交差点の中の袋小路
交差点は、精神的な意味でも交差点なのである。
交差点の話を以前にこの店で他の常連客と話したことがあった。
話題は交差点と、十字路についてだった。交差点といえば、現代風の言い方に聞こえ、十字路というと、昔の「辻」のイメージが湧いてくる。
実際に十字路という言葉や、ましてや辻などという言葉など、今では口にする人は皆無に近いであろう。その時に話をした人は、常連の中でも突出して年齢が高い人で、
「一人暮らしの老人」
という感じであった。
その人とはその時に話しただけで、他に話をしたことはない。いつも本を読んでいて、話しかけられる雰囲気ではないからだ。その時は、どういうきっかけで話をし始めたのか覚えていないが、多分、その人から話しかけられたからだろう。
最初から、十字路の話だった。その人が話題にしたかったのは、きっとその時に十字路という本を読んでいたからで、その老人は、あらすじを話してくれた。
もちろん、読み終えたわけではなかったので、あらかたのあらすじだけだったのだが、それでも、話を聞いていて、いろいろな想像が頭を掠めた。
交差点に対して、いろいろ妄想を抱いていたこともあって、十字路との違いを頭に浮かべてみると、おかしなことに、交差点でできる妄想が十字路でもできるようになり、見たこともないはずの十字路をハッキリと思い浮かべることができるようだった。
時代として思い浮かぶのは、昭和初期くらいかも知れない。もちろん、テレビや映画でしか見たことのない光景だが、晴彦には鮮明に町並みまでが浮かんで見える。
木の塀が張り巡らされた家の前を、舗装もしていない道が砂埃を上げている。家はほとんどが平屋建てで、大きな家は存在しない。通路を歩く人もおらず、狭い道であるにもかかわらず、無意味に広い雰囲気を感じさせる。
――これが今でいう、住宅街のようなものか――
と、勝手に思い込み、家から出てくる人を想像してみた。
着ている服は、洋服ではない。皆和服であった。イメージは女子供しか浮かんでこないが、男性であれば、浮かんでくるイメージは、腰にサーベルを下げ、軍服を着た軍人だけであった。
静かすぎる光景が、当時の世相をあまりにも反映していないようで、却って不気味に感じられる。
自分もその世界に入り込む。着ている服は今と変わりない、。もしその時に誰かがいれば、きっと変な目で見られるに違いない。
「敵兵だ」
とばかりに礫を投げられるかも知れない。純真な子供にまでそこまでさせる軍政の敷かれた当時の日本が痛々しく、投げつけられる石に痛みを感じることもできないかも知れないと思うのだった。
誰も出てこないのを幸いに歩いていると、そのうちに大きな道が見えてくる。
そこだけは舗装がされているようだが、今のようなアスファルトではなさそうだ。往来を通る車もさまざまで、装甲車のようなものや、軍人が載るサイドカーのようなものが想像された。戦車を想像しないだけましであった。
そうなれば、まさに戒厳令。想像の域を超えている。歴史が好きで、昭和初期のイメージは、何度も本を読んで想像したが、本を片手にしていないのに想像できるようになったのも、かなりその時代に思いを馳せているからなのかも知れない。
老人の話を聞いていても、その時に想像した光景がダブって感じられ。そこにさほどの差異がないことから、老人との会話が短くも感じられたのだ。
老人が晴彦に話しかけたのも、そういったイメージを晴彦が抱いていることを、気配のようなもので感じ取ったからだからかも知れない。そう思うと、その時の晴彦には、まわりに少なからずの違和感を与えるほどのオーラが発せられていたのだろう。
「十字路という本を読んでいて」
老人は話しながら、チラチラと晴彦の顔を盗み見るようにしていた。
「私が思い出したのは、戦前のことだった」
やはり、同じ時代に思いを馳せているのを感じ取ったからであろう。
「若いあなたに話しても分からないかも知れないが、話しているうちに、ひょっとすると何か過去の記憶を呼び起こす感覚に襲われるかも知れない。どうして私がそのことを分かったかということよりも、あなたは、想像の中でもう一人の自分が主人公で登場していることに気付くことだろう」
そう言って、十字路の話をし始めた。
時は戦前、十字路に差し掛かった一人の男性の話から始まる。時間帯は夕暮れ時、すぐに夕凪の時間だと想像がついた。
「そう、夕凪の時間だね。逢魔が時と呼ばれる時間で、昔から魔物と出会う時間とされてきたのだよ」
と、老人は晴彦の考えを先読みし、話をする。
老人は続ける。
「逢魔が時というのは、私の若い頃には、何か必ず悪いことが起こると思われていた時で、実際に何でも信じ込む方だった私は、本当に魔物がいるんじゃないかって思ったほどだった。大人げないと思いながらも、時代が恐怖を煽るようで、この時間になると、絶えず気だるさが抜けなかったものだよ」
「僕も子供の頃には、お腹が空いてくると指先が痺れてくるので、この痺れを恐怖の前兆のように感じていたことがありました。指先の痺れが激しい時に限って、いつも何かが起きていたような気がして、夕方の時間は特に恐怖を感じていたように思います」
晴彦がそういうと、
「逢魔が時とは、まさしくそういう時間なんだろうね。夕凪の時間とも言われていて、風がないはずの時間とされているが、私の経験上、風がある日もあった。そういう日に限って、何かが起こる。風が魔物と会う前兆なのかも知れないね」
「風の気配を、魔物の気配と思うのでしょうね」
「その通りだよ。だから、私は逢魔が時を本当に怖いと思う。なぜかというと、実際に魔物に出会ったことがあるからだよ」
「えっ、実際にですか?」
「魔物というのは、本や絵で見る魔物とは違うんだ。逢魔が時に出会う魔物とは、自分の中に住んでいるものさ」
「どういうことですか?」
「私は、若い頃、ちょっとしたことで喧嘩になり、一人の男を死に追いやったことがあった。喧嘩になったことが元々の原因で、その人は喧嘩の末、身体を壊してしまった。本当の死因は、別なところにあったので、私は罪に問われることはなかったんだけど、そのことが私の中で十字架を背負うことになった。今でも重たくのしかかっているような気がするんだ」
何十年経っても、苦しめられる罪の意識、そこまで背負う必要があるのかと晴彦は思うが、そこが人間としての性ではないだろうか。この老人は、自分の中に魔物が住んでいるといい、それが逢魔が時に表に出てくるのを感じるという。人はそこまで自分の過去に囚われなければならないのかと、思わずにはいられなかった。
老人の話を聞いていると、自分にも、何かの十字架があるのではないかと思うようになっていた。
実際に自分が背負った十字架ではないが、前に知り合いだった女性が関わっている話だったのだ。
その人は、思い込みの激しい人で、晴彦が高校時代に、晴彦に話しかけてきた人だった。年齢は二十歳を少し過ぎたくらいの女性で、お世辞にも明るい性格だとは言いがたかった。