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一日百時間

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 ナースとしてもまだまだで、発展途上だと思っている。
 香澄は、正孝の躊躇い傷を思い出していると、
――彼が今まで生きてきたのは、私が最初に発見したのと同じことが、彼の方で繰り返されたのかも知れない――
 と感じた。
 正孝は、それ以降の自殺を志した。そこに本当の自殺の意志が存在していたのかは、香澄には疑問だったが、そのたびに誰かに見つかってしまい、結局躊躇い傷だけで終わってしまったのではないだろうか?
 そう思うと、彼には自殺をする勇気など、最初からなかったのではないかと思う。だからこそ、彼が本当に自殺を考えていたのかどうかが疑問なのだ。
 彼を知らない人がこの事実だけを知っていたとすれば、
「なんて中途半端な勇気しか持っていないの。自殺もできないのなら、死のうなんて思わなければいいのよ」
 と思うことだろう。
 香澄も彼のことを今ほど知らなければ、同じことを思うだろう。そんなことを考える自分に対してやりきれない気持ちになる香澄だった。
 正孝にとって香澄は、どんな存在なのか、香澄は気になっていた。それを知らない限り、自分が正孝にどんな感情を抱いていたのか、本当のところを思い出せない気がしていた。
――彼は私の知らない私を知っているのかも知れない――
 と感じた。
 ますます彼を知る必要があるのだと思えてきたのだ。
 正孝の最後の躊躇い傷は、不倫が泥沼に入り込み、抜けられなくなったからだった。
 最初に正孝に近づいたのは彼女の方だった。結婚してから二年が経っていたが、旦那も不倫をしているということに気づいた彼女は、正孝に相談したのだ。彼女とは仕事場で一緒で、彼女の方が年上だったが、正孝を兄のように慕っていて、年上に慕われることの心地よさに酔っているところがあった。
 彼女の名前は遠藤恵美と言った。結婚してから、高橋恵美に変わったが、正孝はずっと、遠藤さんと呼んでいた。
 恵美が結婚しても、正孝は二人きりで会っていた。一番の話し相手であり、相談相手と自負していた正孝は、恵美を恋愛対象として見ているわけではなかった。
 もちろん、二人きりで会っているからと言って、肉体関係に陥ることはなかった。恵美の方では、最初は正孝を男性として意識していたが、彼を相談相手として割り切ることが一番気が楽であると気付いてから、今の旦那とすぐに知り合った。正孝に好意を持っていたため、そのオーラが表にまともに出ていたことで、男性を寄せ付けることはなかったのだ。
 恵美が正孝に男性として見切りをつけると、まわりに対してのオーラが消えたことで、恵美本来のオーラが発散されるようになった。元々、女性としての魅力に溢れていた恵美は、男性の注目を浴びるようになった。それだけ恵美は無意識にまわりに対して感情を正直に表現するタイプだったのだ。
 恵美が今まで自分の中に作っていた結界が解けてしまうと、まわりの男性が今度は放っておくことはなかった。いきなり声を掛けられることが多くなり、最初は戸惑っていた恵美も、女性として男性から声を掛けられて嫌な気がするわけもない。最初からまわりに女性としてのオーラを発散させていなかっただけに、急に現れた魅力的な女性ということで、一部の男性を虜にしたのだった。
 しかし、恵美の理想は高かった。
 簡単に声を掛けてくるような軽薄な男性を相手にすることもなく、しばらくは彼氏ができる様子もなかったが、今の旦那が声を掛けてきた時、初めて恵美はときめいたのだ。
「こんな感覚初めてだわ」
 その思いを、恵美は正孝に相談した。元々、好きだった相手に相談するなど、今までの恵美には考えられないことだった。
――どうしたのかしら?
 自分でも不思議に感じていた恵美だったが、正孝への想いとは別に、
――慕いたい――
 という感情を持っていた。
 恵美は、その感情を自分が彼を好きだと思っていた感情だと思った。本当は別のものであるのに、同じだと思ったことが、まず最初の躓きだったと言ってもいいかも知れない。
 恵美は、正孝のことを吹っ切れると思った。旦那になる相手を気にし始めると、最初のときめきがどんどん気持ち的に変わっていくものだと思っていたのに、変わることはなかった。
 それなのに、どんどん彼のことが気になってくる。この感情は次第に抑えることのできない思いに繋がり、
――結婚したい――
 と思うようになるまでに、それほど時間は掛からなかった。
 時を同じくして、彼からプロポーズを受けたのだから、断る理由などあるはずはない。それでも、
「少し考えさせて」
 と返事を渋ったのは、どうしてだろう?
「いいよ。ゆっくり考えればいい」
 彼は余裕を見せていた。
――どうしてそんなに余裕があるの?
 恵美には分からなかった。
 その余裕を見ていると憎らしいくらいだったが、それだけ彼の器が大きいという思いと、自分に対しての揺るぎない想いへの裏返しだと思うことで、恵美にとって彼は、切っても切り離せない仲になっていったのだ。
 結婚まではあっという間の出来事だった。
 決めてしまえばあとはダラダラするのが嫌いな恵美は、結婚までの段取りの主導権を握っていた。
 彼が決して優柔不断というわけではない。相手に任せることのできるタイプの男性で、それだけ気持ちに余裕があり、それは時々恵美からして憎らしさを感じさせるものだったのだ。
「結婚するんだ」
 正孝は、もっと他人事のように言うだろうと思った恵美は、少し拍子抜けした。
 しみじみと語るその雰囲気には寂しさが感じられ、
――何よ。いまさら――
 と、恵美は初めて結婚を決めたことに対して、少し後悔の念を感じた。
 しかし、こんなことで結婚を中止する気にはならない。歯車は動き始めたのだ。動き始めた歯車は、もう恵美一人の感情で止めることはできない。それは恵美が一番よく分かっていることだった。
「おめでとうと言えばいいのかな?」
 恵美は、正孝がこんなに煮え切らない性格だとは思わなかった。今まで慕ってきた思いが一気に冷めてしまうような気がしたが、ここで冷めてしまうと、せっかく決めた結婚が正孝への当てつけに思えてきて、それだけは考えてはいけないことだと思うのだった。
「ええ、こういう時は、『おめでとう』というものよ」
 と、恵美は答えた。
 その時の正孝は、何とも言えないような表情で、無表情と言えば無表情だが、その表情からは何を考えているのか分からなかった。
 逆に言えば、
――何を考えていたとしても、不思議のない表情――
 と言えばいいのだろうか。それだけ感情を表に出さない表情をしていたのだ。
 恵美は、正孝のそんな表情を見た時、
――何よ、何なのよ――
 と、戸惑いを隠せなかった。
 まるで、
「何でもお見通しさ」
 とでも言わんばかりに思えて、悔しさが込み上げてきた。
 もっともその時の正孝は本当に何も考えていなかった。それを恵美は勝手にいろいろ想像し、結局、想像は一つの形を作ることができなかった。それも、恵美と正孝にとっての悲劇の始まりだったのかも知れない。
 その時の正孝は、自分の気持ちに正直になれないだけだった。恵美が思っているような余裕など、正孝にはなかったのだ。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次