永遠の命
「私なんかは、どうしてもネガティブにしか考えられず、刻一刻と死に向かって進んでいることに焦りを感じ、何も考えたくないと思うかも知れませんね。時間がないなんて今までには試験勉強以外では考えたことはありませんからね。試験以外で時間がないなんて想像もつかないし、タイムリミットの先には何もないわけですから、気力がなくなっても仕方がないと自分に言い聞かせているかも知れません」
「その通りです。それが普通の人間なんじゃないでしょうか。だから、患者への告知に対して、医者は神経質になるんです。皆同じ性格であれば、マニュアルどおりにできるでしょうが、人によっては失望して、その場で自殺を考えるかも知れない。先がないのだから、それも仕方がないと思いますが、そのまま死なせてやるわけにはいかないのが現状ですからね」
「本当に難しい問題です」
と生駒は言ったが、
――そこまでは同意できる――
と、黒崎も考えた。
黒崎は続けた。
「動物によっては、死期が迫ってくるのが分かるらしいんですが、そういう動物に限って、自分の死ぬところを他の連中に見せたくはないらしいですよね。一人孤独に死んでいくという習性なんでしょうが、それも本能からくるものなのでしょうか。私は黒崎を見ていると、そんな動物たちを思い出すんです」
「彼には、動物的な本能が備わっているということですか?」
「ええ、そうでしょうね。彼を表から見ていると、動物的なところを誰も感じないと思いますが、あの人の天真爛漫なところは、よく考えてみれば、本能の赴くままだと思えなくもない。だから、彼のまわりにいつも人がいるから、孤独を感じていないように見えるかも知れませんが、彼は決して自分から人に近づいているわけではないんですよ」
と黒崎は分析していた。
「じゃあ、彼が人を引き寄せるというわけですか?」
「ええ、だから天真爛漫に見えるんです。自分から人に近づいているのであれば、きっと天真爛漫に見えることはないと思うんですよ。その証拠に、私は彼の本当の背中を感じたことはないんです」
黒崎は、昔風俗に連れて行ってもらった時、その大きな背中を感じたことがあったが、それは彼の本当の背中ではなかったことに、今気付いたのだった。
「俺の背中を見たって、何もないぞ」
と、その時笑って高田は話したが、その言葉の意味を理解していなかった。
「どうしてなんだ?」
と、聞ける雰囲気でもなかったので、そのまま疑問として頭の中に残ったが、その疑問は悶々としたものではなく、感覚的び、
――いつか理解できる時がくる――
という確信めいたものがあったのだ。
黒崎の背中は、何も語っていない。あれほど大きな背中を感じれば、何かを語ってくれてもいいのではないかと思うのだろうが、その時、そのことが分からず、
――何かが違う――
としか感じなかったのだ。
今は分かる気がする。
――黒崎の本当の背中は、正面から見て、透けて見える背中だったんだ――
というのが、彼の孤独を証明することでもあった。
「お前には分からないだろうが、俺って孤独な人間なんだぜ。だけど、ネガティブな孤独ではなく、孤独を愛すると言えば、格好がよすぎるか?」
と言っていたのを思い出した。
「寂しくないのかい?」
と聞くと、
「寂しくなんかないさ。孤独というのは俺にとっての自由のことさ。他人に左右されない自由な時間を、自分ひとりで謳歌できるんだ。これほど素晴らしいことはないさ」
他人が聞けば、言い訳にしか聞こえないようなことでも、高田がいうと、説得力がある。しかし、あまりにも見た目とピッタリ合っていたので、その存在感が薄れて感じてきた。そのため、その言葉を、黒崎は今まで忘れていたのだ。
「高田さんという人は、本当に正直な人だと思うんですよ。正直すぎるので、彼が本音で話したことが、聞き手にヒットしすぎるのか、その印象は想像以上に薄いものなんじゃないかって思うんですよ。だから彼が本質をつくような話をしたとしても、その人には響いてこない。それが彼の損なところであると思っていました」
と黒崎がいうと、
「その通りだと思います。私も今まで高田さんは天真爛漫なその表向き名雰囲気を直視していたせいか、大切なことを見失っていたような気がするんです。でも今、黒崎さんの話を聞いて、私も感じました。でも、あなたのように高田さんが損なところがあるとは思いません。損に見えるようなところがあるんだって思うようになりました」
と生駒が話した。
「実は、高田さんは彼なりの心理学についての意見をハッキリと持っていたんですよ。新宮教授と心理学について、数日間、いろいろ話をしていたようです。内容までは分かりかめますが、教授がいうには、『この男、このまま人生を終わらせるにはもったいない』と嘆いていたんですよ」
生駒は思い出したようにそういうと、
「えっ、じゃあ、最初から高田さんは実験台として選ばれていたわけではないんですか?」
「ええ、心理学の話を数日間教授をすることで、教授はすっかり高田さんに陶酔していたようです。そこで鶴崎教授と相談して、高田さんを説得するように話をして、その時の身体検査にて、彼が不治の病であることが分かったんです」
「じゃあ、私が考えていたのと順番が逆だったわけですか?」
「ええ、でも、高田さんにとっては、逆ではなかったんです。あの人は自分がもう長くないということを悟っていたようなんですよ」
「というと?」
「さっき、動物の話をされましたが、まさにあの話の通りなんです。高田さんは自分がこのまま死んでしまうことを予期していたので。どのような孤独な死を迎えるかを考えていたようです。その頃には、彼にはこの世に対しての未練はなかったようです。きっと人とかかわりを持たないように本能的にしてきたんでしょうね。人を好きになることもなく、自分から心を許せるような親友を作ることもなかった」
という生駒の話を聞いて、
――なぜ、彼が風俗に連れていってくれたのか分かった気がする。彼自体、人を好きになることを拒否し、人生をいかに楽しむかということを本能的に考えていたからなんだろうな――
と黒崎は感じた。
――もし、僕が高田の立場だったら――
と考えた。
――心を許せる友達を作りたいとは思わなかったかも知れないが、女性を好きになるという気持ちはあったかも知れない――
と思ったが、その両方を同時に満たすことのできない自分が、高田と違って中途半端であることを感じると、
――もし、僕が不治の病の宣告を受けたら、きっと高田のように、納得いく人生で終えられれば、自分の運命を素直に受け入れるというような心境に至ることはないのではないか――
と思った。
それは未練という言葉で簡単に片付けられるものではない。そのことを自分に納得させることはできないからだ。
――あの時、風俗にどうして僕を誘ってくれたんだろう?
と考えた。
後から聞くと、彼に風俗に誘われたのは、後にも先にも黒崎だけだったという。
あの時、ちょうどタイミングがよかったというだけで、本当に片付けられるものなのであろうか?
「君にも、私の実験台になってもらいたいんだ」