永遠の命
思春期を何も感じずに過ごした黒崎を、まわりの人間はきっと気持ち悪い目で見ていただろう。その視線を黒崎は歴然とした目で感じていた。
――どうせ、蔑んだ目で見ているんだろうが、あんな連中からそんな目で見られる方が本望だ。あんな連中と一緒にされるよりはマシだ――
と考えていた。
男性からというよりも、女性からの視線の方が痛かった。あからさまに気持ち悪さをあらわにしていた。その表情には、
――汚らわしい――
という意識がハッキリと見て取れた。
それでも、黒崎は女性に対して軽蔑という意識は抱いていても、気持ち悪いという思いはなかった。それはきっと、
――女性を知らない――
という意識があったからだ。
黒崎は、
――知らない――
ということに対して一目置いているところがある。
「知らないということは罪である」
というのは、とある大学教授の言葉だったが、もし他の人と同じ心境であれば、損な言葉をいちいち意識することはなかったに違いないが、黒崎は自分が他の人とは違っているという意識を持っていることから、この言葉に過剰に反応していた。
ただ、この言葉を意識しているということを表に出さないようにしていた。自分はあくまでも、人と関わりたくないということを最優先にまわりに感じさせたかった。そのためには、知らないことを罪だと思うことは、まわりを意識しているということを暗にほのめかしているかのようである。
中学高校まではそれでもよかったが、大学に入り、本格的に心理学を勉強し始めると、そんな意識も変わっていった。
――少しはまわりを意識しないといけない――
という思いが強くなってきた。
今までのように人と関わらないわけにもいかない。しかし、それでも黒崎の意識の原点にあるのは、
――他人と同じでは嫌なんだ――
という思いだった。
友達も何人かできた。その中でも自分は異端児的なところを表に出したいと思っていたが、できた友達というのもなかなかなもので、彼らも十分な異端児だった。
その中であれば、自分の存在がかすんできてしまうというのは分かっていたが、一旦友達になってしまうと、そこから離れることは自分を裏切るような気がしてできなかった。友達も同じ気持ちだったようで、黒崎の考えていることを先回りして先制攻撃をしてくるような感じなので、どうしても逆らえない自分がいた。
だが、それも悪くないと思った。
――痒いところに手が届く――
そんな彼らの親切に、心地よさを感じ、少しだけ、
――自分は他人とは違うんだ――
という強いはずの意志が、少しずつ瓦解しているのを感じていた。
それでも、心地よさには勝てなかった。悪い気がしないと思うと、
――どうしてこんな気持ちになってきたのだろう?
という思いが浮かんできて、友達のいうことは、とりあえずは信じてみようと思うようになっていった。
今回の飲み会のあとに誘われたのだって、断わろうと思えば断われたはずだ。しかし、それをしなかったのは、
――せっかく誘ってくれている――
という思いと、
――そろそろ、女性に対しての感情を払いのけてもいいのではないか――
と感じたからだ。
ひょっとすると、身体が反応したのかも知れない。
誘われるまでは、まったく女性に対して何ら意識があったわけではない。つまりは今までと変わらずの感情があるだけで、まったく身体が反応などする余地もなかったのだ。
しかし、友達に誘われて、風俗に行くのだと考えた時、一瞬だが、身体が反応した気がした。すぐに元に戻ったので、
――気のせいだったのか――
としか思わなかったが、友達についていきながら、感情の高ぶりが今までになかったものを感じさせていることに気付いていた。
それでも身体の反応はなかった。しかし、店に入って、
――いよいよ――
という時、身体が反応したのを初めて感じた。
そして、その時、
――思い出してはいけない――
と無意識に感じていたはずの姉のことを思い出してしまった自分に後悔を感じたが、目の前に鎮座している女の子の姿を見た時、姉を完全に思い出してしまった自分に対して、黒崎は戸惑っていた。
――こんな戸惑い、今までに感じたことはなかった――
いつも冷静沈着で、それだけが自分のとりえだと思っていた黒崎だったが、それ以外に何かとりえがあったとしても、それは付属でしかないという意識だった。
たった一つのとりえが、自分の存在価値であり、それだけで十分だと思っていた自分を、誇りに感じているほどだった。生きがいもやる気もどこにあるのか分からなかったが、たった一つのとりえだけで、今は生きていけると思っていたのだ。
三つ指をついて鎮座していた女の子が立ち上がると、今度は黒崎の腕に絡み付いて、身体を摺り寄せてくる。普通の冷静な時であれば、
――これが営業スタイルなんだ――
と、割り切って考えるのだろうが、なぜかそんな思考回路はその時に存在していなかった。
――この人に身も心も任せよう――
と考えたのだ。
それは、全面的に相手に委ねるという考えで、そんな思いをかつて感じたことを思い出していた。
――こんなに気持ちいいものだったなんて――
その思いを感じたのは姉にだった。
自分がまた彼女に向かって、
「お姉さん」
と思わず口にしてしまうのを必死で堪えていた。
最初にその言葉を口にした時、彼女はそのことに触れようとはしなかった。ひょっとすると、彼がまだ童貞であることを瞬時に見抜き、相手に委ねる気持ちがそのまま口から出たのだと思ったのではないかと感じた。
さすがに気持ちは高揚していても、まだ頭は冷静であった。それくらいのことは想像できる黒崎だったのだ。
――でも、それならそれでこっちもありがたい――
と感じた。
姉のことを口にはしたくないという思いがあったからだ。
童貞を捨てる相手が風俗の女性であることに、黒崎自身抵抗はなかった。むしろ、相手にすべてを委ねるという意味で、ありがたいと思っていた。下手に感情移入してしまうと、自分がずっとこのまま相手より下に見られてしまうということを嫌ったからだ。
――男性は絶えず女性よりも上位でなければいけない――
などという古臭い考えを持っているわけではないが、少なくとも自分は女性と付き合うのであれば、優勢である必要があると思っていた。
今まであまり人と関わることのなかった黒崎は、本当は女性という異性が怖いと思っていた。やっと最近友達ができて、思いを打ち明けることができるようになってきたのだが、どうしても、思春期を女性を感じずにやり過ごしてしまったことに臆しているのだ。
後悔しているわけではない。今からでも十分追いつけると思っているのだが、
――それにはもっと心理学を勉強しないといけない――
と考えていた。
心理学は、姉の死によって考えさせられた自分の進む道である。
――これまでの自分の生き方が間違っていなかったということを、きっと心理学が証明してくれる――
という思いを持っているのだ。
風俗のお姉さんは、とても優しかった。自分が相手にすべてを委ねようと思っているから、その優しさが伝わってくるのだと思っている。