交差点の中の袋小路
愛里の顔を見ていると、影の部分が次第に大きくなる、表情が分からなくなる。そのうちに彼の後ろの存在がなくなり、愛里の存在が頭から消えてしまう。
――やっと二人きりだわ――
と思い、彼に甘えたいという気分になってくると、今度は誰かに見られている感覚に陥る。さっきまで愛里の存在を意識していたはずなのに、視線が愛里であることに気付くまで、かなりの時間を要するのだった。
「明美、あなたは、永遠に私の夢の中から抜けることはできないのよ」
表から見ている愛里がささやきかけてくる。
この時初めて、人と夢を共有することの恐怖を感じた。
今までに見た夢で一番怖い思いをしたのが、もう一人の自分が出てくる夢だったのだが、それに匹敵するほどの恐怖が夢の共有には存在するのだ。
抜けられないという言葉が、どれほど相手に恐怖心を与えるかということを今さらながらに思い知らされた。
恐怖心は人から与えられるものなのか、それとも自分の中から醸し出されるものなのかということを、ずっと考えていたような気がする。今までは人から与えられるのが恐怖だと思っていたが、夢の世界で感じた恐怖心の説明がつかない。夢の世界が錯覚であると考えれば納得もいくが、納得できない夢もあるのだ。
夢の中で感じたことは、愛里にも時間差で感じることなのかも知れない。そして、この感覚は彼には永遠に分かるものではない。女同士であるからこそ、分かるもののはずだからだ。
夢の中で彼と夢を共有しているという認識は愛里にもあった。だが、愛里は、同じ彼が明美とも夢を共有しているなど、思ってもいないようだった。
愛里が彼に感じていた印象は、
――変わった人――
だという第一印象が抜けないでいたくせに、気になる存在であることには違いなかった。
夢を共有するには、それなりに理由があるのではないだろうか。明美にも愛里にもそこまでは感じていたのだが、その理由に関しては見当もつかなかった。
だが、愛里は明美よりも少し考えが深いとことにあった、理由は分からないまでも、「夢を共有できる相手だからこそ、知り合ったに違いない」
という思いであった。
だから、夢を共有する理由があるとすれば、それは知り合ったことが偶然ではなく、知り合ったことに対しても理由があるという思いである。夢を共有するということが信じられないからこそ、理由を求めるのであって、知り合うことが日常茶飯事に起こっていることではなければ、知り合うこと自体、夢の共有よりも、神秘的なことではないかと思うのだった。
それは愛里がいつも落ち着いて考えることができるからであり、分析力に長けた人であるということである。明美が愛里の中に惹かれるものがあるとするならば、それは分析力が一番の理由ではないだろうか。
そもそも愛里と明美の間に、何か理由を必要とするものなど、最初からなかった。あるとすれば、意識しないだけで、出会ったことの理由だけではなかったであろうか。そのことは愛里の頭にあるだけで、明美は意識はしていなかった。
だからといって、明美が何も考えていないわけではない。明美は愛里にはない感受性の強さがあった。何事も冷静に分析してしまう愛里には、感受性という意味では、明美ほどではない。明美の感受性の強さは、考えすぎるところを示していて、感受性の強さによって、引き起こされた感覚なのだろう。考えすぎてしまうと、何でもかんでも一度戻って考えないと気が済まなくなり、堂々巡りを繰り返してしまうことが多くなってしまう。結局、導き出されるはずの結論が遅れてしまったり、誤った結論を引き出したりしてしまうことにも繋がってしまう。それが明美の悪いところではないだろうか。
愛里は、明美のそんな性格を分かっていた。分かっていて。敢えて余計なことは言わないようにしていた。
「言って簡単に治ることなら、助言しているわ」
あくまでも冷静な愛里は、明美に対して、自分が冷静な人間であることを隠して付き合っていた。その方が付き合いやすいからで、正直楽であった。
そんな愛里も、夢を共有している彼に対して、
「変わった人」
だという感覚を覚えたのだ。よほど変わっているのだろうが、それも、どこの誰だか分からないということが、大きく影響しているに違いない。
愛里は彼と、夢の中では恋人だった。
愛里は現実の世界では、今付き合っている人はいない。以前は何人かいた。それは明美も知っていることだが。愛里は、複数の男性と同時に付き合うことを悪いことだとは思っていなかったようで、実際に同時に何人かと付き合ったこともあった。
不思議なことに、よほどうまくやったのか、それとも付き合っている男性皆が、鈍感なのか、それがまわりにバレることはなかった。
「私には、すぐに分かったのに」
と、明美は思う。
明美は、愛里のことに対しては結構分かっているつもりだった。他の人のことはあまりよくは分からなかったが、こと、愛里のことはすぐに分かった。分かろうとするから分かるわけではなく、気持ちが手に取るように分かり、
――愛里なら、次は、こうするだろう――
というのが分かっているからだった。
愛里が明美に対してだけは、
――分かってほしい――
という信号のようなものを送っているのかも知れない。明美に対してだけのオーラが発せられ、明美もそれを理解できるからこそ、友達関係が続けられる。普通であれば、付き合いを続けていくのも、気持ち悪くて、難しいのではないだろうか?
愛里は、背がスラッと高く、胸も大きい。スリムな身体に、大人の雰囲気を十分に漂わせる顔立ちは、水商売の女性だと言っても、誰も不思議に感じることはないだろう。
――ショートカットが似合うボーイッシュな女性――
頭の中で感じた時、
「ほら、また堂々巡りを始めた」
結局、またここに戻ってくるのだった。
愛里が感じた彼の変わっているところ、それは、愛里が自分を女性だという感覚が強いことから、分からないもののようだった。
愛里は、男性の気持ちはたいてい分かるつもりでいた。それは、
「私は男性の身になって考えることができるからだ」
というのが、愛里の理屈だった。
だが、心の奥では、男性と女性は明らかに違うという意識が根底にあり、無意識の意識として、潜在しているものである。
そこに考え方の矛盾があり、その矛盾に気づかないうちは、決して彼の真意を見つけることはできないだろう。
そのことを分かっているのは、明美だった。
明美は普段の愛里も知っているので、冷静な明美を分かっているつもりだ。
だが、本当の愛里は、明美が考えているほど冷静ではない。夢の中の愛里を知っているから、愛里が冷静沈着な性格なのだと思っているのだ。冷静に人物分析ができるのは愛里の方なのだろうが、こと愛里のことに関しては、愛里本人よりも明美の方がよく分かっている。
考えてみれば当たり前のことだ。人のことを冷静に分析できる人ほど、自分のことが分からないもの。
「まるで医者の不養生のようだわ」