永遠の命
実際に、嫌煙者からすれば、タバコを吸っている人すべてがうっとおしく感じるのだが、実際に不心得者さえいなければ、苛立ちを覚えることもないと思っていた。
――夢を見て、目が覚めて覚えていない夢というのは、そんな苛立ちも入っているのかも知れない――
夢であれば、どうせ覚えていないという認識の中で、いくらでも苛立っている相手に制裁を加えることができるという思いからで、目が覚めてから覚えていたとすれば、その感覚が錯覚に変わってしまうことを無意識に恐れているからであろう。
「黒崎君は私の研究をどう思うかい?」
急に教授から言われた。
「どうって言われましても、僕のようなまだ新人にはよく分かりません」
これは本音だった。
教授は自分の研究の内容を、助手と言えども、そう簡単には話さない。
「あれをしなさい。これをしなさい」
という指示を出すが、それがどんな目的で使われるのか、なかなかすぐには分からないのだ。
もちろん、最後にはその理由を明かしてくれるのだが、教授の指示のほとんどは、情報集めだった。いわゆる「足」として使われるのだ。
それでも、研究の一端を担っているのだから、助手としてはやりがいのある仕事なのだが、自分が表に出ることのない黒子としての存在だと思うと、少し寂しく感じられるものだ。
そのことを先輩に話すと、
「余計なことを考えなければいいのさ。助手は助手としての仕事をしていれば、そのうちに自分も上に行ける」
という人もいれば、
「今の仕事をポジティブに考えれば、自分の肥やしになるわけだから、それはそれで充実しているんじゃないか? 下積みというのは、大切なことだよ」
と言う人もいる。
黒崎には、どちらの意見も納得のできるものだ。前者は消極的だが、余計なことを考えないということは大切なことだと思う。邪念があってはせっかくの仕事も雑になってしまう。雑になった仕事であれば、自分で納得できないのも当たり前だ。それが自分の中で堂々巡りを繰り返すことになり、それこそ余計なことを考えてしまう要因になりかねないだろう。
後者はもう少し積極的な考えだ。
しかし、黒崎には納得できるものではない。その理由は、
――当たり前すぎるんだ――
当たり前すぎる説教は、説得力よりもう鬱陶しさしか生まない。
説教というのは、それだけで当たり前のことなのだ。当たり前のことと言うのは、言われた本人にも分かっているものであり、ひょっとすると、当たり前のことがその人にとってはトラウマになっていることだってあるかも知れない。それをまるで鬼の首でも取ったかのように「ドヤ顔」で言われれば、これほど忌々しいものはないというものだ。
だから、人は説教されることを嫌う。
自分がどこかの宗教に入信していて、そこの教祖様が行う説教であれば納得できるものだろう。なぜなら、相手に対して、絶対的な優劣を感じているからだ。
しかし、相手に対して優劣を感じない相手、つまりは尊敬のできない相手であれば、説教という名で説得されても、鬱陶しいだけでしかないのだ。
それは相手が親であっても同じこと。尊敬できないと思っている相手であれば、いくら親でも、その説教には苛立ちしか覚えない。
昔の親は、封建的なところがあるので、
――子供に対しては、自分が圧倒的な優越を持っている――
と思っているに違いない。
しかし、実際には親と言えども、人に説教できるだけの技量や才覚を備えていない人が世の中にはたくさんいる。
子供の頃は親からの絶大な勢力圏内にいるので、子供にも親に対しての優越を感じているに違いない。それは子供が子供であるがゆえのことで、大人としての判断がつかない時である。
しかし、子供もいつかは大人になるもので、大人としての技量が備われば、親に対して疑問が湧いてくるというものだ。
それが思春期の反抗期というものではないだろうか。
親を中心にした大人はそのことにどうして気付かないのだろう?
親だって、子供の時があり、その時の子供と考え方が違ったとでもいうのだろうか?
自分がどうして反抗するのか、大人になると忘れてしまうということなのか、それほど大人になるまでに超えるために犠牲にしなければならない何かがあるということなのか、黒崎はいつも感じていた。
――大人って、本当に自分勝手だ――
と思っていた時期が確かにあった。
それは中学時代であり、その対象のすべてが父親に向けられた。
黒崎が心理学の道を志そうと思った遠因に、父親との確執があったのも事実だった。黒崎自身はあまり認めたくないと思っていたが、大人になればなるほど、その思いに自分の正当性を感じるのだった。
――本当にあの親父は当り前のことを当たり前にしか言わなかったな――
と感じていたが、そのくせ、会社では同僚や後輩から慕われていると豪語していた。
そのくせ、家に客を連れてくることはほとんどなかった。黒崎がまだ小さかった頃にはあったのだが、いつの間にか誰も連れてこなくなってしまったのだ。
あれは黒崎の中学時代のことだった。
黒崎は数人の友達と仲良くしていた時期があったが、いつもそのうちの一人の家に集まっていた。
そこの父親は出張が多く、あまり家に帰ってこないという。友達は母親と二人暮らしで
そのため、
「今日は、もう泊っていきなさい」
と、よく言われていた。
友達の家に集まって遊ぶ時は、結構時間を感じることなくわいわいとやっていた。気がつけば、夜になっていることがほとんどで、友達の母親がそう言うのも、無理もないことだった。
「日が暮れて暗い中を、中学生と言っても、一人で帰すわけにはいかないからね」
と言ってくれた。普通はその考えが当然ではないかと思えた。
「でも、皆ちゃんとお家の人の許可を取らないといけないわよ」
と言われて、それぞれ自分の親に連絡を取り、そのほとんどが、
「それならしょうがないわね。ご迷惑のならないようにしなさいよ」
と、ちゃんと許可を取っていた。
しかし、黒崎だけはそうはいかなかった。家に電話を掛けるとまず母親が出るが、
「私では判断できないわ。お父さんに聞いてみる」
と言って、父親に聞いているようだった。
まず、この時点ですでに苛立ちを隠せない。
――どうしてお母さんは親父のいいなりなんだ?
厳格すぎる父親にたいして、黒崎は苛立ちを覚えていた。両親のうち、どちらに最初に苛立ちを覚えたのかというと、父親の説教よりも、むしろ抗うことのできない母親に対してだったのだ。
父親は決して電話に出ようとしない。
「お父さんは、早く帰ってきなさいって」
と、父親の言葉をそのまま伝える母親、その言葉には覇気の欠片もなかった。
しかし何が一番苛立つかというと、そんな状況でも、親に逆らうことができずに、親に言われた通り、友達の家から一人、家に帰らなければいけないと思う自分に対してであった。
「お母さんには、私の方から話してあげようか?」
と友達のお母さんは言ってくれたが、そこで、
「お願いします」
と言ってしまうことはできなかった。