交差点の中の袋小路
自惚れが強いのは、晴彦の中で感じていたことだった。そのくせに、まわりの人よりも自分が一番劣っているのではないかという思いがあることも否定できない。
そんな極端な考え方をしている自分が、たまにおかしく思えてくることがある。自分のことを振り返ることは嫌いではないが、そのたびに、それぞれ極端な自分を嫌いに思えてくる。
――振り返らなければよかった――
と、何度感じたことだろう。
晴彦にとっての夢と現実は、他の人が考えている夢と現実への感覚とは少し違っているのかも知れない。
人と、本当は夢と現実について話をしてみたいと思うのだが。話しかけるのが怖い。中には、
「話しかけてくれるのを待っていたんだ」
と言ってくれる人もいるだろう、だが、ほとんどの人は、
「何バカなことを言っているんだ」
と言って、少なくとも心の中だけでも嘲笑っていることだろう。
夢の世界の自分が、どうして今の自分と同じように離婚しなければいけないのか分からなかった。どうやらもう一つの世界での自分は正反対の性格のようである。それなのに、なぜ離婚などという事態になっているのか? よく見ていると、それも不思議なことではなかったのだ。
離婚を言い出したのは、自分の方だった。
こちらの世界の自分が離婚を言い出すなどありえないことなので、どうしてなのか分からない。どんなことがあっても、妻を手放したくないという思いは同じはずなのに、いとも簡単に離婚を考えるなど信じられなかった。
「いとも簡単に考えていたわけではないさ。これでもいろいろ考えて悩んだりもしたんだぜ。そっちの世界のお前との違いは簡単さ。どこで妥協できるかの違いにあるのさ。途中までは同じであっても、途中からまったく違っている。お前は違ったところからしか見えていないので、どうしても不思議で仕方がないのさ」
そう言って、こちらの私に話しかけてくる。
「なるほど、確かにどこで割りきるかということが大切になってくるというものだ。僕もその考えを持ってはいるが、具体的に考えたことはなかったな」
「そこも大きな違いさ。具体的に考えるのがこの俺。お前は具体的に考える前に、いつも何かに迷っているだろう? それが俺とお前の大きな違いなのさ」
と話しかけてくる。
「自分のことは自分が一番よく分かるはずだということか」
そう思うと、夢の中でもう一人の自分が現れるのが怖いと思う理由が分かったような気がした。
なるほど、自分だからこそ、自分のことが一番よく分かるということなのだ。
夢の種類には、怖い夢と、怖くない夢がある、その違いは何かと言えば、
「もう一度見たいと思うのか、それとも二度と見たくないと思う夢なのか」
ということであろう。
――中途半端な思いはそこには存在しない――
夢の世界を垣間見ることができる時がいつだと言われれば、邪推になってしまう中途半端な気持ちを捨てた時である。そう思うと、夢の世界から目が覚めてくるにしたがって、すべてを忘れようとしている作用がそこにあることをイメージできる。
晴彦は、夢の中で離婚したくないという思いが、自分から離婚を言い出すことで、どう意識の変革が起こるかということを見極めようとしているのかも知れない。
離婚を言い出したことで、相手に対して自分の気持ちがハッキリと分かっているはずだ。今の自分は相手に先に切り出されて、戸惑うだけであった。離婚しなければならない理由を見極める前に戸惑いが走ってしまっては、すべてを見失ってしまっても仕方がないことではないだろうか。
元々、離婚と言われて、戸惑っている間でも、
――離婚などということが、本当に起こるなど信じられないと思っていたが、最初から分かっていたことだったように思えてくる――
と感じたことがあった。
すぐに打ち消したのだが、そう思ったことは事実で、どこまで離婚に対して覚悟があったのかと言われれば、
「まったくなかった」
としか言いようがない。離婚などというものは、まったく別の世界で起こっている出来事のように思っていたことで、油断もあれば、
「嫌なことはなるべく考えたくない」
という思いが働いていたのも事実である。
離婚に対して余計なことを考えたくないという思いを「つけ」として残してしまったのであれば、それは晴彦にとっても罪だったのかも知れない。
「こういうところが、妻には嫌だったところなのかも知れないな」
という思いもあった。
自分の悪いところなど、いろいろ見ていると見つかるものなのだろうが、こと離婚という重大事件に関しては、そう簡単に割り切れるものでもない。
もう一つの世界での晴彦は、離婚を言い出したのは早かったのに、なかなか離婚が成立しないことに苛立ちは持っていない。それは、こちらの世界で、離婚を宣告されて戸惑っていた晴彦とは別に、まったく焦ることのなかった妻と同じである。
その時、晴彦は妻に対して、
――戸惑っている僕を見て、楽しんでいるようにしか見えない。こんなサディスティックな性格のオンナだなんて思いもしなかった――
と、感じていた。
サディスティックな性格のオンナは好きではない。男としてのプライド、あるいは、女に対して持っていないと思っていたはずの男尊女卑の考え方。そのどちらもが顔を出したのだ。
男尊女卑の性格を自分が持っていると気付かされたのはショックだった。だが、妻を見ていると、それも仕方がないと思えてきた。男との決定的な性格の違いを思い知らされたことで、男の辛さ、そして、それに対してどれほど女が甘く見ているかということを感じたからだ。
離婚ということになると、どうしても、相手を蔑んでみることで、自分を正当化させないと、自分が惨めになるだけだという感覚がある、そのため、晴彦は自分の気持ちよりも相手をいかに蔑むかということも考えないわけにはいかなかったのだ。
そんな自分が嫌だったのも事実だ。人のせいにして自分を正当化するなど、男のプライドという意味では、してはいけないことにも思える。しかし、そうでもしないと、この局面を乗り切ることができない。そう思うと、やりきれない気持ちの中で、二重人格ではないかと思う自分が顔を出すのだ。
もう一つの世界での妻は、最後開き直って、離婚に応じた。その気持ちが一番よく分かるのは、何を隠そう、自分ではないだろうか。とは思ったものの、妻の気持ちが分からない。
それは、妻の顔を見続けていたからだ。
こちらの世界の妻の落ち着きはらった表情、さらに、離婚となった時の、さばさばした表情は、それまで一緒に暮らしてきた相手に対しての冒涜としか思えない。明らかに愛想を尽かしたその顔は、それまで感じたことのない、思い切りの上から目線であった。
上から目線の妻を見た時、
――一番付き合いやすく、誰よりも自分のことを分かってくれていると思った相手は、これほど話しかけるのも恐ろしい相手に豹変するなど、考えたこともない――
と思わせたほどだ。