団の中にいて、自分が意識していないのに、気が付いたら、まわりは皆同じ血液型だったなどというのは、今までに何度あったことだろう。明美も、あまりまわりが自分をどう見ているかということを気にしないタイプだった。
しかも明美も、人と同じことをするのは好きではない。ある意味、愛里と似た性格なのだ。愛里から、二番煎じだという言葉を聞いた時、ドキッとした。それは、自分と同じ性格であることを今さらながらに思い知らされたからで、やはり、類は友を呼ぶというのは本当なのだと感じたからだ。
愛里は、後ろから見つめている明美に対して、ウソはつけないと思っていた。だから素直にネコに餌を与えることができたのだろうと思っていた。また、そのことを明美も理解していて、相手の気持ちが分かるわけではないのに、気持ちが通じ合っているかのように感じたのは、おかしなことであろうか?
ネコを覗き込んで餌を与えている愛里を見て、明美は、まるで自分が愛理に餌を与えているような気分になっていた。
――まるで愛里は私のペット――
そんな目で後ろから見つめていた。
愛里には、実はそこまで分かっていた。分かっていて、気持ち悪く感じなかったのは、愛里も、
――誰かに飼われたい――
という感覚が芽生えていたのかも知れない。
飼い猫は気が楽だと思っていた。言う通りにさえしていれば、餌を与えてくれるし、癒してもくれる。少しばかり自分のプライドを捨てればいいだけであった。
――プライドなんて、いつでも捨てられるわ――
と、思うのは、明美の方だった。どちらかというと見ていて、愛里の方が、プライドなどかなぐり捨てられるタイプに見えるが、実際には、二番煎じが嫌だと口に出せる時点で、捨てることのできないプライドを心の奥に秘めていることは分かったのだ。
明美にはそれができるのだ。
プライドなどしょせん一人でいる時だけの生きていくための自分に繋がるもので、
――まわりに人がいれば、プライドにしがみつくことはない――
という考えでいた。
「しがみつく」
この言葉で、愛里と明美のプライドという言葉に対しての考え方の違いがハッキリとしてきた。
道具として考える明美に対して、愛里はステータスだと考えている。より自分の中で大切なものだと考えるのは愛里の方なのだ。
だが、他人から見ると、明美の方がプライドが高そうに見える。それは人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている明美に対し、愛里は、近寄ってくる人を迎えようとする態度が見られる。
人に対して自分を表に出すことが自分にとってのプライドだと思っているのは、愛里である。
明美は逆に、自分の中にあるポリシーは人と最初から違っているのだから、
――決して交わることのない平行線だ――
と思っているに違いない。
――捨てたプライドって、どこに行くのかしら?
明美は考えたことがあった。