交差点の中の袋小路
しかし、実際に描いてみると、省略することを頭に置いていることで、余計なものが何なのか、漠然とではあるが見えてくるようになる。
そのうちに、省略の意義が分かるようになってきた。意味ではなく、意義なのだ。
意味というと、理由が必要になるが、意義であれば、理由はともなく、省略することで簡潔に描くことができ、全体にバランスをもたらすということが理屈として分かってくるようになる。それが、いずれ意味に繋がっていくのだろう。
――急がば回れ――
というが、遠回りすることが、却って探しものを見つけることへの近道に繋がってくる。そう思えば、世の中にある何が今自分に必要なことか、分かってくるのかも知れない。
「絵というものは平面で、しかも時間という概念がない」
つまりは二次元だということだ。
三次元には、そこに高さが加わる。そして四次元には時間の概念の違うものが広がっている。
では、二次元には時間という概念はないのだろうか?
三次元に時間が存在するのであれば、二次元にも存在する。その最たる例が、「劣化」や「腐敗」という現象ではないだろうか。
絵を描くようになると、彫刻をする人が、同じ芸術家だという意識が薄れてくる。
絵を描き始める前は、彫刻家も、絵描きさんも、同じ芸術という括りで、別物という意識はなかった。
絵を描いていると、最初は平面の意識が強く、
「いかに立体的に描こうか」
ということをテーマに考えるようになるが、集中して描いていると、焦点が狭まってしまい、狭まった焦点で、立体感を出そうなど、土台無理な話であった。
平面であることを理解して、その上でいかに立体感を出させるかということが問題になるのだが、
「遠くから見れば立体的に見える」
という感覚があれば、それだけでいいのではないだろうか。
確かに平面であれば、遠くから見て立体感があればそれでいい。ただ、距離も微妙なところで。あまり遠くから見ても、変わらないかも知れない。適度な距離が平面を立体に魅せ、遠くもなく近くもない距離の選定が、絵画の命なのかも知れない。
明美は、あまり距離にこだわることはなかった。
「立体的に見える距離があれば、それでいい」
立体感に燃えていた時期はどこへやら、立体感というよりも、距離によって、大きさが変わって感じる絵の方が、興味深く感じられるのだった。
距離感を深く考えないようになったのは、彫刻を作っている人を意識し始めてからだった。どうしても一点を集中的に見るくせがついてしまったことで、彫刻を作る人は同じ種類の芸術家ではないと思えていたのだ。そのために明美は、その男性を気にするようになり、その人が同じ大学の学生であると知ると、学校に行くことが楽しくなるほどワクワクした気分になっていた。
――彼はいつも何をしているのだろう?
大学というところは、決まった広さのキャンパスであるにも関わらず、人と出会う偶然を考えると、相当広いもののように感じられる。どれだけの人間と一度も出会わずに四年間を過ごすことになるかと思うと、会う人間が本当に限られていることに気付く。
「街の縮図がキャンパスだよ」
と言っている人もいたが、なるほど、生活に必要なものはキャンパス内で揃ってしまうほど、縮図と言ってもいい。
偶然とは本当に存在するのかと思えるくらい、そこに人の感情が介在しているのではないかと思う。
彫刻に勤しんでいた彼が、キャンパス内を歩いていた。一人で歩いていたのだが、歩いていても彼だと分からないほど表情が違った。焦点は、どこか合っておらず、少し上を向いて歩いているようだった。
――彫刻をしていない時は、まるで別人のようだわ――
それを見ると、自分も絵を描いていない時は、どんな風になっているのか。想像するだけで怖くなった。
友達が話しかけても上の空、そんな彼が、明美には気になって仕方がなかった。
その日から、明美はその男のストーカーになった。と言っても、相手が気にしていないのだから、ストーカーというほどのこともない。逆に相手が少しでも気にしてくれたら、明美がストーキングをすることなどないのだ。ただ、その時の明美の感情が、どのようなものだったのか。今となっては分からない。
気持ちが左右に揺れ動いてはいたようだ。好きだという感情はなかったが、気になり始めると、感覚が狂ってくる。
まず、人を好きになるという感覚が分からなくなる。本当は、本能のように自分でも訳が分からなくなるもののようだが、明美は今までそこまでになったことはなかった。
だが、人を好きになる感覚を味わったことがないわけではない。思い出そうとするが。なかなか思い出せないのも、不思議だった。
明美は、彼を見ていると、好きだと思う感覚が湧いてくるのを感じていた。
――どうしてなのかしら?
この感覚は確かに、以前感じた。人を好きになる感覚だった。その時は、告白もできずに終わってしまった片想い、初めて人を好きになった時の感覚だったかも知れない。
そういえば、その人もよく分からない人だった。覚えているのは、あまりまわりにモノを置かない人だった。
ちょっと使えばすぐに捨ててしまう人で、整理整頓はよくできていたが、あまりにもスッパリと捨てられるのを見て、怖くなった覚えがある。
気になったのは、捨てられる感覚が頭を過ぎったからだ。まだ異性に対してどのような感情を持つものなのかも知れない自分が、捨てられることを怖がっているというのも、おかしな話だった。
モノを簡単に捨てることができる人を、明美は以前から尊敬していたことがあった。後から役に立つかも知れないと思ったり、捨ててしまったものが、実は必要だったりということを考えると、捨てるに捨てれない気持ちになってしまう。
明美は、友達だった杉村愛里のことを思い出していた。愛里とは、中学生の頃くらいまでは親友として付き合っていたが。急に愛里を遠ざけるようになった。切り捨てたというイメージがもし明美の中に残っているとすれば、それは愛理にことだろう。
あれだけ仲がよかったのに、遠ざけ始めたのは明美の方からだった。愛里を見ていて、不安になってきたというべきなのか、怖さを感じた。
愛里は次第に明美に近寄ってくる。身体が触れ合うことも辞さないのは親友だからだろうと最初は思っていたが、偶然を装って、わざと身体を寄せてくるのが分かってくるようになった。
明美が気付いたことを、愛里は分かったようで、分かってしまえば、遠慮はいらないとばかりに、露骨に身体を寄せてくる。
ゾッとした悪寒のようなものが背筋を走り抜けた。
――私にはそんな趣味はない――
声にならない声を発したかのように、その場に立ち尽くしたが、舐めるような下からの視線には、身体を動かしたくても動かせないものを感じていた。
愛里が、同性愛を求めているという話は、しばらくしてから湧き上がってきた。皆愛里の話をタブーとはせず、人と情報を共有することで、防御ラインのようなものを気付いていたようだ。
そんな中でたくさんの憶測が飛んだ。
「彼女は、同性愛だけではなく、SMの世界も知っているようなのよ」
「父親から、乱暴された経験もあるらしいわ」