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交差点の中の袋小路

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「私はこんなケモノのような身体に愛されていたと思っていたんだわ」
 と思うと、もう、男などいらないと思った。
 その日から鏡を見るのが日課になった明美は、気が付けば自分に話しかけているのに気付く。
「あなたは、綺麗だわ」
 誰にも見せられないこの姿。見せられないだけに神秘性を感じる。この美しさは女だけのものだ。どんな美少年であっても、男は男なのだ。
 そう思うと愛里の視線が気持ち悪くなくなってきた。視線を感じるのは、いつも背中からで、背中から浴びせられる視線は、快感であった。
「痒いところに手が届きそうで、届かない感覚は、気持ち悪いというよりも、快感なんだわ」
 と感じた。
 特に後ろから見られるというのは、半分恐怖感も伴っていて、恐怖感も快感に変わってくることに初めて気が付いたのだ。
 ある日を境に、明らかに愛里の視線が変わった。後ろから以外の視線もあったのだが、今では後ろから以外の視線を感じることがなくなったのだ。前にいても視線を感じることはない。視線を感じさせないような爽やかな風が吹いているようで、それはそれで安らぎを感じさせられる。
 愛里と視線を合わせることが苦手だったことが、まるでウソのようである。避けていた時期も、愛里が自分から遠ざかろうとしていた時期も、まるで幻のようで、
「今という時が大切なのだ」
 ということを、愛里は思い出させてくれた。
 日が西の空に傾き始めた頃を、果たして昼下がりと呼べるのかどうか、愛里は考えていたが、
「昼下がりでもいいんだろう」
 と思うようになったのは、紅茶を飲むようになってからだ。
 愛里の視線に快感を覚えるようになった明美を見て、それまで気にもしたことのなかった紅茶専門店に気が付いた。大学の近くにあるのに、なかなか行くことがなかったその店から、紅茶の香りがしてきたのに、初めて気が付いた。
 レモンの香りが強く、柑橘系の香りが嫌いではなかった愛里だったが、実際に飲んだりするのには抵抗を感じていたが、紅茶の香りに混じっていれば、悪くはなかったのだ。
 柑橘系の香りは、子供の頃は嫌いだった。まだ、香りとしてはコーヒーの方が好きで、高校の頃までは、コーヒーの方をよく飲んでいた。
 まわりの友達にはコーヒーが苦手で、紅茶ばかりを好んで飲んでいた人もいたが、皆口を揃えて、
「コーヒーが苦いから」
 と、答える。
 愛里から見れば、紅茶の方が、
「味が薄くて、ミルクを入れれば、さらに薄まる感じがして、レモンを入れればまさしくレモンの香りしかしてこない。ストレートであれば、苦味だけしか口に残らず、あまりおいしくはない」
 と思っていた。
 逆にコーヒーであれば、確かに苦いのだが、同じ苦さでも、他の味に左右されるものではなく、コーヒーとしての苦味がある。香りそのものの味には、どこか落ち着かせるものがあり、鎮静効果は、コーヒー独特のものがあるからに違いない。
 紅茶には、鎮静効果はないが。高級感が漂っている。英国紳士の飲み物という印象が深く、コーヒーとは別の意味で高級感と、落ち着いた気分を味あわせてくれるのだ、
 愛里が紅茶専門店に最初に入った時感じたのは、室内の湿気だった。コーヒーの美味しい喫茶店に入った時も感じたが、紅茶の店はすべてにコーヒーの店より暖かく感じられ、湿気が気だるさを呼び、気だるさがなぜか、達成感を運んでくるのだった。
 紅茶専門店では、最初いつもブレンドを頼んでいた。メニューを見てもピンと来ないし、聞くのも恥かしかったからだ。
 ハーブだけは、さすがに抵抗があったが、普通の紅茶であれば、何とか飲めるような気がして。メニューの上から一つずつ頼んでいった。
 最初は、アールグレイを頼んだが、少し自分には合わなかった。ハーブのようなイメージを感じたからだ。
 次に頼んだのが、ダージリンだった。アールグレイほど、くせがなく、少し薄いくらいに感じた。
 その次に頼んだのが、アッサムだったが、愛里はアッサムがお気に入りだ。ダージリンも悪くないが、ダージリンよりも薄くない。そこが気に入っていた。
 カップと一体型になった丸いポットで入れる紅茶は、甘い香りを引き立てて、スイーツと合いそうだった。コーヒーも悪くないが、よりスイーツの甘みを味わいたいと思うのだったら。紅茶の方が好きである。
 紅茶の暖かみはコーヒーに比べれば、多いのではないだろうか。発汗作用も利尿作用も、紅茶の方が強い。それでいて、甘い香りと、フルーティな味は、紅茶でなければ味わえない。それがスイーツをさらに甘く感じさせる秘訣なのだと愛里は感じていた。
 スイーツも豊富なこの店で、いろいろ食べてみたが、愛里のお気に入りは、スコーンだった。暖かいスコーンにブルーベリーソースをつけて食べるのがおいしい。ブルーベリーが少し渋めだが、元々甘みを抑えてあるスコーンの甘みを引き出すのに、ちょうどよかった。
 店の雰囲気は本当に明るい。
 ただ、一つ気になったのが。店内には、絵がまったく飾られていないことだった。花は、たくさん飾られているが、壁はシンプルなものだった。最初に入った時に何となく違和感を感じ、それがどこから来るものなのか分からなかったが、見ているうちにだだっ広く感じられたことで、殺風景さとどちらが深く心に残るのか考えてみた。
――賛否両論それぞれで、気に入る人もいれば、殺風景なだけだと感じる人もいるだろう――
 そうは思ったが、最初に感じた店内の暖かさは本物なので。シンプルさが似合う店だとして、愛里は落ち着いた雰囲気に浸ろうと思ったのだった。
 明美が愛里を意識するようになったから、愛里は紅茶を意識するようになったわけではない。紅茶を意識するようになったことで、少し雰囲気が変わったことで、明美が愛里を意識し始めたのかも知れない。
 紅茶を飲んで身体が火照ってくる感覚が、明美が見ていて、不思議に見えてくるのかも知れない。紅茶によって火照ってくる感覚は、快感と同時に、気持ちの余裕を与えてくれるものでもある。だからこそ、明美に見つめられていることが分かるのであって、快感に繋がる肌触りは、暖かな風がもたらしてくれるものであった。
 風が吹くはずのない店内に、時々風が吹いてくる。その時に汗を吸い込み、甘い香りをもたらしてくれるのが、紅茶の香りだった。
 紅茶の発汗作用はすごいもので、紅茶を飲んでいると、背中の汗は尋常ではない。いくら水を飲んでも足りないくらいに吹き出した汗が、眠気を吹き飛ばすのだろう。
 だが、愛里は、紅茶を飲むと逆に眠気を誘うことが多い。いつも眠くなるわけではないが、気が付いたらハッとして目を覚ますことが多いのは事実だった。
 目が覚めると、夢を見ていたのを思い出す。夢というのは、たいていの場合、ちょうどのところで目を覚ますもので、ちょうどいいところなのか悪いところなのかは区別なく、どちらの場合でも、ハッキリしたところで目を覚ますのだった。
 そういう場合の時の方が、ハッキリと夢の内容を思えているのだ。見たかった夢であっても、見たくない夢であっても。ハッキリと記憶にあるというのは、
「夢を見たいと思って見た夢だからに違いない」
 と思う。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次