永遠の命
黒崎が大学で心理学を専攻し、そのまま研究室に残って新宮教授の助手として勤務するようになったのは、就職活動もうまく行かず、どうすればいいかと思いあぐんでいた時、新宮教授に、
「一緒にここで研究してくれないか?」
と言われたからだった。
ちょうど、助手の人が別の大学からの誘いを受けて、そちらに移動することになったので、ちょうどいいタイミングだったようだ。黒崎自身も卒業して一般企業に就職するという道に少し疑問を持っていたので、いわゆる渡りに船だったのだ。
教授の研究は、心理学という学問だけにこだわらず、物理学や化学、生物学にまで特化したものだった。
新宮教授は、教授というイメージにそぐわないほど、人付き合いの苦手な人だった。普段からブスッとした表情は、人を遠ざけるには十分で、表情に感情がそのまま出ているかのようだった。一緒に研究に従事している研究員も、教授には絶えず気を遣っているようだった。
しかし、教授は誰にでも気難しい顔をしているわけではなく、自分の気に入った人には普段からは想像もできないほど、気を遣う人であった。
黒崎が教授室に顔を出すと、いつも笑顔で迎えてくれ、自らコーヒーを入れてくれるほどの機に遣いようだ。
最初こそ、普段の教授から信じられない雰囲気にたじろいでしまい、後ずさりしてしまうほどであったが、慣れてくると、却って遠慮が失礼になることが分かってくると、教授室ほど居心地のいい場所はないと思えるほどになっていた。
そんな教授から、
「君さえよければ、私と一緒に研究してほしいんだ」
と懇願されると、どこに断わる理由があるというのだろう。
「はい、喜んで」
と、二つ返事で了解したのも、自分で納得できるものだった。
教授の研究が多岐に及んでいるということは、大学時代には分からないことだった。それはあたかも、自分が大学時代に読んだ本を研究で証明しようとでもいうようなものだった。
恋愛小説以外に、SF小説などをよく読んだ。
――同じ日を繰り返している――
と言っていた女性を思い出しながら読んだのだが、SF小説を読み込むうちに、恋愛小説をそれまでとは違ったイメージで読むことができたのも事実だった。
時々、教授は助手の黒崎にも黙って、席を外すことがあった。
――どこに行っているんだろう?
気にはなったが、先生を尾行するような野暮なことをしようとは思わなかった。
――もし、自分にも関係のあることであれば、そのうちに話してくれるさ――
と思うほど、教授に対しての信頼は絶大だった。
心理学の勉強に嵌ったのは、教授との出会いがあったからだったのだが、最初に感じた教授のイメージは、
――とても心理学を研究しているようには見えない――
というものだった。
心理学の専攻を選択する前の一般教養の授業の中で、新宮教授の第一印象は、
――なんて、頼りない教授なんだ――
というものだった。
大学の講義というものはえてしてそういうものなのかも知れないが、広い講義室に学生が疎らな講義だった。
分布とすれば、前の方で真面目にノートを取っている連中が数名と、それ以外は最後列で、好き勝手なことをしている連中だった。我が者顔でだべっている連中もいれば、寝ている連中もいる。ゲームをしていたり、スマホをいじっている連中もいる。
――一体、何をしに来ているんだろう?
と思えてならなかった。
そんな中で黒崎は、最前列でノートを摂っている連中にまぎれていた。皆仲間というわけではなく、個別の連中で、きっと黒崎のように、群れを作ることを嫌っている連中なのに間違いないだろう。
黒崎が最前列でノートを摂っているのは、群れに乗っからないためでもあった。真面目にノートを取っているというのは、根が真面目だというだけではなく、人と群がりたくないという思いからだ。
二年生になってくると、授業を受けないことも増えてきたが、一年生の間は真面目に授業を受けてきた。
――せっかく苦労して大学に入ったのに――
という思いが強かった。
他の連中は、
「せっかく大学に入ったから、高校時代を取り戻すために遊ぶんじゃないか」
と言って、友達作りに躍起になり、人とつるむことで自分の存在を自分自身で納得させようとしているのではないかと、黒崎は分析していた。
大学一年生というと、まだ専攻する学科が決まっておらず、一般教養の時間であった。そんな中で選択した心理学の先生が、新宮教授だった。
教授は、学生がどんなに何も聞いていないとしても、決して叱ったりしない。まったくお構いなしに、自分のペースで講義を進めている。
最前列でノートを取っている連中にとっては、分かりやすい講義で、興味をそそる内容も少なくはなかった。事実、最前列でノートを取っていた連中の仲の何人かが、新宮教授のゼミに後々参加することになるのだ。
しかし、他人事としてこの状況を見れば、何とも教授は情けなく写った。学生に怒りを感じることもなく、淡々と講義を進めている姿は、イライラするほどで、
――最後列で遊んでいる連中も何を考えているのか分からないが、教授も何を考えているのか分からない――
と感じさせた。
しかし、何度目かの講義の時に、ふと黒崎は気付いた気がした。
――ここまで学生にバカにされているのに、まったく感情に出さず自分のペースで講義を進めているというのは、ある意味すごいことだ――
それは、絶対に自分にはできないことであり、よほど根性が座っていないとできないことだろうと思えた。人にイライラさせて自分だけ涼しい顔をしているというのは、大物の証拠ではないだろうか。
黒崎の新宮教授を見る目はその時に変わった
実際に三年生になってゼミを選ぶ時、黒崎は迷うことなく新宮教授のゼミに参加した。知っている顔も数人いたが、全体的な人数からすれば少数精鋭。言い方を変えれば、
「マイナーなゼミ」
だと言えるだろう。
そんなゼミの今までに見たことのなかった学生のほとんどは、何を考えているのか分からないような連中だった。
普段は気にしていないように見えるが、こちらが相手から気を逸らすと、こちらを気にして探るような目をしてくる。油断ならない連中と言えるのではないだろうか。
しかし、これも考えようで、
――相手もこちらのことを同じように見ているかも知れないな――
と思うと、彼らの目を気にする必要はないと思えてきた。
同じゼミであっても、彼らとは関わらないようにすればいいだけで、幸いにもこのゼミでは、班を作って、そこで研究をすることが主な活動のようだった。
そこで黒崎が組んだ班というのは、一年生の時に最前列で講義を受けていた連中だった。班分けは自由で、誰と組んでもいいという話だったので、やりやすかった。班を形成している他の連中も、このメンバーが一番いいと思って形成しているので、あっという間に班は決まった。
彼らは班は形成していても、班の中での行動以外ではまったく干渉することはない。これも黒崎にとっては願ったり叶ったりだった。