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交差点の中の袋小路

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 祖母が実際に診療所に入院したのは、それから少し経ってのことだった。両親が祖母の見舞いになど行くはずもなく、明美は祖母の面影を追いかけるつもりで、毎日学校の帰りに、家の近くの河原で、日が暮れるまで佇むようになっていった。
 沈む夕日を見るのは、最初神秘的で、夕方のこの時間が一日の中で一番の楽しみになっていった。
「おばあちゃんも同じように夕日を見ているのかな?」
 沈む夕日が毎日大きさが違っているのではないかと思いながら見ていると、時間を感じさせないように、静かに過ぎゆく時間を、爽やかな風のように感じさせる何かが存在しているようだった。
 夕日に照らされた場所は、小さな塵が舞っていた。金色に光っていて、動きがゆっくりで、止まって見えるほどだった。
 中学の修学旅行での宿のお土産屋を思い出していた。小さな筒のような中に水が入っていて、その中に金箔が泳いでいるのを見ると、とても綺麗なものを見たと思った。近い将来に、同じ光景を見ることになるのを予感できたが、お土産物屋だとは思わなかった。修学旅行に行くまで、家族で旅行に行くなどないことだったので、宿のお土産屋などという光景を想像することもできなかった。
 修学旅行の時は、まわりの背景をわざと黒くしていたことで、金箔の光を巧みに演出できていたが、河原で見る空気の塵は、本当の天然ものだった。神秘性はいかにもこちらの方があるのだった。
 おばあちゃんのことを気に掛けて河原に一人佇んでいると、おばあちゃんから聞かされた話をいろいろ思い出していた。
 妖怪の話だったり、昔の怖い話など、おばあちゃんの得意とするところだった。明美が怖がるのを見て、なるべく怖くないように話してくれるが、それでも怖いものは怖かったのだ。
 そんな中で夕凪に出会う妖怪の話は印象的で、今でも時々怖くなる、夕日を見ながら佇んでいる時間がいいのだが、夕日が見えなくなってからの時間は、恐怖がじわじわと襲ってくるのを感じていた。
 恐怖が一気に襲ってこないからまだマシだと思っていたが、じわじわ襲ってくる恐怖の方が、怖いのかも知れない。
「恐怖とは、自分の中にこそ存在する魔物が現れる瞬間だ」
 という話をしていた人がいた。何も分からない十歳にも満たない女の子にそんな話をするのだから、その人も相当変な人だったのだ。
 祖母と一緒に行った診療所で、祖母とよく話をしていたおじいさんから聞かされた言葉だった。訳が分からないまま覚えていたが、妙に気になったからこそ、忘れずに覚えていたのだろう。
 確かに大人になって考えれば分からない理屈ではないが、自分の中にだけ存在するというのが不思議だった。
 恐怖は誰もが味わうものであるのだから、自分の中にだけ存在しているものであるならば、それは一人に対して一つは存在していることになる。
「ということは、人の数だけ魔物がいるんだ」
 似たものを創造したとしても、まったく同じ人がいないのと同じで、創造物も同じことはありえない。そう思っていると、明美の中に、もう一つの仮説が生まれた。
「魔物というのは、もう一人の自分なのではないだろうか?」
 と考えれば、少し辻褄が合ってくるように思えた。
 眠っていて見る夢の中で一番怖いと思っている夢は、
「もう一人の自分が出てくる夢」
 これは自分だけではなく、友達と話をした時に同じようなことを言っていた人がいた。あまりまわりの人と意見の合わない明美だったが、その時に意見が合致したことで、夢に対して印象的な事柄として頭の中に残っていた。
 夢の気持ち悪さと、決して忘れることのできないものは夢には存在しているということを、その時に初めて感じたような気がしたのだ。
 明美にとっての祖母は怖い話をしてくれる存在であり、怖い話は、魔物へと通じるものがある。
 魔物は、絵の中に見た記憶が残っていた。それは愛理とよく行く喫茶店で見た絵に感じたものが一番近い印象で残っていたりする。
 明美は、中学時代に昼夜逆転の生活をしていたことがあった。最初は深夜放送のテレビを見ていて、夢中になって眠れなくなった。夜眠れないものだから、昼はいつも学校で居眠りをすることになる。
 途中から、わざとらしいとも思われたが、保健室のベッドで寝ていたこともあった。保健の先生は黙っていてくれたが、他の人にはどのように写ったであろうか。さぞやしらじらしいと思っていたに違いない。
 保健室で寝ていると、またしても怖い夢を見てしまう。怖い夢と言っても、妖怪や魔物の類が出てくるものではなく、眠れないと思っている自分が出てくる夢だった。
 夢の中で必死で眠ろうとしている明美は、汗を掻きながらうなされているのを感じた。眠ろうとすればするほど、苦悩の色が寝顔に浮かぶ。本当に怖い夢を見ているという時は、こんな表情をしているに違いない。
 ということは、夢を見ているその時に、感じる恐怖は、自分の中から出てきたものなのだろう。夢というものが潜在意識の見せるもので、潜在意識の外にあるものは決して見ることはない。怖い夢を見るのであっても、それは信じているから見るのだ。
 そういう意味では、夢の中の発想には限度がある。夢を他の人と共有できないのはなぜなのだろうと、以前は思ったことがあったが、今考えてみれば、潜在意識に決定的な違いがあるのだから、夢を共有できるはずがない。夢を共有できないからこそ、夢が潜在意識以外のものを見せたりはしないという発想にも繋がってくるのだ。
 絵の中に描かれた世界を夢に見た気がしていた。潜在意識として見たのであれば、以前にどこかで見たということになるのだろうが、その記憶はなかった。見ていたとしても、記憶として意識していなければ、夢に見るはずもない。
 では、どこで見たというのだろう?
 同じような意識を持った人がいて、その人の意識が目を通して自分に乗り移っていれば。意識の中もその人になって、見ていたことだろう。だから、何も見えていないと思っていても、見えてくるものがあるのかも知れない。
 診療所に入院した祖母を、誰も見舞う人はいなかった。
 明美は、親に黙って、一度祖母に会いにきたことがあった。もし、親に祖母のお見舞いに行きたいなどと言ったりすれば、
「何バカなことを言っているの」
 と言われるのがオチである。
 祖母を、明美の養育係として、こき使ったくせに、明美が祖母に陶酔し始めると、今度は、祖母を煙たく思うようになった。
「おばあちゃんのいうことなんて、聞くことないわよ」
 と、自分たちが押し付けておいて、何たる言い草だと思ったが、口に出すことはなかった。一度口に出さなければ、次に口に出すには、さらに勇気がいる。後になるほど、どんどん口にすることができなくなってくるのだ。
 明美は長女で、生まれた時は、親から過保護とも思えるほどの可愛がられ方をしていた。小さかったので、意識はほとんどないが、過保護だという言葉は、親戚の人が話していたのを聞いたからだった。
 だが、明美が生まれてから五年して、妹が生まれた。それまで明美にべったりだった両親は、今度は妹にべったりとなった。過保護というわけではなく、子育てにてんやわんやだったので、仕方がなかった面もあるだろう。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次