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一日百時間

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 ついこの間までここにいた正孝が遠い存在に感じられるのか、それとも、ここにいたのが正孝だという思い込みの強さが、昔の正孝を近い存在に思わせるのか、どちらにしても、片方の正孝を思い浮かべる時、もう一人を感じずにはいられない。二人の間に結界があると思っているはずなのに、矛盾を感じさせるのは、香澄自身が中学時代と変わってしまったということを表しているのかも知れない。
 正孝が病院からいなくなった理由について考えたことはなかったが、その理由の一つに香澄の存在があるのではないかと思うのは、思い上がりだろうか。それだけ正孝が香澄のことを意識していたということになるのだが、入院している時には、そんな雰囲気を感じることはなかった。
――彼が一人になった時、私を感じた?
 だから、病院からいなくなったと考えるのは思い上がりもいいところだ。入院を抜け出してまで、できることではないだろう。
――私は何を考えているんだろう?
 香澄は、引っ込み思案で、とてもそんな大それたことを考えることのできない女性だった。ネガティブになったのも、元々は彼のことを気にしてだったではないか、いくら時間が経っているからといって、ネガティブになった原因の相手に対して、そんな大それたことを考えるなど、ありえないことだった。
 正孝の行方は、警察が捜索してくれたが、忽然と消えてしまってから、その消息は途絶えてしまったかのようだった。病院の方では一週間も経つと、次第に彼のことを話題にする人もいなくなり、あっという間に彼がこの病院にいたという存在自体が、消えていくのを感じていた。
 それはどうしようもないことだった。一つのことにこだわっているほど、時間は固まっているわけではない。しかし、香澄の中では彼がいなくなった時から、時計が止まってしまったようだった。
――前にも同じような思いをしたことがあった――
 そう、それも彼と合わなくなった中学を卒業してからのことだった。
 あの時は、時間が止まったという意識はなかった。彼への感情以外の時間は間違いなく動いていたからだ。今回も彼がいなくなったこと以外、時間は間違いなく動いているはずなのに、彼のことに関しては時間が止まったという自覚は確かにあった。
 凍り付いてしまいそうな時間は、一人になった時に孤独とともに襲ってくる。前から一人になった時に襲ってくる孤独を感じてはいたが、孤独を嫌だとは思ったことなどなかった。一人でいる時の方が気が楽で、それだけ仕事がハードで、一人の時間がどれだけ大切なのかということに気が付いたからだと思っていた。
 どちらにしても、今までの香澄の人生に、正孝という男の影響が本人が思っていた以上に大きな影響を与えているのだった。
 香澄が、一日を長く感じられるようになったのは、この時からだった。
 いつもいつも長いと感じているわけではない。
――気が付けば、一日が長いと思う瞬間に突入していた――
 と思っていたのだ。
 そんな日は、朝起きて昼くらいまでは普段と変わらない。しかし、昼過ぎて昼食を摂った後に、急に睡魔に襲われることがあった。
――別に前の日に夜更かしをしたわけではないのに――
 と思ったが、それだけ疲れが溜まっている証拠なのかも知れないと感じた。
 疲れの蓄積は、いつから始まっていつ終わるのか、香澄には分からなかった。疲れの中にストレスも含まれるのかどうか、それも問題だと思ったのだ。疲れていると絶対に眠くなるというわけではなかった。却って目が冴えてしまって眠れないこともあった。精神的に気になることがあれば眠れなくなるもので、それがストレスに繋がっているのであれば、疲れと眠気は絶対に対になるものだとは限らないだろう。
 香澄は、昼過ぎて睡魔に襲われる感覚が短くなってきた。
 学生時代には結構あったのに、病院に勤め始めると、眠くなっている場合ではなくなっていたのだ。
 覚えることはたくさんある。眠気など催していては、先輩や上司から叱責を受けることは明らかだった。自分でもそんな調子ではナースなどやっていけないという自覚はあったので、余計に気を張りつめていた。
 そんな時は、一日の時間はあっという間に過ぎていた。しかし、それが一週間だったり、一か月の単位になると、結構長く感じられるのだ。逆に一日の時間が長く感じられる時は、一週間などあっという間のことだった。
 それも分からなくはない。あくまでも最小単位は一日なのだ。
 その一日を長く感じられると、一週間も当然長く感じられると思うことだろう。しかし、実際には普通の長さなのだ。だから、自分が感じているよりも、短く感じられ、最初から一週間を考えていたわけではないので、余計にあっという間に感じられるというわけだった。
 一日の中で夜睡眠を摂るのは当たり前のことであり、それ以外の時間に眠くなるというのは、やはり肉体的なことなのか、精神的なことなのか、どこかに無理をきたしているからではないだろうか。
 香澄は昼食を病院の食堂で摂っていた。たまに同僚と摂ることもあったが、どうしても時間が合わなかったりして、一人で摂ることがほとんどだった。
 最初は寂しいと思いながらも、そんな表情を表に出すこともなく、淡々と食事を摂っていたことだろう。しかし、そのうちに一人でいることが気楽だということを思い出し、表情にも無理がなくなってきたようだ。
 一人で食事をしていると、まわりの喧騒とした雰囲気が気になってきた。噂話など、聞きたくもないことが耳に飛び込んでくるのだ。
 そのほとんどが患者さんの噂だったが、そんな時、正孝の話が聞こえてきた。
 それは、正孝がいなくなってから三週間が経っていた。彼がいたという存在すら薄れていた時期であり、香澄自身も、
――早く私も自分を取り戻さなければいけないわ――
 と感じるようになっていた頃だった。
「この間、交通事故に遭ったと言って入院していた人がいたでしょう?」
「ああ、確か病院からいなくなって警察が捜索しているけど、消息がつかめないって言っていた人でしょう?」
「ええ、その人なんだけど、私、この間見ちゃったのよ」
「えっ、どこで?」
「電車に乗ってどこかに行く途中だったみたいなんだけど、その時女の人と一緒だったのよ。ちょっとビックリしたわ」
「それで?」
「入院していたのがウソのように楽しそうな表情をしていたのよ。病院にいた時には想像ができないほどの笑顔だったわ。だから、私もよく彼に気が付いたって思ったほどなのよ」
 香澄は不思議に感じた。
 警察が必死に消息を探しているのに、本人は女性と二人で、電車に乗っていたなんて、俄かには信じられることではなかった。街の真ん中で堂々と生活しているのに、どうして警察が消息を掴めないのか不思議だった。
――きっと彼女が見たというのは、他人の空似なのよ――
 と香澄が思ったその時、話し始めた彼女も、
「まあ、あくまでもちょっと離れたところから見ただけなので、本当に本人なのかどうなのか怪しいものなんだけどね」
「なあんだ、ちょっとした話題を提供してくれただけなのね」
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次