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一日百時間

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 だが、正孝からすれば恵美に対してだけは、
――自分の優越感を感じることができる相手だ――
 という意識があった。
 恵美も同じで、
――この人を慕っていれば、心地いい。それは間違いのないことなんだ――
 と思っていた。
 お互いに思いは一方に向かって向いていたので、一番うまくいく関係だと言ってもいい。しかし、何か信教の変化が起こったり、相手に少しでも今までと違った動きが見えた時、これ以上不安に感じることはない。恵美はその思いを感じながら紆余曲折の動きの中で、結婚という道を選んだのだ。
 正孝の方とすれば、恵美の結婚に反対するつもりはない。祝福してあげられる気持ちの余裕は十分にあった。
――結婚しても、二人の関係は変わることは何もない――
 という思いが正孝にあったからで、結婚してしまっても、恵美の自分への気持ちに変化はないとタカをくくっていたのだ。
 結婚してしばらくはそれでよかった。恵美の方も、新婚生活を満喫していて、十分に気持ちの余裕を感じていた。それは正孝を慕う気持ちに勝るとも劣らない思いが家庭にはあったからだ。だが、その想いが家庭にあるだけで、結婚相手にあると思っていたのは間違いだったようだ。
 旦那の浮気に気が付いたのは、結婚してからちょうど一年が過ぎた頃くらいだっただろうか。
 急に帰宅が遅くなり、別に言い訳をするわけでもない彼に、不安が募ってきた。
 実は旦那の浮気相手というのは、結婚前から付き合っている相手であり、恵美は彼から二股を掛けられていたのだ。
 相手の女性は、彼が結婚していても、別にかまわないというタイプの女性で、
「不倫なんてバレなければいいんだわ」
 と思っているようなしたたかな女性だった。
 彼は悪い男だった。心の中で、
「この女と結婚していたら、恵美とは別れなければいけなくなるだろう。だが、恵美と結婚しても、この女は俺と続けることに何ら抵抗はないようだ。それなら、恵美と結婚するしかないじゃないか」
 と思い、ほくそ笑んでいたのだ。
 男も男、女も女である。
 恵美はしばらく知らないふりをしていたが、それは事を荒立てて、自分のバカさ加減を相手に露呈させ、相手が開き直って、
「離婚だ」
 と言い始めるのが怖かったのだ。
 悪いのは間違いなく相手のはずなのに、それを言及する勇気はなかった。
 もちろん、家庭を壊したくないという思いが強いのも事実だが、
――過ちをただすなら、早い方がいい――
 という思いも確かにあった。
 それでも、離婚に踏み切らなかったのは勇気がなかったからというよりも、頭の中に正孝という男性の影があったからだ。
「そら見たことか」
 と言われるのが怖かった。
 本当は正孝が自分を女として見てくれなかったことで踏み切った結婚なのに、どうして彼を意識しなければいけないのか、自分でもその矛盾が分からなかった。ただこの想いは理屈ではなく、感じていることがすべてだったのだ。
 恵美は自分が完全に孤立してしまったことを感じた。いまさら正孝に頼れないという気持ちもあった。正孝との距離も次第に深まっていき、正孝からも連絡がこなくなった。
「しょうがないわ」
 自分が望んだはずなのに、寂しさはどうしようもなかった。
 だが、そのうちに慣れてくるだろうと思っていたところに、正孝から不意に連絡があった。
「呑みに行こう」
 という誘いだった。
 恵美は複雑な心境だった。このまま正孝と会ってもいいのかを自問自答してみた。理性は、彼と会うことを否定する。しかし、理性よりも強い形で、恵美の背中を押してくるのは、本能である。
「自分の気持ちに逆らって、後悔しない?」
 本能にそう言われれば、本能に従うしかなかった。ただそれも、自分の気持ちに対して正当性を証明したいだけのことだったのかも知れない。
「やあ、久しぶり」
 久しぶりに会った正孝は今までにも増して大人に見えた。
「こちらこそ、ご無沙汰してしまって」
 と、恵美はなるべく余裕を見せるように言ったが、動揺は隠しきれるものではない。正孝にもすぐに分かった。
 他愛もない会話がしばらく続いたが、普段呑めないくせにかなり呑んでしまった恵美を、今までなら止めていた正孝だったはずなのに、暖かい目で見つめるだけだった。恵美もその視線には最初から気づいていた。気づいていたからこそ、アルコールを口にできたのだ。
――この人に抱かれたい――
 と恵美は初めて思った。
 男女の関係になってしまうと、今までの心地よい気持ちになることはできないという思いを、恵美は結婚前から感じていた。
 正孝の気持ちが恵美に対して変わったのは、その時だった。
 恵美の酒に酔った潤んだ目は、今までに感じたことのない淫靡な視線で、
――このオンナ……
 正孝は、完全に自分の理性を抑えることができなくなっていた。
 恵美にも、正孝のギラギラとした視線を感じることができた。
――そう、その目を待っていたのよ――
 ここまでくれば、気持ちを抑えることなどお互いにできるはずなどない。本当なら恵美が結婚する前、さらに言えば、旦那と知り合う前になっていなければならない関係に、やっと今、二人とも気が付いたのだ。
 恵美は、旦那への憎しみと、自分の情けなさへの感情。正孝はずっと抑えてきた恵美への想いと、今までずっと蓄積してきた寂しさが、一緒に一気に爆発してしまったのだ。
 正孝が蓄積してきた寂しさがいつの頃からのものなのか分からないが、恵美と知り合う前からのものだった。
 ひょっとすると、香澄と離れることになったあの頃にも寂しさを感じていたのかも知れない。正孝自身は、小学生の頃に感じた寂しさが、自分の中での寂しさだと思っているので、その頃からの思いだったのかも知れない。
 正孝は恵美に嵌っていった。
――絶対に嵌ることなんかないわ――
 と感じていたのは、むしろ恵美の方だった。
 彼が自分に対して冷静でいてくれることが恵美の望みだったはずなので、次第に自分に嵌っていく正孝を見ていて一番戸惑っていたのは、実は恵美自身だったのかも知れない。
 もちろん、当の本人である正孝も戸惑っていた。当然自分にも恵美に嵌ることはないという自負があったからだ。一体恵美のどこに嵌ったというのか。身体に嵌ったのか、それとも情が移ってしまったのか、それとも、そのどちらもなのかである。
 どちらにも嵌ってしまったのであれば、泥沼に落ち込んでしまいそうな気がするが、実際にはその逆だった。正孝は両方に嵌らないようにしようと自分で必死に抑えていたが、確かにその時点で正孝は、両方に嵌っているわけではなかった。
 正孝自身、自覚がハッキリとあったわけではないが、両方に嵌らないようにしようという意識は非常に強く、それは逆に、
――どちらかであれば、それはまだ許容の範囲内のことだ――
 と思っていた。
 しばらくしても、自分が彼女のどちらに嵌っているのか分からなかった。それが正孝を泥沼に入り込む一歩手前で立ち往生させている原因であり、泥沼に嵌り込まないかわりに、戻ることもできなくなっていた。身動きが取れなくなっていたのである。
 そのことを、恵美は分かっていたのだろうか?
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次