永遠の命
もちろん、そんなことがすぐに分かるはずもなく、教授の言葉を信じてしまったことを後になって後悔するのだが、それはまた後のお話だった。
教授は黒崎の気持ちを知ってか知らずか、また話し始めた。
「心理学というのは、答えは一つではないというのが私の持論なんだよ」
という言葉に、黒崎は一瞬、どのように反応していいのか考えていたが、
「そうなんですか? 僕にはよく分かりません。それは結論が出ないということを言われているようにしか聞こえないんですけど」
と、少し訝しそうに怪訝な表情で聞き返すと、
「そんなことはないさ。それだけ心理学というのは奥が深いということさ、僕は『心理学』ではなく、『心裏学』だと思っているくらいさ」
と、教授はカバンの中からメモとペンを取り出して、心理学と書いて「×」をし、心裏学と書いて「○」を書いてみせた。
「なるほど、教授の話を聞いていると、それだけ奥行きが深いということは、学問という可能性には、まだまだ伸びしろがあるということでしょうか?」
というと、
「伸びしろは確かにあるが、私はインフィニティという発想もありではないかと思うんだよ。いわゆる『無限の可能性』だね」
教授はそう言って、口にビールを注ぎ込んだ。
黒崎もそれを見ながら自分も口にビールを流しこんで、
「だから、学問や研究というのは、太古の昔から続いているわけですね」
「その通りさ。過去から積み重ねられた無数の結論だけでは、まだまだ研究に可能性は残されている。どれほどの可能性なのか分からないが、少なくとも、終点が見えているわけではない。それは、見えているのに見えていないわけではないから無限なんだって思っているだろう?」
と教授に聞かれ、
「えっ、だから無限の可能性なんじゃないですか?」
「そんなことはないさ。先が見えているからこそ、無限の可能性があると言えるのではないかと私は思っている」
という話を聞いて、
――教授も僕に負けず劣らずの天の邪鬼なんじゃないかな? 天の邪鬼でなければ、きっと学問の研究なんかできやしないんだ――
と感じた黒崎だった。
「どういうことでしょうか?」
「無限の可能性なんて言葉は、結局は人間が作っているということさ。人間はそのことを分かっているから、無限の可能性というのを人間以外のものが作り上げたものだと思いたいと感じる人たちがいる。それが神様を信じるという信仰であり、神様というものも、所詮人間が作り上げたものなんだよ」
と、サバサバとした様子で教授は語った。
「じゃあ、教授は神様や宗教は信じないと言われるのですか?」
「そうじゃない。確かに宗教の考え方というのは無理があると思っているけど、決して人間だけが偉いという考えではないんだ。人間には不可能かことが、過去にはたくさん起こっていることを遺跡が証明しているじゃないか。私はそのことも信じているつもりなんだよ」
と教授は言いながら、また一口、ビールを口にした。
「僕は、教授が人間嫌いなんじゃないかって時々思うことがあるんですが、僕の思い込みなのでしょうか?」
教授が人間嫌いだというウワサは、黒崎だけが考えていることではなかった。誰も口にしないだけで、そう思っている人はたくさんいると思っている。実際に最初にそのことを口にしたのは高田だった。彼は笑いながら話をしていたので、意識しなければ、そのときだけの戯言として忘れ去られていたことだったのかも知れない。
しかし、黒崎はその時の高田の話が忘れられなかった。唐突に何かを口にする時の高田の言葉には説得力があった。高田という男が思いついたことをとにかく口にしておかないと気がすまない性格であることは分かっていた。いや、高田がそのような性格であると確信した時が、この時だったような気がしたくらいだ。
黒崎もきっとあの時の高田と付き合っていたことで、唐突に何かをいうことが多くなったような気がする。そして、その時に口にしたことは、間違いなく自分を納得させるために口にすることであった。この時も教授にいきなり尋ねたのも、教授の性格を自分なりに納得させたいという思いがあったからに違いない。
すると、教授はおもむろに答え始めた。
「人間嫌いねぇ。確かにそうかも知れないね。心理学を研究しようと思った時点で、私は他の人とは違うという思いに駆られたからだって感じたからね。私はこの時、心理学を心さ像とした人は、必ず一度は人間嫌いになるものだと信じていた。その思いは今も変わらないし、一度でも人間嫌いになった人は、元々人間嫌いという持って生まれた性格を抱えて生きていると思っているんだよ」
教授は、ため息をつきながら、まるで自分に何かを言い聞かせているかのようだった。
「実は僕も人間嫌いだと思っています。人間嫌いというよりも、他の人と同じでは嫌だという思いが強いので、それが人間嫌いだといえるのかどうか、よく分かりませんでしたが、今の教授の話を聞いていると、僕も人間嫌いなんだって感じました」
教授を尊敬しているからだという思いからではなかった。むしろ、自分以外にも人間嫌いの人がいるということがハッキリしたことで感じたことだった。だから、相手は教授でなくてもよかった。むしろ教授よりも高田に対して最初に感じてみたかった。
高田という男は、どこか他の人と違うという面を持っていた。ただ、その内面を決して人に見せようとはしない男で、決して自分から真面目な話をすることはなかった。こちらから真面目な話を投げかけると、いつも反対意見を返してくる。彼が自分から話をする時というのは、あまり真面目な話ではないのだが、いつの間にか彼の話に引き込まれていて、術中に嵌ってしまったという意識が強い。
「高田君は、心理学とか専攻した方がいいんじゃない?」
ゼミを選ぶ時、自分が心理学に進みたいと思っていたので、高田にも同じように進んでほしいという思いから、そういって誘いかけたことがあった。
「心理学は興味がないな」
黒崎には意外な気がしたが、なぜかホッとした気分になったのも事実だ。
自分から誘っておきながら、どうしてそんな気持ちになったのか、逆にその時、
――どうして高田を誘ったりしたのだろう?
と感じたほどだった。
そう思っていると、今度は高田がどうして心理学に興味がないと言ったことに対して興味が湧いてきた。
「どうして、興味がないんだい? 高田君なら興味を示してくれそうな気がしたんだけどな」
と聞くと、