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一日百時間

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 恵美も正孝が自分に嵌ってきていることを分かっていながら、戸惑っていたのだ。その様子を見る正孝は、余計に不安に駆られてしまった。
 正孝の不安が、恵美に嵌ることになった本当の原因だということに、正孝は気づかなかった。
 最初に正孝が感じた不安は、恵美が自分と一緒にいる時、たまに上の空になることだった。
――旦那のことを考えているのかな?
 最初はそれでもよかったのだが、相談相手を自負している正孝としては、旦那のことを考えて上の空になる相手に、
――本当に自分が相談相手になどなれるのだろうか?
 という思いに駆られたからだ。
――俺は何をやっているんだろう?
 無駄なことをしているのかも知れないと思うと、急に気持ちが冷めてくる自分を感じた。正孝が感じた不安は、無駄なことをしていることに対してではない。自分の気持ちが訳も分からずに冷めてきていることに対してだった。
 理由が分かっていれば、ここまで不安に陥ることなどないはずだ。言い知れぬ不安というものがここまで自分の中で大きくなってくるなど、想像もしていなかった。
 そんな正孝を見ていて恵美が感じたことは、
――この人は、他の人とは違う時間に生きている人なんじゃないかしら?
 という思いだった。
 もし、これが恵美でなければ、正孝から離れることを考えたかも知れない。しかし、恵美は離れるという選択肢を持っていなかった。むしろ、彼が違う時間にいるのであれば、自分もその場所に飛び込めるようになろうと考える方だった。
――彼をこちらの時間に引き戻そう――
 とは考えない。
 彼に自分を引っ張って行ってもらいたいと思った時から、
――彼がいる場所が自分の居場所――
 と感じてきたからだった。
 ただ、正孝がいると思われる世界は、恵美の想像を超えるものだった。正孝のことを見つめれば見つめるほど、彼のまわりが見えなくなる。彼がいる世界を見つめようとすると彼を見失ってしまう気がするからだった。
 かといって、彼だけを見ていると、まわりが見えなくなる。彼の世界なので、恵美には分からない世界。彼に引っ張ってもらわなければ、一歩として動くことのできない世界だった。
――私はどうすればいいんだろう?
 恵美は悩んでいた。
 そんな様子を正孝は冷静に見ていたのだが、恵美が正孝が自分とは違う世界にいて、その世界を模索していると感じた時から、正孝の中で恵美への燃える想いが生まれてきたのだった。
――俺はどうしてしまったのだろう?
 お互いに正孝の世界の中で紆余曲折を繰り返している。相手のことばかりを見ていることで、自分を見失っていることを分かっての上のことだった。
 しかし、それも仕方のないことだと思っている。お互いに違う世界にいるのだから、感情を共有しようとするならば、そこにリスクは伴って当然だと思うのだった。
 恵美と正孝はそれぞれに悩んでいた。
 そのことを二人は隠そうとしない。むしろ相手に曝け出すことが必要だと思っているほどだった。ただ不安に感じるのは、
――相手に勘違いされたらどうしよう――
 という思いだった。
 それぞれに不安を曝け出しているが、不安というものは漠然としたもので、相手の感じ方一つでまったく違ったものになってしまう。
 ましてや、二人は各々で悩んでいるのである。きっと自分に置き換えて考えることだろう。
 二人の悩みは、次元の違うところでの悩みなので、最初から共有できるはずのものではない。それだけに自分に置き換えてしまうと、勘違いする確率はかなり大きくなってしまうに違いない。
 実際に正孝の方が勘違いをしていたようだ。恵美も最初は自分が勘違いしていることに気づいた。何とか軌道修正ができたのだが、この時の二人のようにお互いに同じことを考えているのではなく感じているという場合は、片方が我に返れば、相手の方が我に返る可能性はグンと減ってしまう。そういう意味でも恵美が我に返ったことで、正孝が我に返れることは事実上なくなってしまったと言ってもよかった。
 正孝が恵美に嵌ってしまい、抜けられない状況になってしまったのはその頃からのことだった。まるで薬物患者のように、普段は冷静であっても、急に態度が一変する時があった。
――まるで禁断症状だわ――
 恵美はそう感じていたが、どうすることもできない。
 そんな時の正孝は、自分が知っている正孝ではなく、まったくの別人に変わってしまっていたのだ。
 だが、恵美はこうも考えている。
――別の世界に住んでいる彼が、こちらの世界に入ってくると、今のような禁断症状を起こすのかも知れないわ――
 と思うと、余計に自分が彼の世界の中に飛び込んでいくしかないという思いに駆られるのだった。
 それは、自分が今の世界と決別することを意味していた。どんなにこの世界と違っているかということは、正孝の禁断症状を見れば一目瞭然だった。だから、彼の世界に入り込むにはそれなりの覚悟が必要だった。
――私にその覚悟があるのかしら?
 確かに、彼には自分の悩みを聞いてもらい、本当の恋というものを教えてもらったという思いはあった。しかし、このまま彼no
世界に入り込むことは果たして自分にとってどうなのだろう?
 だが、彼が今のような禁断症状に陥ったりする原因を作ったのは自分だ。それに対しての後ろめたさと責任を感じないわけにはいかない。彼が今、自分の世界とこちらの世界の間に嵌り込み、抜けられなくなってもがいている姿が目に見えるようだ。
 お互いに感じている不安、そこから先に我に返った恵美には、これからの二人を冷静に見ることができていた。
――まるで立場が入れ替わってしまったようだわ――
 彼を何とかしなければいけないという思いはやまやまだったが、下手に自分が何も用意せずに助けに行っても、二人して泥沼に嵌るばかりだった。恵美には彼から離れるという選択肢が今一度頭をよぎった。
 禁断症状の彼の姿など、見ていられるものではないという思いを強く持ち、自分だけでも引き込まれないようにしておかなければ、ズルズルと入ってしまうことは目に見えていた。
 恵美は、正孝と抱き合っている時、乱れることはなくなった。それまで我を忘れて自我の境地に入り込んでいた恵美だったが、彼に抱かれていても、
――心ここにあらず――
 と言ったところだった。
 だが、そんな恵美を見ても、正孝の様子は今までと変わらない。必死に恵美に貪りついて、相手を感じさせようとする。
――私がこんなに冷めているのに――
 彼の必死さは、まるでわざとらしさしか感じなかった。
 というよりも、
「俺がこれだけ必死になっているのに、この女はなぜ感じないんだ? 意地でも感じさせてやる」
 とムキになっているように思えてならなかった。
 そんな姿に、もはや慕いたいと感じたあの頃は、すでに昔になり果てていた。
 恵美はその時、気づいた気がした。
――この人の時間は、まったく進んでいないんだ――
 恵美と一緒にいない時間までは分からないが、恵美と一緒にいる時は、彼の時間は止まっていて、今の恵美を抱いている時でも、彼の止まった時間にいる恵美を抱いているのではないだろうか。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次