永遠の命
自慢しているようだが、黒崎は自慢することを嫌ってはいなかった。
自慢するにはそれなりに自分に自信がなければいけない。一度くらいは身の程知らずで許されるだろうが、二度三度と自慢が鼻についてくると、相手は訝しく思うに違いない。
しかし、これまで人からこの手の話をしていて訝しく思われたことはない。自信過剰といわれればそれまでだが、同じような話を同じ相手から何度もされれば、それは訝しく思われていないという証拠である。そう思うと、
――自信過剰くらいの方がいいのかも知れないな――
と感じた。
しかし、それはあくまでも自分が興味を持った話にだけであって、興味もないことに自信を持ちすぎるとロクなことはない。のちに教授と二人で飲むことになるその日を、この時黒崎は自分の中で想像できていたのかどうか分からないが、少なくとも生駒研究員との話は、自信過剰であったに違いない。
話を戻すことにしよう。
不老不死と永遠の命に違いがあるとすれば、
「言葉が違っているだけだ」
と思っている人がどれほどいるだろうか?
少なくとも新宮研究室のメンツで、そう思っている人はいないだろうと、黒崎は思っていた。
「不老不死というのは、その名の通り、年を取ることもなく、死ぬこともないということですよね。でも、永遠の命というのは、『年を取らない。死ぬことはない』ということではないような気がするんです」
と黒崎がいうと、
「というのは?」
と、相手を見上げるような表情で生駒が聞いた。
その表情は、相手を探っている表情で、ここでの返事が黒崎の力量を測っているかのようで緊張感に溢れていた。
「不老不死という言葉は、言葉の額面どおりであって、永遠の命は、その言葉の裏に含まれているものがあるはずなんですよ。つまりは、命と言う言葉に隠された『生きる』という意味ですね」
「死なないんだったら、生きるというのと同じ意味なんじゃないですか?」
「そんなことはありません。死なないというのは、どんな状態であっても生きていればいいんですよ。つまりは、植物状態であっても、あるいは、冷凍保存された状態であっても、死なないと言う言葉に含まれますよね。でも、生きるというのは、ただ生存しているだけではないんですよ。そこにはハッキリとした意思が存在し、その意思をつかさどっているのが、意識じゃないでしょうか? 意識は記憶とも結びついています。生きていなければ意識もなければ記憶もないと思います」
と黒崎がいうと、生駒は少し考えてから、
「じゃあ、今新宮教授と鶴崎教授が研究しているのは、どっちだと思いますか?」
と聞かれて、
「永遠の命なんじゃないかって思います。だって、心理学の権威である新宮教授が参加しているんですから、当然、意思がそこに働いているわけですよね」
「その通りです。永遠の命となるヒントは、遺伝子にあると鶴崎教授は考えています。専門外である新宮教授も、最初から遺伝子の問題だと感じていたようです。最初から二人の意見が一致していたのですから、研究を共同で行うというのは、当然の成り行きですよね」
「遺伝子ですか。確かに遺伝子は、親からの遺伝というだけではなく、生きているということの証明を、遺伝子ならたいていのことはできるんじゃないかって私も思います。遺伝子やDNAなどという観点に行き着く人はいるでしょうが、そこから先はなかなか踏み込むことのできない領域だったりします。一種のパラドックスのような観点だと思っていいんじゃないでしょうか」
というと、生駒は、
「永遠の命というのは、『死なない』ということなのか、『いき続ける』ということなのかのどちらなんでしょうね?」
と聞いてきた。
「同じじゃないんですか?」
と即答したが、答えた後、黒崎は少し考え込んでしまった。
その様子を見ながら生駒はおそるおそる話し始めた。
「そうなんでしょうか? 生きるということと、死ぬということ、これは人間にとってそのどちらかしかないという考えでいいんでしょうか? 確かに植物人間のように、死んではいないけど、生きていると言えるのかどうなのか、疑問に思うこともありますよね」
「それに、死を目前にして、死を待っているだけの人は生きていると言えるんでしょうか? 心臓が止まっていても、まだ脳が生きているので、生きているという判断になる。その瞬間というのは、どっちなんでしょうね」
と黒崎がいうと、
「ここまで細かなことに言及してしまうと、理論が整然としていないことになってしまいます。頭を整理した方がいいかも知れませんね」
生駒は、自分に言い聞かせるように言った。
この意見には黒崎も賛成で、少し黙ってしまった二人だった。
少しして、話し始めたのは黒崎の方だった。
「人の命って、一種類なんでしょうか?」
「どういうことですか?」
「人には寿命というものがあって、長い人もいれば、短い人もいる。もっと生きたいと思っているのに、道半ばで死んでしまわなければいけない人もいる。戦争などで理不尽に殺されたりもしますよね。特に戦争などになれば、命というものに対しての感覚がマヒしてしまうことだってあるでしょう? そんな時、奪われた人の命と、天寿を全うした人の命って、本当に同じ重たさなんでしょうか?」
「それはそうでしょう」
と、生駒は断言はできないようだが、またしても、自分に言い聞かせるように語った。
「本当にそうなんだろうか? 戦争中は、自分の命は国家のために捧げることが美徳とされ、それが常識のように言われてきた。でも今は一人一人の命が大切だっていう。そういう教育を受けているからなんだろうけど、もし、時代が変わって、今度は今想像もできないような何かのための命だということが常識になりかねない。人間なんて、プロパガンダによって、いくらでも考え方を変えることができるんだ。何が正しいなんて、歴史を勉強していれば、分かりっこないと思いませんか?」
黒崎は、今まで思ってはいたが、人にこのことを話すのは初めてだった。
「黒崎さんの意見は、私には承服できませんね」
と言われて、少し出鼻をくじかれた気がした。
しかし、それでも、黒崎の考えに変化が訪れることはなかった。
――しょせんは人に受け入れられるような考えではないんだ――
と考えていた。
それでも、黒崎は意地になっていたのかも知れない。
「承服できないのであれば、それも一つの意見でしょう。でも、僕は自分の意見を曲げる気はしませんよ」
というと、
「それはそれでいいんですよ。むしろ、黒崎さんのような意見の人が、今は少なすぎると思うんです。承服はできかねますが、貴重な意見だとは思いますよ」
生駒の話を聞いていると、
――彼もいろいろと考えるところがあるんだろうが、彼にとっての考え方というのは、消去法なのかも知れないな――
と考えた。
そして、黒崎のような考え方は、結構早い段階で、消去法に組み込まれていたに違いない。
「承服できない」
と言ったのは、それだけ早く消えたからなのだろう。
「じゃあ、生駒さんは永遠の命をどう思っていますか?」
と黒崎が聞くと、