永遠の命
と言って、他の教授連中の中には、彼を尊敬している人も少なくなかった。
しかし、彼は他人との接触を拒むところがあり、いつも一人で研究をしていた。
「学者なんだから、一人で黙々と研究しているというのは、別に珍しいことではない」
という人もいたが、それにしても新宮教授の場合は、秘密主義が多かった。
同じ研究室の仲間にも秘密にしていることが多かったようで、彼が何を研究しているのか、いつも研究が成就してからでしか、まわりに公開していなかった。やはり変人と言われるゆえんはそのあたりにあったのだろう。
新宮教授は孤独だった。しかし、寂しいとは思っていないようで、そのことを知っているのは、まわりのごく一部の人だっただろう。勘のいい人は気付いたかも知れないが、まわりからあまり気にされない教授は、普段から気配を消すように黙々と研究を続けていた。それが彼のポリシーなのかも知れない。
新宮教授には、信頼のおける助手が一人いた。彼の名前は、黒崎助手と言った。
――黒崎を見ていると、昔の自分を思い出す――
と新宮教授は考えていたが、実際の昔の新宮教授と黒崎助手とでは、少し違っていた。時代の違いがそう感じさせるのかも知れないが、新宮教授の中では、
――昔を思い出すことができても、彼が自分の昔と似ているとは思えない――
と感じていた。
昔の新宮教授は、野心などまったくなく、研究一筋であった。その先に見えるものが何であるかなど気にしているわけではなく、自分の将来に対しても固執しているわけではなかった。
「研究を黙々と続けられればそれでいいんだ」
といつも豪語していたが、まさにその通りだった。
中には、
「そんなことを言いながら、本当は野心を隠しているだけではないか?」
という疑いを持っていた人もいたが、注意して見ていると、教授にそんな考えがまったくないことが分かってくる。そういう意味で変人と言われるのだろうが、一度注意して見た人には、教授を変人だとは思わない。
「まわりがどう言おうが、新宮教授は研究熱心なだけなんだ」
と断言できるほどだった。
黒崎助手も、同じように研究熱心だった。黙々と研究している姿は健気にも見え、野心などどこにもないように思えたが、実際には野心は人並みに持っていた。教授と比較されるから野心がないように思われるが、実際に蓋を開けると、野心の塊のように見えるかも知れない。
しかし、それも偏見であり、だから、彼は余計に自分の腹のうちを隠そうとしているのだろう。
ただ、黒崎は女性に興味を持っていなかった。朴念仁ともいえるかも知れないほどで、合コンの誘いもすべて断わっていた。知らない人は、彼に彼女がいて、その人への執着から合コンを断わっているように思われたが実際にはそうではなかった。
女性に対してまったく興味を持っていないのである。
大学に入ってすぐくらいに友達になった人に、女性に関しては手馴れていると自分で思っている男がいて、そんな人から見れば、黒崎に彼女がいないこと、そして女性っ気を感じないことから、彼が女性に興味を持っていないことをすぐに看破した。
彼にとって、黒崎のような男の存在は鬱陶しい存在ではあったが、貴重な存在でもあった。彼のように女性に対して人一倍の興味のある人が心理学を志すと、結構女性の気持ちに近づけるもので、その分、女性に対する男性の心理についても長けていた。
確かに最初は鬱陶しく感じられた黒崎助手に対して、彼は次第に興味を持つようになった。
何しろ自分とは正反対の性格で、女性に対してどうして興味を示さないのか、どうしても分からなかった。彼の場合の考え方として、まず肉体ありきであり、身体の反応が精神を動かすと考えていた。
思春期になって、女性に興味を持つのだって、男としての本能が心身を突き動かすのだ。まず身体が反応することで、今までになかった身体の変化にビックリし、まわりの好奇心に満ち溢れた話や、ビデオ、いわゆるエロ本と呼ばれるものを媒体に、解消するすべを知ることで、自分が女性に興味を持っていることを思い知る。
思い知ったところから精神が女性を求めてくる。そこからが心理学の入り込む要素だと思っていた。
しかし、実際には身体が反応するところから心理学というのは始まっているのだ。身体と精神のどちらが先に動き出すとしても、最初の取っ掛かりからがすべてであり、心理学はそこから始まる世界でもあるのだ。
そのことを理解するまでに、何年も掛かる。言葉でいくら説明しても、自分で納得がいくまでには、かなりの時間が掛かるのも心理学の特徴である。
彼は黒崎助手に興味を持ったが、その興味は一種のサディスティックな部分を表に出すことでもあった。
まず女性に興味を持たせるには、精神よりも肉体からだと考えたのは、彼が思春期に対しての考え方が、理解できていたからである。
「何と言っても身体ありきなんだ」
というのは彼の持論でもあった。
彼は黒崎助手に対して、
「今夜呑みに行こう」
と誘いをかけた。
黒崎助手は他の人であれば、断わっていたかも知れないが、彼に誘われると別に嫌な顔をすることもなく、
「いいよ」
と二つ返事で答えた。
しかし、実際の理由は、
――別に断わる理由がないからだ――
というだけのもので、呑みに行くことを承諾した。
黒崎助手は、本当は誘われれば別に断わることをしない。誰とも一緒に呑みに行くことがなかったのは、まわりが彼を誘わなかったからだ。黒崎助手に対しての見方は、
――誘ってもどうせ来るとは言わないだろう――
という思いがあるからで、いわゆる皆、
――食わず嫌い――
だっただけのことである。
彼は、最初に居酒屋に誘った。軽く焼き鳥などを食べながら、会話の内容は彼の愚痴からだった。実はこれも彼の作戦で、自分の愚痴を露骨に嫌がって聞いていれば、これ以上誘っても無駄だということがすぐに分かるからだった。しかし、黒崎は彼の愚痴を嫌がらずに聞いていた。途中簡単ではあるが、助言などを交えていたが、その助言が実に的を得ていたことを彼は驚かされた。元々、愚痴を真剣にこぼしているわけではないので、冷静に見ることができると、黒崎の考えが何となくではあるが、見えてくるような感じがしたのだ。
そのうちに、
「黒崎、君は童貞なんだってな」
と、露骨に彼は口にした。
それを聞いて黒崎は嫌な顔をすることもなく、
「ああ、そうだよ」
「君は女性に興味がないのか?」
と聞くと、
「ああ、興味があるわけではないね。だからと言って、嫌いというわけではないんだよ」
「じゃあ、童貞なのは、好きな人が現われていないだけということなのか?」
「少し違うけど、別に童貞だろうが違おうが、僕はそのことについて、必要以上に固執しているわけではない」
「もし、今から童貞をなくしにいこうと誘えば、一緒に行くかい?」
と聞くと、
「いいよ」
というあまりにもアッサリとした答えが返ってきた。
本当であれば、こんな生臭い話をしているのだから、重厚な湿気を帯びた空気が漂っていそうなのに、黒崎の雰囲気があまりにもアッサリとしているので、却って空気が薄く感じられるほどだった。