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交差点の中の袋小路

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 いつも晴彦に誘いを掛けてくる。人から好かれて嫌な気がしない晴彦は、何度か彼女の家に遊びに行ったりした。
 結構大きな家で、屋敷と言ってもいいくらいの家に入ったのは、それまでになかったので、まわり全体に目移りがしたくらいだった。
 家には、身の回りの世話をする人がいるだけで、昼間はいつも一人だったようだ。本宅は別の場所にあり、そこは別荘だという。
 別荘は明るい雰囲気の家だった。家に入ってからすぐに、いつも食事の用意ができているということで、食事を摂ることから始まる。彼女から誘いがある日が次第に分かってくるようになって、そんな日は食事を摂らずにいるのだった。
 屈託のない表情は、いつも明るさを醸し出していて、
――明るさが取り柄の彼女のどこに暗さが潜んでいるというのだろう?
 と、暗い彼女を想像できなかった晴彦は、そこが彼女の魅力であるが、怖さを潜めていることに、その時は気付いていなかった。
 彼女が寂しさから、晴彦に近づいたのは分かっていたが、その寂しさを感じさせないのは、元からの性格によるものなのか、それとも晴彦にはその気持ちを知られたくないという気持ちからか、顔はいつもと同じ明るさだけだった。
 たまに気持ち悪くなることがある。普段の顔を想像してもできないからだ。いくら笑顔しか見たことがなくとも、他の表情をしないわけではあるまい。そこまで晴彦の前で笑顔以外出したくないと思っているとしても、一つの顔しか見たことがないのは、本当に他の表情を持っていないようで恐ろしい。
――笑顔すら、架空のように思う――
 と感じられ、晴彦には、彼女の何が信じられることなのか、疑問に思わずにはいられなかった。
――笑顔の裏には、また笑顔――
 としか思えないのが、恐怖であった。
 彼女には慕っている人がいた。少し精神的に病んでいる女性だったので、頼りになる人がいるだけで、自分が本当に幸福に感じていることを、一切疑うことをしない。本能のままに喜ぶことができるというのは、どれほど楽しいと思っているかなど、本人しか分からないはずだが、本人が意識していないというのは、実にもったいないことだ。
 だが、意識していないというのは、まわりから見てそう思うだけで、本人はまわりが見る以上に、意識に対しては敏感なのかも知れない。
 晴彦はその人に会ったことがあったが、あまり安心できる人ではなかった。彼女に対して優しく見えるが、他の人に対しては、まったく態度が違う。
――あんな奴を信じていいものなのか?
 と、不安を感じさせるが、素直に喜んでいる彼女を見ると、誰が彼女に対して苦言を呈することなどできるであろう。
 誰だって彼女の寂しい表情を見たくないだろう。素直に笑っている子供の手をつねって、わざと泣かせるようなものである。
 泣かされた子供は、二度と泣かせた相手に笑顔を見せることはないだろう。子供は完全に怯えている。なぜに怯えを感じるかというと、いきなりつねられたという恐怖があるからである。
 子供というのは疑うことを知らない。百パーセント信じ込んでいるものを、一気に恐怖へと叩き込む行為をするのだ。いきなりマイナスへと叩きつけられることで、それまでの感覚を変えなければいけない状態に追い込まれる。恐怖というトラウマが植え付けられるのだ。それも仕方がないことであろう。
 彼女と一緒にいると、あどけなさの中に大人の雰囲気を垣間見ることができる。
――おや?
 そう感じた時であった。大人の雰囲気の中に怯えが感じられたのだ。
 彼女が感じている怯え、それは晴彦に対しての怯えではなかった。
 最初はその怯えがどこから来るのか分からなかったが、彼女の怯えだと思っていたのは、助けを求める無言の訴えであることに気付いた時には、事態がどうすることもできないところまで来ていたのだった。
――この怯えは一体?
 考えてみれば、頼りにもならない晴彦だからこそ、彼女がまさか助けを求めているなど、想像もつかなかった。
 いつもと変わらない様子は彼女にしかできない態度で、もし、その時に少しでも彼女の心境の変化に気付いていれば、どうにかなったかも知れないと思うと、自分の人を見る目のなさに、口惜しさが隠しきれなかった。
 だが、気付かない自分だからこそ、彼女は寄ってきたのかも知れない。もう少し鋭い男であったら、本能的に彼女なら受け付けなかったかも知れない。
 彼女と知り合って、一か月くらい経ったある日から、彼女が晴彦の前に現れなくなった。あれだけ毎日というほど声を掛けてきて、家に連れて行ってもらい、食事を一緒にして、そして……。そんな彼女が忽然と消えてしまったのである。
 急にいなくなったことで最初に感じたのは、寂しさよりも安心感だった。怯えを感じなくてもいいのが一番の理由だが、もう一つは、彼女の視線に感じた淫靡な表情であった。
 唇が歪むたびに、彼女の魅力の虜になって、逃れられなくなることに気が付いていた。それが恐怖となって、怯えへと変わっていく。ただ、その中に期待感もあり、そんな期待をしてしまう自分が恥かしくもあり、そんなことを思う自分への不信感でもあった。
 だから、基本的には彼女が中心の考え方ではない。いいことも悪いことも、中心は自分なのだ。
 晴彦の前から消える前の数日間は、まるで違う人と一緒にいる感覚だった。毎日があれだけ楽しかったのに、一緒にいることが苦痛で仕方がない。彼女の顔を思い出すたび、後悔の念が襲ってくるのであった。
 別荘の場所は知らなかったし、一緒にいる時は知る必要もないと思っていた。当たり前のように迎えに来てくれて、屋敷にお邪魔することになる。そこに甘えがなかったとは言えないが、ここまで自分が受け身になることを許せる人間だったのだと思い知らされたことで、特定の人に対して、自分にも例外があることを思い知らされた。
 いなくなって募ってくる寂しさが、安心感を超えた時、じっとしていることに耐えられない自分がいることに気が付いた。そうなるまでにさほど時間はかからず、感じてしまったら最後、いてもたってもいられないとは、このことであったことに気付くまでに精神状態に異常をきたすまでになっていた。
 別荘の場所を捜し当てるまでには、さほど時間が掛からなかった。特徴のある場所はすべて記憶していた。その時は記憶しているという意識もなかったはずなのに、彼女が消えたという事実が、晴彦の中枢神経を刺激し、忘れていたと思っていた心の奥に封印されていた感覚を呼び起こしたのだ。
 別荘に行ってみると、すでにそこには誰も住んでいなかった。不思議だったのは。あれだけ綺麗だと思っていた屋敷が少しの間で、まるで廃墟のようにくたびれていたのである。
 白壁は剥げかけていて、手入れをしないとここまでになってしまうのかと思うほどで、逆に言えば、それだけ人が住んでいた時には、手入れが行き届いていたということになるのだろう。
――人間もこうなるのかな?
 精神状態が正常に保っている時は綺麗に見えるが、一旦崩れ始めると、抑えが利かなくなってしまうのかも知れない。この白壁の屋敷がそれを教えてくれているようだ。
 精神面だけではなく、肉体面の方が、もっとよく表していることだろう。
作品名:交差点の中の袋小路 作家名:森本晃次