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交差点の中の袋小路

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 離婚してからというもの、それまでの生活とは一変した。女の子にフラれることは、今までにも何度もあった。そのたびに、いつ立ち直れるか分からないと思うほど落ち込んでしまい、長い時には一年以上もの間、ショックから立ち直れないでいたのだ。そんな時、立ち直るには時間ときっかけが必要であることを悟ったのだ。
 離婚の痛手も同じことだろう。ショックから立ち直るためのきっかけは簡単に訪れるものではない。訪れていたとしても、立ち直れる機会を逸してしまっているのではないかと思うほどだ。それほどショックを背負ってしまうと周りが見えてこない。見えないまわりが晴彦のことをどう思っているかなど、想像できるはずもなかった。
 離婚の痛手は、寂しさだけではなかった。新たない旅立ちとして始めた生活が、一気に崩れてしまったのだ。寂しさよりも、そちらの方が、立ち直るためには時間が掛かる。容赦なく襲ってくる寂しさを避けながら、その時をじっと待っているしかない状況に、苛立ちは湧いてこない。
 苛立ちが湧いてくるほど精神的に活性化できていない。言い換えれば血液が逆流するくらいの興奮が、身体の奥から湧き出してくることがない限り、自分は生ける屍のようなものだった。抜け殻と化していた晴彦の心を癒すには。やはり女性でなければいけないという結論は、すでに出ていたのだ。
 異性を求めるのは、人間にとって、いや、動物ならば、同じことであった。本能として求めるもので、癒しはその付属のようなものだと思っていた。だが、それだとあまりにも寂しいではないか。ひょっとすると妻もその気持ちを察知して、晴彦の中にある冷徹な部分を垣間見てしまったのかも知れない。それならば、いくら口で言ったとしても、治るものではないだろう。
 離婚の痛手を解消するには、新しい恋で補うのが一番である。ただ、一度、恋愛の頂点ともいうべき、結婚を味わっているだけに、中途半端は却ってきつい。もう一度結婚したいという気持ちは、なかなか芽生えてこないだろう、
 結婚するにはきっかけと勢いが必要だ。離婚するのはエネルギーがいるが、きっかけや勢いは、結婚と比べて、それほど大きなものはなかった。
「新しい人を見つければいいんだ。僕はまだまだ若いんだし」
 という気持ちが、先に立っている時は、気持ちが自然と弾んできて。逆にネガティブな気分が先に立ってしまえば、自分がまだまだ若いことすら忘れてしまう。
 自分の若さが信用できなくなると、女性が寄ってこないのではないかという危惧に陥り、それが長いと、次第に、諦めの境地が芽生えてくるのだが、若さに自信が持てている間が、女の子を惹きつける唯一の力だと思っていた。
 晴彦は、今度は明るめの女の子を探した。控えめなところはいいのだが、笑顔に屈託のない顔の女性は、ウソは言わないと感じていた。ウソを言ったとしても、それは相手を思いやるウソで、本当は晴彦はそんなウソを簡単に許すことができない性格だったが、笑顔に屈託がないと、最後は許してしまい、許せなかった自分を忘れてしまうほどであった。
 晴彦にとって、笑顔の屈託のなさは、自分を癒そうとする相手の気持ちを一番分かることができ、
「気持ちが通じ合うということは、こういうことなんだ」
 と、感じさせるに至るのだった。
 晴彦がそんな女性と出会うまでには、それほど時間が経たなかった。彼女の笑顔を見ていると、自分がバツイチであるなど、忘れてしまうほどだった。
 晴彦にとって、バツイチと言われるのは、さほど気にならなかった。むしろ女性相手では拍が付くのではないかと思うほどで、一度結婚経験のある男性を好む女性もいるくらいだった。
 それは女性の方にも離婚経験者が多いくらいで、お互いにいた無傷のありかを分かっていることで、いたわり合えると思っているのだろう。
 悪く言えば、傷の舐めあいでもある。だが、晴彦はそれでもいいと思っている。傷の舐めあいからでも、愛は生まれてくると思ったからだ。簡単に別れることを経験した人は、次の恋愛では、なるべく長続きさせようとするのか、それとも最初の結婚で我慢しすぎた経験から、今度はあっさり諦めようとするのか、そのどちらかのパターンが多いことだろう。
 晴彦は、新しい彼女と知り合ってから、妻の面影をどうしても追いかけてしまうことを疑問に感じていた。
「やはり、自分にとって最高だと思った女性を妻にしたのだろうか」
 その思いに間違いはないだろう。だが、離婚してしまい、もう元には戻れないのだ。必死に苦しんだのが、元に戻れないという厳しい現実を受け入れることができるだけの人間ではなかったからで、付き合っていた女性と別れた時に感じる、やるせなさとは違っていた。
「どちらが辛いのか」
 と聞かれると、現実問題としては、結婚相手と別れた方である。こちらが世間一般にも言われていることで、晴彦にも反論はない。だが、付き合っていた女性と別れるのは、掛けたはしごを外された痛みというよりも、地面だと思って踏みしめて歩いていたところが実は落とし穴の隠された場所で、踏み出した足元が急に二つに割れ、奈落の底に叩き落された気分になるのが、失恋の痛みだった。
 いきなりだということも辛いが、足元が割れたことを意識しないまま気が付けば奈落の底で苦しんでいる自分を感じる。意識を失っていたと思っていた自分が、奈落の底から這い出そうと、必死になっているのだ。
 堕ちていく感覚を、最初は訳が分からず、次にスリルを感じる絶叫マシンのごとく、普段味わえない感覚を快感だと勘違いし、さらには恐怖がジワジワと湧き出してくる。
 すぐに湧き出さないのは、それを許さない急転直下の勢いがあるからだ。ただの想像にすぎないのに、夢であれば、味わうことすらできないだろう。夢は潜在意識の成せる業だと思うからで、想像以上のことはありえないと思うからだ。だが、恐怖を味わいことができないというのも、それが現実で、その時に考えるのは、楽しかった頃のことばかりであった。
 目の前のことを直視できないのは、まだ気持ちに余裕があるからなのかも知れない。どこかに甘えのようなものもあり、甘えが急転直下を受け入れないのだ。心のどこかで、修復は可能だと思っている。それは相手にある気持ちの余裕が、ハッキリと見て取れるからだ。
「離婚は、精神的なステータスだ」
 つまりは一つの気持ちの中での節目だと考えれば、少しは楽になれるかも知れないということだ。
 晴彦は、最近おかしな夢を見ることが多かった。夢というものは、目が覚めるにしたがって忘れて行くものなので、ハッキリとおぼえている夢の方が珍しかったりする。おかしな夢は、それだけインパクトが強いので、怖い夢として頭の中にインプットされていることで、覚えていることが多い。
 夢の中で感じる、「怖い」という感覚も、漠然としたもので、何が一体怖いのか、考えてしまうことがある。
 自分が想定していたことと違うことを夢に見たからだろうか? それとも、見ている夢の雰囲気が恐怖に満ち溢れていることを、そのまま恐怖だとして感じることもある。そのどちらも恐怖の元は現実世界で考えている、恐怖に対しての基準をオーバーしたかどうかということになるのだ。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次