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一日百時間

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 本能というのは人間にもあるものだが、人間の場合は、本能を抑えるために理性が存在する。脆弱なものではあるのだが、人間には必要なものなのだ。
 そういう意味では、
「治す力はないが、他の病気を併発させないためには絶対必要だ」
 と言われる抗生物質に似ているのかも知れない。
 薬をイメージしてしまうと、
――副作用というのはないのかしら?
 と感じたが、理性と本能の間での確執のようなものすべてが副作用に匹敵するものではないかと思えてきた。やはり、何か役立つと考えられるものには、何かウラがあっても仕方がないと思うのも仕方のないことなのだろう。
――彼の記憶が一部喪失しているというのも、何かの副作用なのかも知れない――
 香澄は少し感じたことがあった。
 副作用というよりも、普通に考えると、
「交通事故に遭った時、人には分からないような何かショックを受けて、それで記憶を失ったのかも知れないわね」
 確かに、交通事故に遭った人が記憶を失うというのはないことではないが、彼の場合は普通に過ごしている。記憶の喪失を気にすることもなく、
「記憶なんて別にいいんだ。何かのショックで失くしたとしても、その記憶はその時になくなる運命だったのだとすれば、それはそれで受け入れればいいことだからね」
 と言っていた。
 何とも潔い考えだが、そんなに簡単でいいのだろうか。ひょっとすると、本人の中で失いたい記憶の一つだったことで、なくなってしまった記憶の片鱗は意識の中にあって、自分に、
「これでいいんだ」
 と言い聞かせていたのかも知れない。
 失っていい記憶が本当に存在するのかどうか、香澄には分からない。しかし、記憶を失ったことでその人にはよかったと思えるのであれば、それでいいのではないだろうか。
――私にもそんな記憶があるのかしら?
 と考えたが、もう一歩進んで、
――本当は失った記憶があるんだけどお、記憶を失ったということ自体、自覚がないだけなのかも知れない――
 とも考えられた。
 あまり深く考えてしまうと、堂々巡りを繰り返してしまいそうで必要以上な考えはしないようにしようと思った。無理をすると必ずどこかで立ち行かなくなることもあるというのは当然のこと、どこからが無理なことなのか、しっかり見極めることが大切だと思う。
――ネガティブにしか考えられない私がこんなことを思うなんて――
 本当はネガティブではないのか、それとも、ネガティブだから考えることなのか、香澄には分からなかった。
 ただ、何かをいつも考えている香澄は、そんな自分が嫌いではない。少なくともそこから生まれてくるものはあるのだと思っているからだった。 
 香澄は、彷徨っている正孝を見ながら、他人事のように思っている自分を感じた。しかし、自分にも彷徨っている人を見ると、身体が反応してしまう癖があった。それが癖であるということに気づいたのは、今回ではないだろう。
 そう思うと、
――これは前にも見た夢なのかも知れない――
 と感じた。
 ただ、これがその時の夢の続きなのか、前に見たことを繰り返して見ていることなのか、自分でもハッキリとしない。もし、繰り返しているのであれば、これからも同じ夢を見続ける可能性がある。しかし、これが夢の続きなのであれば、今日完結してしまうと、もう同じ夢を見ることはなくなるような気がしていた。
――私にはどっちらがいいんだろう?
 と香澄は考えたが、彷徨っている人を見ているのは見るに堪えない光景なので、こんな夢は見たくないと思った。
 だが、二度とこの夢を見れないと思うと、今度は違う発想が生まれてくる。それは、
――二度と自分の夢に正孝が出てくることはない――
 という思いだった。
「夢なら覚めないで」
 と思えるような楽しい夢をほとんど見たことのない香澄は、見るに堪えない夢であっても、それでも正孝が夢に出てきてくれることは嬉しかった。
 もっともこの思いは、夢の中のことだからであろう。夢の中での出来事でなければ、そこまで正孝のことを気にしている自分ではないと思っているからだ。
 ここも、夢というのが潜在意識の見せるものだという発想を疑問に感じるゆえんでもあった。
 夢を見ているという感覚を感じるのは、今回が初めてではないはずなのに、どうしていつも目が覚めると忘れてしまうのか、単純に香澄は疑問だった。現実世界のつもりで見ていたものが夢だったということを感じてしまうと、夢の世界から抜けられず、目を覚ますことができなくなるから、目が覚めるにしたがって忘れてしまうということが起きるのだと思っていた。
 しかし、中には覚えている夢もある。そんな夢は決まって怖い夢だったりする。
――忘れずに覚えているのは、同じ夢を何度も見ているからではないだろうか?
 と感じたこともあった。
 夢の世界だと思っているが、実際には現実世界を覚えている頭が、気になっていることを、夢の中で再現させたり、はたまた実現できそうもないことを、実現させたいという思いが夢を介して、見させるのかも知れない。
 実現させることを夢はできるのだが、今度は現実に戻った時、夢の世界のできごとだという思いに戻らせないと、本当に実現もしていないことのために、高揚した気分になったままでは、いずれ辛くなるkとは目に見えている。そんな思いが自分の中で夢だと納得させるのだろう。
 実に都合のいい発想だが、そう考えれば、不思議に思っていたことを納得できたり、頭の中で繋がっていなかったことが繋がってみたりするものだ。
 香澄は、ナースの仕事をしながら、やりがいとは別に、現実と憧れの違いを思い知らされていた。
「何もそこまで言われなくても」
 と感じたことが何度あっただろう。
 すぐに思っていることが顔に出る香澄に対して、
「何よ、その目は」
 と、敵対意識むんむんで睨んでくる先輩もいる。
 確かに先輩の言っていることは正論で、自分がしている仕事の重要性を考えれば、先輩の言っていることも分かる。
 しかし、言い方があるのではないだろうか。
 いかにも敵対意識剥き出しで迫ってくる相手に、こちらも臆することなく対応するには、こちらも意識をハッキリさせなければいけない。相手のペースに呑まれてしまうと、何を聞いても上の空で、ネガティブな性格の香澄には、落ち込んでしまったら、奈落の底が見えてくるのだった。
 奈落の底など見たことはない。そこが底なし沼のようなものなのか、アリジゴクに嵌り込んでしまったようなものなのか、想像するに、落ち込んでしまうと、そこの主に食われてしまうという結末しか想像できなかった。
――決して這い上がることが不可能な状態に陥ってしまうと、人って何を
考えるのだろう?
 明らかに待っているのは、「死」しかないのだ。確定している死に対して限られた時間で何かを考えるなどできるのだろうか?
 きっと考えようとすると、限られた時間がどれほどなのか分かっていないだけに、
――何を考えたって、すべてが中途半端に終わってしまう――
 と思うと、何も考えないようにしようとするに違いない。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次