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一日百時間

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 ただ、どうしてもあの時に見た一瞬の正孝は、夢の中ではないと思えて仕方がない。最初の睡眠で正孝の夢を見たことは覚えている。しかし、その内容は、今のことではなく、過去の正孝だったのだ。
 しかも、自分の知っている正孝ではなく、中学時代に別れてから再会するまでの間の、香澄が知る由もない時代の正孝だった。
――だって、私の知っている正孝さんではないもの――
 香澄は、満面の笑みを見せた正孝が、自分が知っている正孝ではないことに複雑な心境に陥っていた。
 中学時代の正孝も、再会してからの正孝も、どちらも危なっかしさを秘めていた。その後ろに「死」というものが見え隠れしていたことに気づいたのはいつだったのか。少なくとも、中学時代に危なっかしさを感じてはいたが、「死」という文字が背中合わせだったなどとは思ってもみなかった。
 そこまで感じてくると、最初の夢に出てきた正孝は、香澄の知っている正孝ではないように思えてきた。
 再会した時には、
――この人、変わっていない――
 と思える部分と、
――すっかり変わってしまった――
 と感じる部分とが合わさっていたが、「死」を感じさせるのは一体どっちだったのだろう?
 夢の中に出てきた正孝は、実に冷静だった。
――死を覚悟していた?
 と感じさせる部分もあったが、それよりも香澄と彼との間には、大人と子供ほどの隔たりがあるのが感じられた。
 だが、彼の冷静さが大人だからと言って、香澄は彼のようになりたいとは思わなかった。子供の頃に、
――大人になんかなりたくない――
 という思いを抱いたことがあったが、その時に感じた大人の雰囲気を、夢の中の正孝には感じたのだ。
 香澄が感じている大人というのは、当たり前のことを当たり前にしか言わない人で、人に逆らうことを知らず、自分の意見は持っていても、相手に合わせてしまって、自分から行動することをしない。
 そして、何かが起これば、すべてを相手のせいにして、自分は逃げてしまうのだ。
 そんな時に限って、相手をおだて、すかしたりして、持ち上げた後で、都合が悪くなると梯子を外して、一人に責任を押し付け、人身御供にしてしまう。
 香澄はそんなイメージを「大人」に対して持っていた。
――私は、決してそんな大人になんかなりたくない――
 と思っていたのだが、同じ思いを持っていたであろう人が、他ならぬ正孝だったのだ。
 香澄は正孝が、
――大人になることを頑なに否定していた――
 という思いを一番持っていた人だと分かっていた。
 その理由は、正孝が自殺しようとしているのを、垣間見てしまったからだった。
 香澄が、その時正孝が自殺しようとしていたのかどうか分かっているのかを、正孝は分からなかった。
――見られてしまった――
 正孝は、誰かに見られることを一番嫌っていた。
 自殺に成功して、魂が身体から抜けてしまってから、自殺したのだということを悟られるのには抵抗はなかった。しかし、自殺の瞬間を見られることは耐えがたいことで、その時に、きっと死を断念したのかも知れない。
 少なくとも、その時の彼の手首は綺麗だった。躊躇い傷などどこにもなく、自殺しようとしたのはそれが最初だと分かった。
 しかし、香澄はその時、
――この人、また自殺を繰り返すんじゃないかしら?
 と感じていた。
 そう思うと、彼の手首に躊躇い傷が無数にあった事実を見ても、別にビックリはしなかったが、その時、彼が自殺をしようとした時のことを思い出すことはできなかった。
 おぼろげな記憶だけはあったのだが、鮮明に思い出すことはできない。中途半端にしか思い出すことができないものであるなら、香澄はそれ以上思い出そうとはしない。
 躊躇い傷というのは、時間が経つにつれて、次第に消えていくものなのだろうが、彼の場合には永遠に消えない傷として残っているのではないかと香澄は思った。
 その思いがあったから、正孝が死について感じているという夢を見たのかも知れない。
 香澄は、今まで自分が死について考えたことはないと思っていた。
 いや、考えたことがないというのはウソであるが、死にたいと思うことはなかったというべきであろう。あくまでも死というのは他人事であり、しかもナースをしていると、死に対して他人事のように思うほど、感覚がマヒしているのかも知れない。
 元々ナースになろうと思ったきっかけは、正孝だった。
 彼が重い病に罹っていて、その病気に対して自分も一緒に立ち向かいたいという思いがあったことからだった。もちろん、自分がナースになるのは、それから数年も経ってからのことなので、正孝のために自分が役立てるという可能性はあまりにも低かった。
 それなのに、ナースになりたいと思ったことを自分でウソにしたくないという思いから、一生懸命に勉強し、何とかナースになることができた。目的があって目指したナースへの道、達成してしまうと、拍子抜けしてしまったのも事実で、結果としてネガティブな性格に輪をかけることになってしまった。
 香澄も、中学時代から紆余曲折があって今の自分があるのだ。中学時代と今の自分だけしか知らない人は、きっと香澄のほとんど何も分からないに違いない。それほど香澄の紆余曲折は、左右に大きく揺さぶられたものだったのだ。
 香澄が正孝を夢で見たということは、その紆余曲折を思い出せることにはならないだろうか。左右に揺さぶられたという意識はあるが、右の時にはどんな心境を抱いていて、左の時にはどんな心境を描いていたのか分かっているような気がする。何度も訪れる左右の頂点、時間はまったく違っているので、環境が違うはずなのに思い出せるのだ。
 どこか一つの突出だけを捉えて、右だ左だと言っているわけではない。明らかに、右の時と左の時には、れっきとした考えを抱いていたのだ。
 香澄は正孝の腕にあった躊躇い傷を思い出していた。
 最初に見た時は、それほど大きなショックはなかったはずなのに、今は大きなショックに襲われているのを感じた。
 しかも初めて感じたはずなのに、
――前にも感じたことがある思いだわ――
 中学時代に見た彼の自殺、その時に感じた思いとも違っていた。
――最近感じたことなのか、前に感じたことなのか分からない――
 そう思っていると、香澄は自分が感じたことの時系列への感覚がマヒしてきていることに気が付いた。
――昨日のことがかなり前のことのように感じ、かなり前のことだったはずのことを、まるで昨日のことのように感じる――
 というものだった。
 感じている内容にはハッキリとした時期が存在した。
――中学時代の思い出――
 あるいは、
――ナースになってからのこと――
 と、自分ではハッキリと分かっている。
 ハッキリと分かっていることに限って、時系列がマヒして感じるのだ。
 もっとも、時期がハッキリとしないものに、マヒする感覚が存在するのかどうかも疑わしいものだ。ただ、香澄は自分の中で今までに感じたことのないことを感じるようになったのは事実であり、それが以前のこととの比較であることが多いように思えてきていた。
――それだけ年を取ったという証拠かしら?
 と感じたが、まだまだ老け込む年ではない。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次