交差点の中の袋小路
それを祖母は「よし」としなかったのだ。
両親の態度がまるで手のひらを返したように変わったと思ったのだ。それは、明美に対しての態度しか見ていなかったことが原因である。明美を贔屓して見てしまったことが招いた誤解ではあったが、すべてが誤解というわけではない、表に出てこない部分を、無意識に捉えていたのかも知れない。
確かに手のひらを返したような態度だった。贔屓目に見ていなくても、感じる人もいたことだろう。そう思うと明美にとって祖母と両親のどちらかを選ぶために天秤に掛けると、祖母を選んでしまうことは一目瞭然だった。
「両親には、妹がいる」
姉としての嫉妬が、親に対しての厳しい感情を湧き上がらせる。実の親から裏切られた気がするのだ。裏切られたというよりも見捨てられたと言った方が辛いかも知れない。一緒に上るために使ったはしごを先に使って降りられて、そのはしごを外された気がしてしまうのだ。
両親としては、二人目を諦めていたところに妹が生まれたことで、まるで初めて授かった子供のような気分になったのかも知れない。特に父親の可愛がりぶりは尋常ではなく、母親がそれに乗せられているといったところであった。
妹が生まれて一年は、母親がべったりで可愛がっていたが、次第に家事と子育てに疲れたのか、家を空けることが多くなった。もちろん、祖母に預けていくわけだが、さすがに、ここまで来ると、祖母も母親に文句を言っていた。
露骨な文句は聞こえてこなかったが、祖母としては、なるべく子供たちに不快な思いをさせないように努力していたことだろう。
だが、母親はヒステリックだった。
「何で、そんなに言われなきゃならないの?」
と、声のトーンはいつもよりも数段高めで、ヒステリー丸出しだった。声の高さが却って食って掛かっている様子を和らげているかのようだった。
「そんなこと言っても、あなたがちゃんと子育ても家事もする意志が見えてこないからじゃないの」
本当は、押し付けられて迷惑していると言いたいのだろうが、子供たちの手前、それを口にするのは許されないことだと思っていたに違いない。
それでも、相手がヒステリーを起こしている人である。会話はとても普通の会話であるわけがない。子供が聞いて、どんなにやわらかく言おうが、喧嘩しているようにしか聞こえない。
そのうちに詰り合いになるのではないかと思えたが、寸前のところで祖母が身を引いた。子供心に危ないという気持ちの寸前だった。
祖母が家を出たのは、それからしばらくしてからだった。喧嘩が直接の原因だとは思いたくはないが、原因の一つになったことには間違いない。家を出た祖母がどこに行ったのか分からないが、どこかの大きな家で、お手伝いさんをしているという噂を聞いた。それを聞いたのが母親の口からだったので、明美にしてみれば、信憑性のないことだった。もはやそれだけ、母親のいうことは信用できないようになっていたのだ。
祖母がお手伝いとして入った家を覗きに行ってみたかったが、行ってしまうと祖母と永遠に会えなくなってしまいそうで、怖かった。
遠くからちらりと見かけただけだが、その屋敷のおかしな噂を聞いた。そこに住んでいた一人の女の子が、突然姿を消したという。その時に一緒に祖母も姿を消したようで、その屋敷は今は誰も住んでいない。
誰もいなくなった屋敷を見に行ったが、誰も住んでいないはずの屋敷に、一人の女の子がいた。話に聞いていた女の子は、笑うことを忘れたのではないかと思うほど暗い女の子で、いるかいないか分からないような存在感の薄い娘だったという。
だが、今明美の前に現れた女の子は、いつもニコニコしている女の子で、あまりにも笑顔が板についていることで、却って存在を薄く見えてくるほどだった。存在が暗く感じられるというところは似ているが、イメージは正反対の女の子であった。
明美が想像していた女の子とあまりにもかけ離れているだけに、
――ひょっとして知っている女の子ではないか――
という思いに駆られた。
知らない女の子だからこそ、いろいろな想像が巡らされるのであって、知っている女の子であれば、想像を豊かにしたとしても、限界があるのだった。
ニコニコ笑っている女の子の顔をじっと見つめていたが、彼女は明美の視線にまったくと言って気付いていない。気付いていて知らんぷりができるほど、彼女がしたたかな女性にはとても見えなかった。
奥を見ればひとりの女性がお手伝いさんとして家事全般を任されているようだった。顔を覗き見るが、まったく分からない。明美も必要以上に相手を確かめようという気持ちもなかった。彼女と目を合わせてもそれほどのことはなかったが、お手伝いさんと目を合わせることはできないと思うのだった。
この家を一人で明るくしている女の子の存在は、明るすぎるせいか、どこか希薄な感じがした。それは明美が見てもそう感じるのだから、もし男性が見れば、もっと強く感じるのではないかと思えた。
――彼女は女性には好かれないタイプだ――
と思う。明美自身が、どうしても好きになれないタイプの女性で、笑顔に白々しさを感じ、引き寄せられる男性が情けなくもあり、可哀そうでもある。
ただ、言い訳をするタイプには見えないので、友達になれないというほどではない。ひょっとすると友達になろうと歩み寄ると、彼女の本当の姿を見ることができるかも知れないと感じた。今の姿がウソだとは言わないが、彼女も知らない自分の中にある本性のようなものが笑顔の奥に隠されているのではないだろうか。明美は久しぶりに興味を持てる女性を見つけたように思い、胸の高鳴りを覚えていた。
屋敷は、大きくもなく小さくもなく、ただ屋敷の真ん中に大きな時計台の三角屋根が聳えているのが特徴的だった。上には風見鶏が飾られていて、いかにも西洋館というイメージが滲み出ていた。
西洋館に二人で住んでいるなど贅沢であった。その日から、屋敷が気になって仕方が亡くなった明美は、学校の帰りに毎日のように通りかかるようになっていた。小学生の頃とは違い、中学になると、背も高くなり、見えなかったものも見えてくるようだ。小学生の頃にも同じような西洋館の近くを歩いて、屋敷の中を盗み見ようとしたが、見ることができなかったことを思い出していた。
そんな時、一人の男の子が、屋敷に入り浸るようになったのを知った。男の子は女の子の言うとおりにしていて。自分から何も言おうとしなかった。女の子は相変わらずニコニコしているばかりで、
「どこに会話があるというのだろう?」
二人の関係が不思議で仕方がなかったが、興味津々に見つめていた。
最初の二日間を見ていると、男の子は、彼女の言いなりだった。それだけに、二人の関係がどういう風に推移するのか分からずに、興味を持って見ていたが、三日目になると、明らかに態度が違ってきた。
男の子の態度は強くなり、決して言いなりではなかった。逆に女の子が彼のいうことに従うようになり、明らかに上下関係、いや、主従関係が確立されたかに見えていた。