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一日百時間

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――もし、迷路を抜けることのできる発想ができたとすれば、最初に見た時だったのかも知れない――
 その時がターニングポイントで、もし、その時抜けることができなければ、永遠に堂々巡りを繰り返すことになる。しかし、どんな袋小路であっても、人生にはいくつものターニングポイントがある。そのタイミングで抜け出すことができるかも知れないと思っていたが、少なくとも今までにはそのターニングポイントは、残念ながら現れていない。
――現れれば、きっとすぐに分かるだろう――
 と香澄は思ったが、
――意外と近いのかも知れない――
 とも思った。
 きっかけは叱責を受けた時に、時間が凍り付いてしまった感覚に陥り、モノクロームの発想を感じたからだった。それがどのように自分に影響してくるのかすぐには分からなかったが、香澄には近い将来訪れる予感がかなりの確率で高くなっているのではないかと感じさせた。
 モノクロームの世界に、最初から入り込んでいたわけではない。最初は表から客観的に眺めていただけだった。見たことのないはずの光景を懐かしいと思う感覚、まるでデジャブを思わせたが、デジャブほど曖昧なものではなく、確かに意識が頭の中にはあった。
 ただ単に眺めているだけだったはずなのに、胸の鼓動は何を自分に語り掛けていたのだろう。
――色は感じないけど、臭いは感じられるような気がする――
 薬品の臭いに混じって、アスファルトの臭いが感じられた。最近は道路の補正でもしていない限り、どこでもアスファルトが張り巡らされているので、アスファルトを最初に敷き詰めた時のタールの臭いも、本当なら分からないはずだった。
――どうして、これがアスファルトの臭いだって分かったのだろう?
 しかも、この辺りにはアスファルトなど見当たらない。すべてが舗装もされていない道で、しかも、雨が降っていて、道はドロドロになっていた。
 アスファルトの臭いをどうして感じたのかというと、子供の頃の記憶を思い出せば、何となく分かるような気がする。子供の頃も、ほとんどアスファルトの臭いをあまり感じたことがなかったが、感じたとすれば、午前中に雨が降って、昼から晴れ上がった時、地面から立ち上がってくる臭いに、アスファルトの臭いを感じた。
 厳密にはアスファルトだけの臭いではなく、雨が流し込んだ埃が照り付ける太陽によって熱せられ、湧き上がってくる蒸気に乗って多種にわたる異様な臭いが複雑に絡み合っているのだ。
 その臭いに似たものを、モノクロームの世界は感じさせた。
 だが、アスファルトの臭いを感じる時、決まって身体にだるさを感じていた。咽喉がカラカラに乾いてきて、指先に痺れのようなものまで感じられると、脱水症状に似た感覚が襲ってくる。その状態は香澄にとって、自分の意志で身体を動かせるような感じではなかった。
――金縛りに遭ったこともあったような気がするわ――
 ハッキリと覚えていないが、子供の頃、時々金縛りに遭った気がしていたが、その時は金縛りが抜けた後、身体に言い知れぬ気だるさが感じられたのを覚えていた。
 その気だるさを今は感じない。金縛りにも遭うような気もしてこない。ただただ目の前で繰り広げられている懐かしさを感じるモノクロームの光景を眺めているだけだった。
 気が付けば雨がやんでいた。ただ、地面が濡れていたことに気を取られて、本当に降っていたのかどうか意識していなかった。実際に雨粒を見たわけではなく、思い込みがあったのも事実である。目の前に繰り広げられている光景には、多大な思い込みが含まれているのは否定できない。モノクロームで見せているのは、その証拠ではないだろうか。
 そう感じてくると、自分が夢を見ているのではないかと思えてきた。そう思えば目の前に繰り広げられている光景の説明がつく。いや、それ以外に説明のつけようがなく、自分で納得するには、夢だと思い込ませるのが一番手っ取り早いに違いない。
 頭の中で堂々巡りを繰り返していると、そのうちに出口が見えてきた気がした。長いトンネルを抜けると、差し込んでくるのは光である。ただ、それが太陽の光なのかどうか分からない。その時も白い閃光が目の前に広がったかと思うと、やはり目の前に見えたのは、自分の部屋の天井だった。
「やっぱり夢だったんだわ。でも、眠りに就いたという意識がなかったんだけど、どうしてなのかしら?」
 香澄は身体を起こそうとしたが、今度は金縛りに遭ってしまったかのように身体を起こすことができなかった。
「まさか、まだ夢の中にいるのかしら?」
 確かにそこは自分の部屋だった。真っ暗だったせいもあって、目が慣れるまでに少し時間が掛かった。目が慣れてきた時に感じたのは、
「こんなに広かったかしら?」
 というイメージだった。
 少し視界が開けてきたが、それは目が慣れてきたというだけであって、光が差し込んできたわけではない。それなのに、部屋の設置物の影を感じることができる。その影の存在が、部屋を広く感じさせるのだった。
 身体が固まっている割には、首を動かすことだけはできた。
 部屋の中を見渡してみると、今まで意識したことのないものを意識させられた。それは部屋の中央にあるテーブルの上に置いてある化粧を施す時などに使う鏡の存在だった。
「夜に見ると、こんなに気持ち悪いなんて」
 光がないはずの部屋の中にあって、鏡部分だけが光って見えているようだ。丸い輪郭がハッキリと分かり、普段見る鏡に比べて少し小さく感じられたのも、部屋を広く感じた理由なのかも知れない。
 鏡には何も映っていない。ただ光を反射させているだけだった。
――いや、反射させているというのがそもそもの勘違いでは?
 鏡自身が光を発しているという思いだった。そんなことあるはずはないと思いながら、真っ暗な部屋の中で鏡だけが光を発している状況を説明することができない。その鏡だけが特別なのか、鏡というものすべてが、真っ暗な中では光を発するものなのか、香澄には分からなかった。だが、鏡というものが、いつも正面で面を突き合わせている人の気持ちを表現できるものだとすれば、この鏡だけが特別だと言えるかも知れない。
――やっぱりこれは夢なんだ――
 今自分が考えていることは、完全に自分勝手な発想でありながら、状況をハッキリと説明できている。自分主導の世界であり、それこそ夢の中の世界だと言えるのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、夢から次第に覚めてくるのを感じた。今度はまったくの無臭であり、夢から覚めてくる自分を感じていた。
 現実に引き戻されたというのが、その時の香澄の実感だった。本音とすれば、もう少し夢の世界の中にいたかったという思いがあった。現実の世界に戻るということは、ナースの仕事が待っているということであり、仕事をすることに抵抗はないのだが、ゴールだと思っていた地点を通り越して、今自分が成すべきことを見失っている香澄には、少し精神的な休息が必要な気がしていた。
 しかし現実世界ではそんな自分を誰も待ってはくれない。時間は本人の思いをよそに、勝手に進んでいくのだ。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次