永遠の命
彼女は、いろいろと話しかけてくれていたのだが、最初は何を言っているのかわからなかった。しかし、落ち着いてくると、彼女が話してくれているのは、女性というものについての考え方だった。
「今まで女性を知らなかったということは、私には新鮮な感じがしますわ。でも、それはせっかくの青春を楽しんでこれなかったという意味では寂しいような気がしますね」
と言っていた。
その言葉に対して、黒崎は初めて反論した。
「そうなのかな? 僕は僕自身で楽しんでいたつもりだったけど」
と言いながら、
――本当にそうなのか?
と自分に言い聞かせていた。
そのことを彼女は分かっていたのか、すぐには何も言わなかったけど、
「それならそれでいいのよ。自分で満足できればそれが一番いいんだからね」
その言葉は、彼女が彼女自身に言い聞かせている言葉であることを、黒崎は分からなかった。
「そうですね。でも、僕はこれから何をしていいのか分からなくなることが時々あるんですよ」
というと、それに対して彼女は即答で、
「ということは、何かしたいことがあるということですね?」
「ええ、その通りです」
――彼女は、なかなか頭がいい――
と感じた。
「何がしたいのか、聞いてもいいですか?」
今まで誰にも話したことはなかった。話をしようとは思わなかったのだ。
しかし、彼女に聞かれて初めて、
――僕は誰かに話したかったんだ――
と感じた。
どうして誰にも話す気になれなかったのかというと、それは誰も聞いてこなかったからで、必要以上なことを話すことを嫌う黒崎は、聞かれたことしか口にしなかった。
小学生の低学年の頃、黒崎は結構いろいろなことを口にしていた。子供なのだから、少々のことを口にしても、大人は許してくれるとでも感じていたのか、大人の話にでも結構口を出したりしていた。
そんな時、
「大人の話に口を挟むもんじゃありません」
と言われてはいたが、どうして口を挟んではいけないのか分からなかったので、自分が悪いことをしているとは思わなかった。
ただ、それは大人の世界に対してであって、子供の世界ではそんなことは通用しなかった。
「こいつ、生意気だ」
と言って、よく苛められたりしていた。
どうして苛められるのかということを分かっていなかったので、余計なことを口にするのをやめることはなかった。そのうちに余計なことを口にしている自分に酔っていることに気付いたのだが、その時にはすでに遅く、苛めはとどまるところを知らなかった。途中から転校生が来て、苛めの矛先がその転校生に向いたことで、黒崎が苛められることはなくなったが、そのことを機会に、黒崎は余計なことを一切口にすることはなくなった。しかも、口にすることがなくなったのは余計なことばかりではなく、言わなければいけないことも口にしなくなったことで、誰からも相手にされなくなった。
それならそれでよかった。
――孤立しても寂しいと思わなければいいんだ――
という思いが黒崎の根本にあり、この思いが黒崎の中での原点になっていった。
人と関わらなくなった理由の根底は、そのあたりにあったのだろう。
そのうちに大好きだった母親が亡くなった。
――唯一の味方だと思っていたのに――
と思っていながらも、人と関わりたくないという思いが前面に出ていたため、いくら大好きな母親であっても、関わることを自分から否定していた。
――それなのに、死んでしまうなんて……
世の中、本当にうまくいかないものだ。
母親が死んだことはショックだったが、本人は自分では結構速く立ち直れたつもりであった。
やはりその根底には、
――人と関わらない――
という思いがあるからで、その思いが大学生になるまでの時間を、その時々と、後から考えた期間というものに大きな隔たりを感じさせたのだろう。
初めて身体を重ねた彼女は暖かかった。肌のきめ細かさには本当に驚かされた。だが、一つ不思議に感じたのは、肌と肌が触れ合っているところは、まるで火が付いたように熱いくらいなのに、肌が触れ合っていないところを触ると、とても冷たかった。ただ、肌のきめ細かさだけは感じられ、
――きっと、肌が暖かければ、そのきめ細かさには気付かなかったに違いない――
と感じたのだ。
一緒に裸になり、お互いの肌を余計に密着させた。
「こんなに暖かかったんだ」
緊張がほぐれたことで暖かくなっているかも知れないのに、さっきの冷たさを感じていたから、自分に感じていたのと同じ暖かさになっただけで、そんな風に感じられた。再度の密着が、肌の触れていない部分を、さっきまで冷たいと思わせていた部分を暖かくさせたのだろう。
「あなたは、人のために何かをしたいとずっと思っていたようですね」
と、ふと彼女から言われた。
「えっ、そんなことは思っていませんよ」
人と関わりたくないと思っている自分は、これから研究したいと思っていることが結局は人のためになることだとは思っていたが、本心は人のためなどではなく、自分の名声と研究の成功に対する満足感を得るためのもので、それは自己満足なのだと思っていた。
「そうですか? あなたは、それを自己満足に終わらせようとしているんでしょうね」
「そうですね。僕は人なんてどうでもいいんですよ。自分さえよければ……」
と、少し拗ねた言い方をした。
――そうさ。この気持ちが自分の中での原動力さ――
と考えていると、
「私は羨ましいと思います。自己満足がそのまま人のためになることであることに一生懸命になれるあなたが」
と言って、ニッコリと笑った。
「でも、皆同じなんじゃないですか?」
「そんなことはないですよ。人のためになることをしていきたいと思っている人ほど、自己満足すら得ることができずに終わってしまうんです」
「じゃあ、最初から自己満足を目指せばいいんじゃないんですか?」
「だから、あなたが羨ましいと思ったんです。やりたいと思っていることをしているつもりでも、実際にはそうでもないことって結構多いんですよ。誰もが何かをする時というのは、今の自分よりも前を向いていたいと思っていますよね? でも実際には前に進んでいるつもりでも、一度、後ろに下がってしまうと、原点に戻るだけでも結構大変なんですよ。その思いを感じることで、人は自分がその時点でもがいているしかないと感じるんだって思います」
「じゃあ、前に進んでいるつもりでも、原点にも復帰できていないという感覚をあなたは味わっているということですか?」
「そうなのかも知れないわね。でも、人間というのはほとんどがそんな人ばかりなんじゃないかって思います。もっとも、これは自分がほかの人を羨ましがっているから感じることなんじゃないかって思うんですよ」
「なるほどですね。でも、どうしてあなたは僕があなたの感じる羨ましい人間だって思ったんですか?」