交差点の中の袋小路
それはきっと彼女への妄想、人を殺したのではないかという妄想が、彼女のイメージを晴彦の中で、まったく普段と違って覚えこませたのかも知れない。ここまで違っている人など今までにいなかった。自分の中に思い出として残したい人は絶えず自分の好きなイメージでいてくれた人であろう。
夜中になって見る彼女と、昼間では、まったくイメージが違っているのかも知れないと感じたのは、彼女が昼間見ている分には、
「夜の姿が想像できない」
というイメージを持ったからだった。
昼と夜とでまったく違ったイメージを持つ女性というのは、少しくらいなら想像することもできるが、彼女に関しては、まったくできなかった。
夜になると、何かの付加価値が掛かることで、さらなる重みを感じさせるものなのかも知れない。
そんな彼女に対して、「再会」と言えるだろうか? 急に自分の目の前から消え去って行った彼女は、影を感じるところなど何もなく、ただ、昨日スナックで見かけた女性が似ているということで、勝手な想像が頭の中で巡ってしまっただけなのかも知れない。そう思うと、晴彦は、自分の発想が怖くなってくるのであった……。
第二章 きっかけ
喫茶店に通うことが好きな人は、何を楽しみに行くのだろう?
店の中で本を読んだりする一人の時間を楽しみにする人であったり、常連になって、他の常連客との会話に花を咲かせることを楽しみに行くのだろうか?
山田明美は、一人の時間を楽しみに、通う店を決めていた。いくつか馴染みの店を持っている人に限って、それぞれの店で見せている顔は、多種多様である。他の店で見せる顔は、まったく想像のつかないものであるに違いない。
学生時代に本を読むようになってから、通い始めるようになった喫茶店。高校時代から馴染みの店を持っていたが。誰からともなく聞こえてきた噂は、
「高校生のくせに、一人で喫茶店に入り浸っている」
というものだった。
数人で連れ立って、ゲームセンターに立ち寄る人たちとは、明らかに違う目で見られていた。彼らの方が、まだまともに見られているようで、明美にとっては、さぞや理不尽に思えているのだろうと思っていたが、実際には、それほど明美は気にしていないようだった。
「よほど、気持ち悪いと思われているようだわ」
と、明美は感じていたが、普段から暗い素振りを見せている明美には、まわりが何と言おうと気にならない性格になりつつあった。
本を読むことは、中学時代までは嫌いだった。一番の理由は「じれったい」ということだった。本を読んでいると眠くなるのも、そのせいだと思っていたが、じれったさというよりも、本で読むより、テレビや映画の方が、ビジュアルに訴えることができ、入ってくる情報を素直に見ればいいだけなので、楽である。ものぐさだというよりも、早く結論を知りたいという思いが強い。それは小学生の頃の国語のテストに起因しているかも知れない。
決まった時間内に問題を解かなければいけないというプレッシャーが、問題文をまともに読めないような焦った気持ちにさせていたのであろう。
小学生の頃は国語が一番嫌いだった。文章を分解して、やれ文法や、掛かり言葉のような考え方に、虫が好かない思いをしていた。
今から思えば、文章が好きだったからだろう。好きな文章を切り刻むような真似をして、せっかくの自由な発想が立ち回る余地を与えない国語が嫌いだったのだろう。
算数のように答えは決まっていても、導き出すプロセスは、理論にあっていて、答えが正確に導き出されているのであれば、それはすべて正解であった。国語のようにあやふやなものではない、誰が正否を見極めるのかということも大きな問題であろう。
それでも明美は中学時代の友達に、ミステリーが好きな人がいて、時々、ミステリー談義を重ねたものだ。
その女の子は杉村愛里といい、愛里は国内のミステリーの代表作をほとんど読破していた。
ミステリー雑誌にも投稿し、投稿者の中で競うコンテストにも入賞したほど、ミステリーの批評に関しては、プロ並みと言えるだろう、
ミステリーの中でも、彼女が好きなのは、昔の話だった。戦前、戦時中、戦後と、昭和前半の社会を描いた小説に造詣が深かった。
明美も、愛里の影響で、ミステリーを読むようになった。しかも戦前からの話を集中して読んでいた。
今とまったく違う時代。まったく想像すらできないであろう時代への思いは、本を読んでいく中で、いつも気になっているのが、大きな屋敷が出てくる場面と、交差点であった。そのどちらも戦前の時代を象徴する小説には不可欠で、そのどれもは、現代とは違った佇まいを見せている。
大きな屋敷などは、今はほとんど見ることができない。屋敷の中に生え揃った緑の世界は、想像というよりも妄想の中にしか浮かんでこない。妄想だということは、浮かんでくる光景が一つしかないということでもあった。
愛里が大きな屋敷に住んでいた記憶があるという話をしていたのを思い出した。
大きな屋敷に住んでいたのは、小学生の二年生の頃くらいまでであったか、記憶は定かではないということだ。
大きな屋敷を思い出す時には、いつも頭痛が伴っている。頭痛とともに汗も出て来て、身体の奥から微熱が出てくるのを感じていた。
身体の節々が痛く、背筋や腰に痛みを感じる時は、寒気を伴い、風邪をひきかけているのを感じることができる。
大きな屋敷に住んでいる時は、いつも体調を壊している感覚があった。
「ひょっとしたら、子供の頃は身体が弱くて、別荘に療養にきていたのかも知れないのよね」
と言っていた。
その言葉を聞いて明美は、自分の子供の頃を思い出す。大きな屋敷というわけではなかったが、やはり同じように身体を壊すことが多く、田舎町に療養に出ていた時期があった。そう思うと、お互いに小さい頃は似たような境遇だったことに気付く。
お互いが友達になったのは、中学に入ってから、同じ小学校から皆来るのだから、小学生の頃も知っていて当然なのに、知らなかったというのは、それだけお互いに気にすることがなかったというべきか、それともそれぞれ、まったく違った世界を見ていたことで、意識することもなかったのかも知れない。
子供の頃から、体調を壊しやすかった明美は、頭痛と腹痛に悩まされていた。頭痛は吐き気を伴うもので、腹痛は、夜寝ている時に起きるのが多かった。その時にいつも何か夢を見ていたような気がする。激しい腹痛であれば夢を見ていたことすら覚えていないであろうが、じくじくと痛み始めたお腹が、夢の中を次第に圧迫させていたことだけは、夢を覚えていなくとも、意識の中で忘れることはなかったのだ。
子供の頃に、よく出かけていた診療所があった。そこは自分が治療を受けるものではなく、祖母が出かけていたところで、いつも付き合って行っていた。
まだ、十歳にもなっていなかった明美は、いくら祖母が一緒であるとしても、親以外と出かけることなどなかったのに、
「一人では行きたくない」