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一日百時間

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 現実世界でも、追い詰められることは多かったが、夢の中で追い詰められるというのは、また違った恐怖がある。現実世界では、追い詰められれば、その後ろに壁を感じることができるのだが、夢の世界では後ろに壁は感じない。それなのに追い詰められた感覚になってしまうのはどうしてなのか、分からないところが一番怖く感じられるのだった。
「そろそろ時間が近づいてきたかな?」
 彼は、そういって、香澄を見つめた。
 もちろん、香澄に気持ちが決まっているわけはなく、何も答えられずにいると、自分が夢から覚めていくのを感じていた。
――夢から覚めるのって、こんな感じなんだ――
 と感じていたが、夢の世界が完全に消えてしまったにもかかわらず、現実世界がまだ表れてこない。
 今までにもこんな感覚を味わったことがあると思ったが、すぐに忘れてしまった。
 なぜこんな瞬間が存在するのか考えてみたが、どうやら、目を開ける自分に戸惑いがあることに気が付いた。
――このまま目を開けると、完全に夢から覚めてしまう――
 それを嫌がっている自分がいたのだ。
 夢の世界が急に目の前から消えてしまった感覚が残っていて、なぜ急に消えてしまったのかを考えていると、目を開けるのが怖かったのだ。急に消えてしまった理由が分からないまま目を覚ますのが怖いのだ。
 香澄は、夢の中のことを思い出した。
「このまま忘れてしまえば、彼が死んでしまうことも知らずにいることができる。彼の死を私は受け入れる自信があるのかしら?」
 そんなものが存在するはずもない。ナースになって人の死に対して感覚がマヒしてくると思っている人もいるかも知れないが、却って人の死にナイーブになったりするものだ。しかも、相手が自分の気になっている相手、二度と会うことができなくなることが確定しているのだと思うと、耐えることができるのだろうか。
「忘れなければ、夢の中で彼に会うことができる。でも、話ができるだけで触れることも暖かさを感じることもできない。そんな中途半端な状態を堪えられるのかしら?」
 この思いも十分にあった。
 やはり、香澄はこのまま忘れてしまうことを願った。彼は、自分が香澄の記憶を消去すると言った。香澄の中から消えてしまうのだ。香澄はそこまで考えると、急に考えてはいけないと思うようなことが頭をよぎった。
「どうせなら、彼の存在自体を、私の記憶から消してくれないかしら?」
 そうすれば、彼の死に対しても気を病むことはない。
「本当にそれでいいの?」
 姿が見えないが、どこかから声が聞こえる。
 その声は彼の声ではなかった。ただ、誰かの声であるか分かっている。ただ自分が知っている声に比べると少し高い声に感じられた。
――抑揚のない澄んだ声――
 それはまさしく香澄自身の声だった。
――でも、私がこんな声だったなんて――
 と思ったのも事実だ。
 いつも自分が出している声とは明らかに違っている。その声は暗闇の中で無限に響いていくようだった。
 夢の内容を忘れてしまいたいという思いと、忘れてしまうと彼のことも忘れてしまいそうで、簡単には忘れてしまいたくないという思いとがジレンマとなって、香澄に襲い掛かった。
――目が覚める瞬間というのは、いつもこんなにジレンマに包まれているのだろうか?
 意識が薄れていく中で香澄が感じたことだった。すでに薄れていく意識の中では、もはや夢の内容を覚えていようと忘れてしまおうと、どちらでもよく感じられるようになってきた。
 目が覚めた時、香澄の目の前に一瞬正孝の影を感じたが、すぐに消えてしまったことだけは、覚えていたのだった。
 その時の顔には安どの表情が現れていて、このまま死にゆく人の表情には思えなかった。香澄は安心したように、一度目を覚ましたのだが、そのままもう一度睡魔に襲われた。その先に何があるのか、香澄には分からなかったのだ。

                  第三章 自殺

 二度目の睡眠では、夢を見ることはなかった。安心した睡眠では夢を見ることはないのか、それとも見た夢を覚えていないだけなのか、またしても、この思いが目覚めとともに襲ってきた。この前の睡眠で見た夢が、遥か昔に見た夢に思えて、夢に出てきた正孝のことは覚えているのに、正孝が死んでしまうということへの信憑性は、まったくなくなっていた。
 ただ、その日の目覚めは明らかにいつもと違っていた。
 いや、目覚めが違っていただけで、感じていることは昨日と同じではないかと思えたのだ。
 昨日の目覚めも、夢を見ていたはずなのに、その夢がかなり昔に見た夢だったように思え、
――同じ夢をかなり時間が経ってから、また見たというの?
 という疑念が残ったのだ。
 その思いが残ったまま、昨日また夢を見たことで、同じような発想になったのかも知れない。
 しかし、夢への印象は昨夜見た夢よりも、今日の方がはるかに印象的だった。それは正孝が出てきたということである。彼が死という言葉を口にした時、ショックは計り知れないものだったにも関わらず、どこか他人事のように思えたのは、彼が死んでしまうということを自分で分かっていたからではないかと思った。
 医者からも言われていたではないか、
「彼は何度か自殺未遂をしているようだ。手首には無数に躊躇い傷はあった」
 と言っていたが、その次の先生の言葉にさらに驚かされた。
「でも、彼は自分が自殺をしようとしたという意識はないようなんだ。その記憶をなくしてしまったからなのかと思ったけど、どうもそうではないようだ。神経内科の先生によると、彼の自殺は衝動的なもので、自分でもどうして自殺を図ろうとしたのか分からないということなんだ。僕も裏付けがほしくて、彼が自殺未遂をした時の病院を探して訊ねてみたんだが、彼はその時に、自分が自殺しようとしたことを信じられないようなきょとんとした表情だったらしいんだ。私も彼に自殺のことに触れてみたけど、彼の表情からは、まったく自殺についての感情は生まれてこなかった。彼が死に対して、どんな思いを抱いているのか、聞いてみたいものだ」
 その話を聞いて、香澄はインパクトを受けた。
 その時のインパクトの強さが、今回の夢を見させたのではないかと思えたが、その話を聞いてからかなり時間も経っていた。いまさらインパクトだけで見る夢ではないと思えた。
――でも、彼が自分から死について語るなど信じられないわ。やっぱり夢の中だったかしら――
 そう思った香澄は、二度目の安心した睡眠を思い出した。
 時間的には短い睡眠だった。爆睡に近い睡眠だったので、もっと長いものだと思ったが、爆睡状態であれば、少々短い睡眠でも、睡眠としての効力は十分に発揮されているに違いない。
 ただ、何に安心して爆睡状態になったのか、自分でも分からない。前の睡眠から一度目を覚ました時、目の前に一瞬、正孝が現れたのは覚えている。しかし、睡眠から睡眠までの間があまりにも短かったことで、一瞬感じた正孝は、どちらかの睡眠で見た夢の中に出てきたものではないかという疑念を拭い去ることはできなかった。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次