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交差点の中の袋小路

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 明美も自分が流されやすい性格だということを、大学に入って知ったことで、こんなサークルの無様な姿を見てしまったら、すぐにでも、自分も幽霊部員の一人に数えられることになるに違いないと思えた。
 その考えは半分当たっていた。最初の数日、毎日通って、疑問を抱きながらも絵を描いていたが、そのうちに、まるで暖簾に腕押し、やりがいなどまったくない状態に、やる気が出るはずなどなかった。
 誰もいない部室で、一人何かをするのも普通なら一日で嫌気が差すのだろうが、それでも数日でまったくやる気をなくしてしまったことで、再度やる気を出させるの、至難の業である。
 道具だけは揃っているので、道具を拝借し、それほど遠くないところで、絵を描くのに勤しんでいた。
 少し離れたところで、一人の男性が彫刻を作っているのが見えたが、誰だか分からず、本来なら部屋の中で作るはずの彫刻を表に持ち出している不思議さを感じることで、その人のことも見ることができなかった。
――私のような変わり者もいるのね――
 本当は自分よりもはるかに変わっているように思えるのだが、敬意を表したつもりだった。
 適度な距離を保ったところで、明美は、彫刻の男性を少し意識したまま、絵画に勤しんでいた。出来上がりは、思ったよりも早く、
――やはり中で閉じ籠るよりも。表の空気に触れながら自然の中で描くことができるのであれば、それに越したことはないんだわ――
 と思えた。
 明美は、大胆に省略することを絵の醍醐味なのだとして覚えてからは、目の前の光景にこだわらないようにしていた。
 目に映っているものだけではなく、想像できるものはすべて題材に使う。それによって、描き出されるものが、他の人には不思議に感じることがないのだ。
――私の絵は、すべて本当のことを描いているのかしら?
 とも考えたが、もう少し深く入って考えれば、
――私の描いた絵が、本物になってしまうのではないだろうか?
 絵が現実を変えてしまうなど信じられない。ということは明美の目が狂っていて。見えていたはずのものが、見えてきただけなのかも知れない。
 現実の物語を絵で表現しようとして、どの部分の断片を見るかということが重要になってくる。
 目の前にあることだけを描いているだけでは、何も伝わらないのではないかというのが明美の考えであった。
 有名な絵描きの作品には、現実の世界を物語にできるだけの力がある、だから名画として崇められているのだ。人がたくさん載っている絵は、それぞれの人に意味があり、それが物語を形成しているのかも知れない。
 確かに昔の絵を見ていると、無意味な人がたくさん写っているように見えるが、一人一人を見ているからそう思うのかも知れない。
 だが、まわりから見ているとすべてが無関係に感じられるのだ。逆に見てみるのも真理ではないか。絵の持つ性質である平面の意識で時間を見ているからそうなのかも知れない。時間軸を考えるようにして見ていると、時間差で、少しずつ絵に描かれている人たちの意味が垣間見られてくるのではないだろうか。
 彫刻を奏でている人を横から見ていると、ピンと伸びた背筋に、緊張感がみなぎっているように感じられる。
――絵を描く時も、同じなのかしら?
 と、自分の姿勢がどうなのか、疑問であった。
 集中している時はあまり感じないことでも、後から思い返して、作品を見てみたりすると、思ったよりも作品の完成度が高いことに気付く。
 集中している時は、狭い範囲でしかモノを見ることができないため、全体を見渡すと、関連性に欠けているところがあり、頭の中と同じように綺麗に繋がっていないと思うのだった。
 それなのに、実際に絵を見てみると、これほど完成されたものであることに気付かされて、ビックリするものだ。
 作品は、横から見ているだけなので、どれほどのものかは分からない。何よりも、どこまでの完成度なのかも分かっていない。そう思って見ていると、さらに作品への興味、そして作者である男性への興味、それぞれに深まっていくのであった。
「素晴らしい絵ですね」
「ありがとうございます」
 声を掛けているのは。明美、そして、それににこやかに答える男性、まるで夢を見ているようなのだが、思ったよりもリアルで、夢の中で、現実を見ているかのような感覚に陥っていたのである。
 懐かしい光景にも思えた。
 森の中で、絵を描いている男性と以前出会ったことがあった。その人は絵を描いているのだが、雰囲気が少し違った。ただ、絵筆を物差し代わりにして距離感を測ったり、背筋を伸ばして遠くのものを見ている姿は、絵描きそのものだった。
 それなのに、どこかが違っている。
 それは、自分が絵を描く時のイメージとかけ離れているように思えたからだ。明美が絵を描き始めるようになったのは。高校に上がったことだった。
 それまでは小説を読むのが好きだったのに、急に絵画に目覚めたのは。やはり、高原に広がったすすきの穂をイメージしたからだったに違いない。
 記憶はあるのに、それがどこだったか、分からない。思い出すには、自分が絵を描いてイメージを思い出すしかないだろうというのが、絵を描き始めるきっかけになったのだった。
 絵を描くのが最初から好きだったわけではないのに、自分でいうのもおかしなものだが、上達が早かった。きっかけの違いが影響しているかも知れないと思ったが、まさしくその通りかも知れない。
 小説は読んでいても、書こうとは思わなかった。書きたいと思ったこともあったが、考えたのが中学生の頃だったので、
「無理だわ」
 と、一旦思ってしまったら。それ以上は、考えが及ばなくなった。
 要するに、
「諦めが早い」
 のである。
 諦めが早いということは、それだけ自分に自信を持てないということである。
 元々自信過剰だったはずの明美だったが、時々急に自分に対して不安になることがある。そんな時に、自分に自信が持てなくなるのだ。
 躁鬱ではないかと思ったこともあった。
 躁鬱であれば、それまでいくら自信が持てたことであっても、自信がなくなってしまうと、不安だけが残ってしまう。残った不安は解消されないまま、他の不安と一緒になって蓄積していく。
 不安が募ってくる時というのは、往々にして頭の整理ができない時が多い。そんな時に、時系列が不安定な精神状態とあいまって、混乱した頭から封印される記憶と、忘れてしまう記憶とに分けられ、ほとんどが、忘れてしまっている。物忘れが激しい時というのは、不安から収拾のつかなくなった時系列が、頭の中に及ぼす消去の影響なのかも知れない。
 諦めてしまった小説を書くこと。書きたいと思った記憶すらなくなってしまっている。そんな中で絵を描くことは、最初から新鮮な気持ちになっていた。
――大胆に省略するのが絵画という芸術だ――
 という話が頭の中に残っている限り、いつまでも新鮮な気持ちが明美の頭の中から、消えることはないだろう。
 省略しすぎると、確かに何を描いていいのか悩んでしまう。描くことがなくなってしまうと思うからだ。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次