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一日百時間

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「うん、確かにその時の病は治っているので、よほどのことがない限り再発はないだろう。しかも、中学時代から何年も経っているんだ。まず再発はないと言ってもいい」
「それを聞いて安心しました。じゃあ記憶の一部を失っているというのは、今回の交通事故が原因ということなんでしょうか?」
「そこなんだよ。もし、交通事故が原因なら、そのうちに思い出すだろうし、それほど気にすることもないと思うんだけど、もし、交通事故の前から記憶が欠落させる何かの原因があったとすれば、僕はその方が気になるんだ」
 医局長はそう言って、カルテを眺めていたが、すぐに顔を挙げて、話を続けた。
「実は僕も久保さんから君が中学時代の同級生だって聞いていたので、ここまで話をしたんだけど、他の人には内緒だよ」
「もちろんです」
 香澄は、医局長に対し、それまでの不安そうな表情を払拭するかのように、キリッとした表情を見せた。
 香澄は医局長との会話を終わり、医局長室から出てきたが、その時には普段の表情に戻っていた。気にはなったが、医局長のいう通り、それほど気にすることもないのかも知れない。どうしても、相手が正孝だと、気になってしまうのは仕方のないことだった。
 香澄がその日、正孝の病室を訪ねた時、
――どんな顔をすればいいんだ――
 と、平常心でなければいけないのは分かっていたが、果たして本当に平常心でいられるか自信がなかった。
 しかし、病室に入ると、表情はナースに戻っていて、今まで通りの対応ができるようになっていた。
「本当だったらもうすぐ退院の予定だったんだけど、先生からもう少し調べたいって言われたんだ。もう少し、よろしくね」
 そう言って、ニコニコしていた。不安に思っている雰囲気は微塵も感じられない。
 本当であれば入院が伸びるような宣告を医者から受ければ、少なからずの心配が頭をよぎるはずである。しかし、彼にはそれがなかった。
――ということは、最初から自分でも分かっていたということかしら?
 と思えてならなかったのだ。
「ええ、よろしくお願いね」
 正孝の外傷は、かなり治ってきているようで、ひどかった足の方は、まだ包帯で巻かれていたが、腕の方は包帯が取れていた。だが、香澄には彼の左腕に巻かれているサポーターが気になっていた。少し長めのサポーターになっていて、左手だけというのも、どうしてなのかと思うのだった。
「そのサポーター、いつもしているんですか?」
「ああ、これね。普段はしていないけど、ここにいる時は汗を掻きそうなのでしているんだ」
「そうなんですね」
 少し腑に落ちなかったが、
――彼がいうのなら――
 ということで、それ以上言及しなかった。
 見舞いに来た母親も、彼の左腕を時々チラッと見ているようだったが何も言わない。そこには母親と息子の暗黙の了解が存在しているような気がした。
 正孝の検査が、それからまもなく始まった。
 香澄は担当ナースだったが、それはあくまでも病室内での担当というだけで、検査に関しては関わっていない。毎日数時間の検査がいくつか行われているようだったが、それがどんな検査でどのくらいの時間なのか、知らなかったのだ。
「どう? 検査の方、順調?」
 と香澄が話しかけると、、
「ああ、別に問題なく検査してもらっているよ。検査と一緒にカウンセリングもしてもらっているので、まるで人間ドックのような感じがして、まだ若いのにと思うと、複雑な気分だね」
 そう言って、おどけて見せた。
 香澄もその言葉を聞いて安心していたが、相変わらず左手首につけられているサポーターが気になっていた。
「僕は寂しがり屋というわけではないと思うんだけど、時々、急に寂しくて仕方がないと思うことがあるんだ。そんな時、まわりの空気に匂いが混じっているように思えてくると、目の前のものが急に黄色かかって見えてくるようになるんだ。不思議だよね」
「そんなことはないわ。私も急に寂しく感じることも結構あるもの。でも、私の場合は、寂しがり屋だということを自覚しているんですけどね」
 最初から自覚している人と、普段は自覚していない人が急に寂しさを感じる時の感情は、自覚していない人の方がショックは大きいのかも知れない。その心情を計り知ることのできない香澄は、彼のことを思うと胸の鼓動が激しくなるのを感じた。そして、
――どうして急に私に話をしてくれる気になったのだろうか?
 と不思議に思う。
 中学時代、彼のまわりに誰かがいたという意識を感じたことはない。今こうやって自分と正孝が一緒にいるのを、もう一人の自分が表から見ると、正孝に対してどんな思いがするだろう。相手が自分であるとしても、嫉妬を感じてしまうのではないだろうか。そんなことを考えていると、またしても自分だけの世界に入り込んでしまっている自分に気づく香澄だった。
 中学時代の正孝のことで、香澄の知らないことはかなりあった。今思い出しても、その時のことは思い出せる。裏を返せば、それほどにしか彼のことを知らなかったということにもなるのだ。
――クラスの中には、彼のことをもっと知っていた人もいるんだろうな――
 と香澄は思っていたが、今から思えば、すべてを知らなくてよかったようにも思えた。もちろん、知りたいという思いは人一倍だった。それは好奇心からというよりも、やはり初恋という思いがあったからかも知れない。意識まではしていなくても、青春時代には自分でも分からないうちに気になっていたということは往々にしてあるものだ。
 自分よりも彼のことを知っている人が少しだけしかいなければ、その人たちに嫉妬を感じたかも知れないが、たくさんいたのだから、嫉妬するほどではない。まわりに対しての嫉妬というよりも、知りたいと思いながらそれを行動に移すことのできなかった自分に対して、むしろ腹立たしい思いを抱いていたのだ。
 高校生になってから、ナースを志すようになってから、正孝のことを忘れることはなかったが、思い出すこともなくなってきた。高校時代になると、まわりが皆、敵に見えてくる衝動に駆られていた。
 学校では笑顔を見せても、きっとぎこちない笑顔だったに違いない。もし知らない人から、
「友達はいるの?」
 と聞かれると、戸惑いながらも、
「いるわよ」
 と答えていただろうが、友達と言えるであろう人との会話で見せる笑顔を見れば、
「本当に友達なの?」
 と思われるようなぎこちなさを見せていたに違いない。
 高校二年生の時だったか、友達と言えるかも知れないと思っていた人にちょっとした事件が起こった。彼女は、学校では真面目で、笑顔もかわいいので、男子生徒からも先生からも人気があり、誰からも好かれるタイプだったのだが、ある日、自宅で自殺を図ったのだ。
 手首を切り、洗面所で発見した母親が救急車を呼び、一命をとりとめた。その時、母親は半狂乱になったというが、誰からも、
「自殺なんて信じられない」
 と思われている人が、目の前で手首を切り、血の海に溺れていたのだから、すごいショックだったに違いない。しかも、そこに横たわっていたのは実の娘である。想像を絶するものがあった。
 しかし、香澄は母親のその時の心境を冷静に考えてみた。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次