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一日百時間

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ことが違って感じられることもあるし、まったく感じなかったことを改めて感じることもある。改めて感じることというのは、二十四時間の間にも気づいているはずのことなのに、自分で自分に蓋をして、
――思い違いだわ――
 と、感じさせていたのだ。
 それは無意識に感じることであり、百時間を過ごしていると、
――きっと二十四時間を懐かしく思うに違いない――
 と感じるのだった。
 自分が感じている百時間というのは、普段の二十四時間と比べてどう違っているのだろう?
 一日には、未明と呼ばれる早朝があり、目が覚めてから、昼までの午前、昼から夕方にかけての午後、そして、二十四時間が達成される夜と、大きく分けて、四つが存在する。
 百時間の内訳は、二十四時間を四日間のように繰り広げられ、同じ日をまるで四回繰り返しているように感じるのだろうか?
 ただ、二十四時間から二十五時間までは、最初の一時間とはまったく違った世界、逆に言えば、最初の一時間があったことで、二十四時間から二十五時間が決まっているという考えもできる。
 だが、百時間は四つにしか分かれないという考えもある。つまりは同じ時間を他の人とは別に四倍生きているという考え方だ。
 香澄から見れば、他の人たちは自分の四倍早く時間を消化している。早く見えていないということは、それだけ、他の人たちは香澄よりもゆっくり動いているのだろう。
 他の人と同じスピードで生きていれば、自分は四倍年を取らないことになる。
――じゃあ私が死ぬ時は、自分の知っている人は誰もいない世界になっているということになるのね――
 と思えた。
――私にも玉手箱をほしいと思うかも知れないわ――
 自分の寿命がどれほどのものなのか分からないが、まわりの人がどんどん死んでいく中で、一人寂しく取り残されるのは嫌だと思うに違いない。そんな時のために、玉手箱があれば、精神的な「保険」になるのではないかと思えた。
――人生に保険なんて、何とバカバカしいことを思っているのかしら――
 と、笑えないジョークを思い浮かべていた。
 中学時代に思い浮かべた百時間の発想。それは元々、正孝が病気だということを聞いてから感じたことだった。
 時間がたくさんあれば、その分だけ彼の病気を治す薬が開発されるのではないかという、今から思えば何とも健気な発想だった。
 実際には薬は開発されて、正孝は助かったのだが、自分がナースになってから知り合った正孝は、まったくの別人になっているように思えた。
 もし、昔の正孝も香澄も両方を知っている人がいれば、香澄と同じ発想なのかも知れないが、正孝だけしか知らない人が見れば、
「あまり変わっていない」
 というのではないだろうか。
 香澄が香澄でなければ、自分でもそう思うと感じていた。正孝が思い病に罹っていることを知っていたのは一部の人間だけで、香澄も本当は知ることはなかったはずなのに、偶然聞いてしまった話から知ってしまい、最初は、
――余計なことを聞いてしまった――
 と感じたものだった。
 しかし、感じたことは仕方がないことだと思うよりも、
――これは運命なんだわ――
 と思う方が、聞いてしまったことに対して、自分を納得させることができたのだ。
 香澄は運命を感じてから、正孝が自分の前から姿を消すまでに、ほとんど時間はなかった。
――運命を感じてしまったことで、彼は私の前からいなくなってしまったんだわ――
 と感じた。
 その時の時間がどれほど短いものだったか、それを思うと、香澄は、
――もっと時間がほしい――
 と、その時初めて感じた。
――一日が百時間――
 という時間の発想はどこから来たのか分からない。キリのいい数字だという単純なものだったが、二十四で割り切れないのに、キリがいいというのは矛盾した考えだ。
 いつも数字のことを思い浮かべていた香澄だったら、百時間ではなく、百二十時間という数字が頭をよぎってもいいはずだ。それを感じなかったということは、
――百二十時間では長すぎるのだ――
 という思いがあったからではないだろうか。
 それよりも、
――二十四という数字の方が、中途半端な気がする――
 と、なぜ思わなかったのか。
 一日が二十四時間だというのは、必然のものであり、誰もが信じて疑わない数字である。香澄も、それまで二十四という数字に何ら疑念を抱いたことはなかった。中学時代に百時間が中途半端だと思った時も、二十四時間が中途半端だとは感じなかったのだ。
 大人になってからの香澄は、二十四時間というのは当然のことだが、百時間に対しても中途半端だとは思っていない。そう思うと、
――二十四時間というのと、百時間というのは、直接的に繋がっていないのかも知れない――
 と感じるようになっていた。
 もちろん、関連性を否定することはできない。しかし、二十四時間の延長が果たして香澄の感じている百時間なのかどうか、疑問であった。
――ひょっとすると、二十四時間と百時間とは別の世界が形成する時間なのかも知れない――
 と思った。
 正孝が香澄の前からいなくなったのは、これで二度目。ただの偶然だと見ていいのだろうか?
 正孝はこのまま香澄の前から姿を消して、二度と現れることはないだろうと思っていたが、香澄は急に、
――そんなことはない――
 と考えるようになった。
 それは正孝が自分のいる世界と違う世界に存在しているのではないかという発想が浮かんだからで、その世界を覗くことができるのは、香澄だけなのかも知れない。
――いや、そもそも、皆違う世界に生きていて、交流がある時だけ、同じ世界にいるだけのことなのかも知れない――
 香澄の発想は、尽きることがなかった。
 ただ、香澄が考えているような交流が果たして正孝との間に訪れるのかどうか疑問だった。正孝に対して自分でも気づかぬうちに好意を持っていたことは、ここまで考えてくると、分かってきた。
 一日が百時間という発想が、元々どこから浮かんできたのか、自分でも分からなくなってきた。
――彼がどこかに存在している――
 という思いから、別の次元の世界を創造し、その世界を夢の世界とリンクさせた。
「夢というのは、目を覚ます時の一瞬に見るものなんだって」
 という話を聞いてから、香澄は根拠もないその話を信じるようになっていた。
 どんなに長い夢でも、一瞬という言葉に集約されてしまうことは、夢の世界が横にどんなに広がっても、厚みを感じさせない二次元を思わせた。そこに厚みという立体を飛び越して、時間という概念が厚みの代わりに飛び出してくれば、それこそ、四次元の世界を彷彿させることができるのかも知れない。
「三次元のまま、時間という概念を重ねようとするから無理があるんだわ」
 と、夢が厚みがない代わりに時間を超越させる力を持っているものだと感じさせた。
 香澄は、百時間を生きているのは自分なのだと、ずっと思ってきた。夢の世界がやたらにリアルに感じられることがあり、そんな時、自分が他の人とは違った次元で生きていると感じたのだ。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次