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一日百時間

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 しかも、他の人よりも一日が長いという発想も、結構早い段階で気が付いていた。しかし、そこに百時間という発想がついてくることはなかった。せいぜい、
――倍の四十八時間よりも短い程度だわ――
 と思っていたにすぎない。
 百時間という単位を感じ始めたのは、偶然だった。
 あれは、自分が他の人との違いを感じ始めてから初めて、眠くて仕方のない時期を迎えたことのことだった。
 その時の睡眠では、夢を見ることはなかった。
――他の人との違いを感じたことで、私は夢を見ることがなくなってしまったのかも知れない――
 実際に、夢を見なくなっていた。
 しかし、逆に言えば、
「夢を見なくなったことの正当性を考えた時、自分が他の人と違っているということに気づいたんだわ」
 と言えなくもない。
 むしろ、こちらの方が信憑性があるかも知れない。
 他人によって気づかされたことよりも、自分の中で納得できる現象を考えた方が、自分に対しての説得力はある。しかし、敢えて他人によって気づかされたことを自分で納得しようとしたのは、相手が正孝だったからではないだろうか。
 夢を見なくなったことで、急に睡魔が襲ってくるようになった。今までそんなに眠たくならなかったのは、夢を見るのが怖かったからなのかも知れない。
「覚えている夢というのは怖い夢ばかり」
 と、友達と話をしていて皆が共通していた思いだった。
 夢を見る時は、
「今夜、夢を見るかも知れない」
 という意識があった。
 それは、後から感じたことであって、目が覚めてから結果として見た夢を、眠りに就く前から夢を見る予定だったと思う方が、夢を覚えていることに対して説明がついた。
 目が覚めてから、
「なんて怖い夢だったのかしら」
 と感じていると、夢を見たことを忘れたいと思うようになる。
 これも、香澄のネガティブな性格によるものなのだが、元々はネガティブな性格に耐えられなくなった香澄が、
「一日が百時間あったら」
 と直感したことが原因だった。
 要するに百時間という単位には直接意味があるわけではなく、漠然と感じた時間が百時間だったのだ。
 だが、百時間ということを意識したとたん、自分が本当に一日百時間を過ごすことになるという意識が離れなくなった。
 香澄の今までで、まだ百時間を経験したという意識はない。
――一日がいつもより長く感じられる――
 という思いはあったが、その時は夢と感覚がリンクしていることにまったく気づいていなかった。
――あれはどれくらいの時間だったんだろう?
 香澄は、その日、覚えていない夢の中で、一日を繰り返している夢を見た。
「あと一秒で、明日なんだ」
 という意識も、
「日付が変わった」
 という意識も、今までには感じたことがなかった。
 大晦日から元旦に掛けては、誰もがカウントダウンをしたりして、意識をしない人はいない。
 しかし、香澄はあまり意識はしなかった。
「年が変わったと言っても、毎日平凡な一日が変わるだけなんだわ」
 としか感じていなかった。
 学生時代などは、友達のほとんどは、未明から神社に出掛けたり、初詣を拝もうと山に登ったりしていたが、香澄はそんなことには興味がなかった。
 香澄が興味があったのは、むしろ年度が変わった時である。学年が上がったり、新入生が入ってきたり、自分が卒業進学を迎えたりと、新年などよりも、よほど自分に対してリアルだと思ったのだ。
 一日が変わる瞬間に、年末年始だと言っていちいち喜怒哀楽を重ねることに、わざとらしさを感じた香澄は、冷静な目で見るしかできなかった。この感覚が直接的ではないにしてもネガティブな性格に影響しているのかも知れない。
 もし、そうであるのだとすれば香澄は、
「ネガティブな性格でもいい」
 と思うことだろう。
 冷静になった時の香澄は、急に人が変わってしまう。
 他の人が見て、
「どこが違うの?」
 と思うかも知れないが、香澄には大きく違っていたのだ。
 ネガティブな性格の時の香澄は、なるべく他の人と近づきたくないと思っている。しかし、冷静になった時の香澄は、
「他の人を、遠くから見ていたい」
 と感じるのだった。
 近づきたくないという思いと、遠くから見ていたいという思いの大きな違いは、その間に結界があるかないかの違いであり、近づきたくないと思っている間は、そこに結界は存在しない。しかし、遠くから見ていたいと思った瞬間、自分の行動が邪魔されたくないという一心から、香澄は結界を作ってしまうのだ。
 その結界は、まるで見えない壁のようであり、
「反射しないガラスの壁」
 のようなものに違いなかった。
 結界というのは、香澄は夢の世界との間に存在しているものだと思っていた。
 夢の世界というのは、潜在意識という自分の中に存在しているものが作り出したものであり、人工的なものだ。それなのに、現実世界とはれっきとした壁が存在している。理屈ではなく、明らかに夢の存在は現実世界の意識に抵触しないようになっている。
 もし、抵触してしまうと、夢と現実の間の境界はなくなってしまい、中途半端な溝のようなものに落ち込んでしまって、抜けられなくなってしまうことだろう。
 香澄にとって自分が冷静になった時に感じる、
「他の人を遠くから見ていたい」
 という思いは、実は他の人ではなく、現実世界の自分なのかも知れない。
 そして、現実世界の自分に、存在を知られたくないという思いから、結界を作り上げたのだ。
「冷静さというのは結界を作るだけの力がある」
 香澄は、最近そこまで考えるようになっていた。
 急に冷静になる自分を感じた時、香澄は自分がもう一人の自分に占領されてしまったのではないかと感じることがあった。
 もう一人の自分というのを感じたのは、夢の中でのことで、今まで見た夢で一番怖いと思っている夢が、もう一人の自分を感じた時だ。
 もう一人の自分は冷静な自分であり、本当は結界があって見えない存在のはずである。それなのにどうして見えたのかというと、目が覚めた時、冷静な自分の存在を意識させるためではないだろうか。だから、夢を見たということを覚えているのだ。
 本当は、夢を見たことで冷静な自分について、もう少し考えなければいけないはずなのに、そこまで頭が回らない。だから、最後は、
「怖い夢を見た」
 という結論でとどまってしまい、
「怖い夢を見た時しか、夢の内容を覚えていない」
 と感じさせるのだろう。
 どんなに覚えている夢であっても、目が覚めるにしたがって、記憶は薄れていき、その分、厚みも消えてくる。だからこそ、
「夢というのは、時間の感覚をマヒさせるものなんだわ」
 と感じるようになったのだ。
 その日に見た夢は、目が覚めるにしたがって薄くなってくることはなかった。
 もちろん、現実世界に引き戻されるのだから、夢の割合が少なくなってくるのは当然なのだが、最後の最後で夢が記憶に封印されてくれなかった。
――限りなく現実に近い夢を見ている――
 そんな気分がしばらく続き、今でも燻っている気がして仕方がない。
 その時、マヒしてしまった時間の感覚が香澄の中に意識として残っていた。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次